42話 終わったことにされた兵
帰着札、補給記録、監査官用通路。
俺とカイムとリューネは、魔王様に言われた通り、紙が通る場所を一通り回った。
どこにも怪しい跡はあった。
札箱の前には、処理する間だけ後ろの角が見えなくなる場所がある。補給記録は、荷を受け取る場所と台帳を書く場所が離れている。監査官用通路は、通った記録ではなく、使用後確認の欄だけ筆圧が違った。
怪しい。
だが、怪しいだけだった。
「こう、もう少しで手が届きそうなのに、尻尾がつかめないというか」
「まったくだ。そもそも、そう簡単に正体が判明するなら、既に捕らえられているはずだ」
「それにしても、なんか引っ掛かるんだよな」
「何がだ」
「帰着札にしたって、名前を消すことに意味あるのか?」
「いまいち何が言いたいか分からんぞ」
「名前を消すって、その帰着札が受け取られた後だろ。後から消しても、処理はもう通ってる」
思いつきを口にしただけだった。
だが、カイムの筆が止まった。
「……隠すためではない?」
「そこまでは知らん」
カイムは黙った。
書き板の端を押さえたまま、少しだけ目を細める。
その瞬間、廊下の奥から足音が近づいてきた。
かなり急いでいるらしい。
現れたのは外縁兵だった。肩で息をし、俺たちの前で片膝をつく。
「報告します。西側巡回の帰着札が戻っています」
「戻っているなら、何故走ってきた」
カイムの声が落ちる。
「ただし、本人が戻っていません」
さっきまでの引っかかりが、急にこっちを向いた。
「帰着札だけ戻ったのか」
「はい。西側巡回のロウという兵です。予定時刻を過ぎても姿が見えず、確認したところ、札だけが箱に」
「台帳は」
「帰着済み扱いになっています。時刻も、担当者名もあります」
「名前がある?」
思わず言うと、外縁兵が頷いた。
「担当したのは見張りのダリムです。本人は、札を受け取った覚えがないと言っています」
カイムは一瞬だけ目を伏せた。
「リューネ殿」
「うん。私も行く」
カイムは外縁兵へ紙を一枚ちぎって渡した。
「これを魔王様へ。西側巡回ロウ、帰着札のみ戻り。本人未帰還。台帳記録あり。担当者は否認。未確定として即時報告」
「はっ」
外縁兵は紙を受け取り、すぐ踵を返した。
「君も来い。今は少しでも目がいる」
西側の帰着札室に着いた時には、兵が何人か集まっていた。
北側より少し広い部屋。札箱の前で一人の兵が青い顔をして立っている。たぶんダリムだ。机の上には台帳が開かれ、問題の札が横に置かれていた。
「触った者は」
カイムが聞く。
「自分と、確認に来た上官だけです」
「札は本物か」
「はい。ロウの札で間違いありません」
リューネが札に手を伸ばしかけ、途中で止めた。
「触らない方がいい。魔力は弱いけど、何か術は掛けられてる」
「人間側の道具か」
「たぶん。でも、前に見た追跡妨害とは違うと思う」
俺は札箱の前に立った。
札を戻す。台帳を開く。時刻を書く。担当者名を書く。
それだけだ。
それだけなのに、変な感じがした。
「ダリムさん」
「はい」
「この札、いつ戻ったことになってる?」
「台帳では、三刻ほど前です」
「その時、ここにいましたか?」
「いました。しかし、札は受け取っていません」
「誰か来た?」
「いえ。誰も。その時間帯は一人で飯を食っていたので」
木の箱。細い口。
札を入れれば、音はするはずだ。
なのに、誰も来ていない。
「これ、札を戻した奴がいないんじゃなくて」
「さっさと結論を言え」
「急かすな。戻したところを、見られてないだけじゃないか」
リューネが札箱の横に膝をついた。
「こっち、隙間がある」
箱の裏側。
壁に固定された板と札箱の間に、細い隙間があった。手は入らない。けれど、紙か薄い札なら差し込める。
「表から入れたん訳じゃないってことか?」
リューネが頷く。
「たぶん。札箱に入ったことにはなる。でも、この人は受け取ってないし、入れるところも見ていない」
「そんな、では、私は」
「君の落ち度かどうかは別だ」
「受け取っていないことと、札が箱に入っていたことは両方上げる。判断は魔王様だ」
ダリムはうなずいた。
カイムは台帳へ目を落とす。
「担当者名は、君の字か」
「……似ています。ですが、自分が書いたわけではありません」
「似せているな」
横から見る。
ダリムという名前。
「これ、なんか違うよな。癖が少ないというか」
カイムが黙った。
「今、同じ欄に自分の名前を書け」
「は、はい」
ダリムが震える手で別紙に名前を書く。
比べる。
似ている。
確かに似せてはいるのだが。
本人の字は、最後の跳ねが少し強い。台帳の字は、真似をしようとしてずれている。
「ダリムさん、筆の持ち方が少し変だね」
「昔の怪我で、指の動きが少し悪いんだ」
もう一度、台帳の字を見る。
似せてはいる。
だが、跳ねるところで力の抜き方が違った。
「勝手に終わったことにしてるのか」
俺が言うと、カイムの筆が止まった。
「何を」
「あれもこれもそうだ。裏で何か動いてるのに、こっちに来る頃にはもう終わったことになってる」
リューネが杖を握る手に力を入れた。
「ロウさんを探さないと」
「位置は」
カイムがダリムを見る。
「西側の石積み道です。最後に確認されたのは、旧水門の近く」
「案内を」
「はい」
カイムは書き板を閉じかけて、もう一枚だけ紙を切った。
「追加報告を出す。札箱裏の隙間。担当者名の模倣。西側旧水門へ向かう」
追加報告は、別の兵が持って走った。
俺たちも旧水門へ向かう。
廊下を抜けると、外の空気が入ってきた。石壁の向こうから、水の匂いがする。古い水門へ近づくほど、足元の石は湿っていた。
ロウはまだ見つかっていない。
「アードゥ」
リューネが横から言った。
「何だ」
「今、顔が怖い」
ロウの札。
真似られた名前。
荷物だけ先に帰ってきたみたいで、気持ち悪かった。
俺たちは、旧水門へ急いだ。




