38話 差出人
俺の部屋には、紙とインクと、妙な緊張が置かれていた。
もともと紙の多い部屋だ。魔王様布教文の残骸や、書き損じの束が端に寄せられ、そこへ新しい紙、封筒、蝋、カイムの書き板が追加されている。
ヴェラは窓際の椅子に座っていた。休めと言われたから立ってはいないが、見張るなとは言われていないらしい。
「私は休めと言われたはずなのだがな」
「座って見張れ、とも言われてましたよ」
「誰のせいだと思ってるんだ、誰の」
ヴェラの声は低い。
顔色は悪くない。けれど、肩口に巻かれた包帯のせいで、いつもの外套の線がわずかに歪んでいる。俺はそこを見て、すぐに目を戻した。
見張り役だからだ。
余計なところは、まだ見ていない。はずだ。
「今のは回数から外してやる。次は無いぞ」
座っていても、ヴェラは厳しい。
カイムは机の向こうで紙を揃え、俺の方へ一枚滑らせた。淡い銀灰色の髪はいつも通り整っていて、指先の動きにも無駄がない。
「まず宛名からだ」
「セレネへ、でいいだろ」
「宛名だけで仕事をした顔をするな。本文が本題だ」
「俺ってそんなに顔に出やすいの?」
「少なくとも明日の天気を当てるよりは簡単だ」
俺は筆を取った。
セレネへ。
そこまでは書けた。
その先で、筆が止まる。
魔王様の言葉が、まだ頭の中に残っていた。
――その手紙、お前は何者として書くのか。
何者として。
荷物持ちとして。
元勇者パーティとして。
魔王軍に拾われた人間として。
魔王様の下で働く馬鹿として。
どれか一つでいいのか、まだ分からない。
「もう止まったのか」
カイムが覗き込む。
「宛名は書いたぞ」
「何故それだけで自慢げなんだ。本文は」
「難しいんだよ。相手がセレネだぞ」
「セレネ殿がどんな人物か僕は知らない。君が書くんだ」
俺は少し考え、まず一文を書いた。
セレネへ。
魔王軍より、人間側の不審な動きについて知らせる。
カイムの眉が動いた。
「これは駄目だ」
「早いな」
「敵からの通告に見える。誰だって身構えるだろう」
ヴェラも紙へ目を落とした。
「魔王軍の公式文にするな。これは通告ではないということを忘れるな」
「でも、魔王軍から出すんですよね」
「だから難しいのだ。少しは頭を使え」
簡単に言わないでほしい。
俺は紙を横へ避け、新しい紙を取った。
次は、少し砕けてみる。
セレネ。
そっちは元気か。
俺は魔王軍で割と元気にやっている。
カイムが目を閉じた。
「軽すぎる。君、一応捕虜というかそんな扱いなんだぞ」
「でも、元仲間への手紙でもある」
「その仲間に追い出されたのはどこの誰なのかよく考えるといい」
ヴェラが低く言う。
「雑談なら焼く」
「なんでみんなすぐ燃やそうとするんですかね?」
「本気で言っているなら手紙より先に燃やすのはお前だ」
それも横へ避けた。
紙が減っていく。
インクは減る。
俺の自信も減る。
カイムは次の紙を差し出した。
「君は、セレネ殿に何をさせたいんだ」
「周りを見てほしい」
「では、それを書く」
「簡単に言うな」
「リューネ殿の苦労が良く分かるよ」
俺は三枚目に筆を置いた。
俺を追い出した後、そっちはどうなっている。
書いてから、自分でも少し止まった。
カイムがすぐに線を引く。
「これは要らない」
「事実だろ」
「事実でも、今この文に乗せるものではない」
ヴェラの視線が、静かにこちらへ向いた。
「その文で相手を動かしたいのか。責めたいのか。どちらだ」
返事が出なかった。
責めたいわけではない。
ただ、まったく混じっていないと言えば嘘になる。
勇者パーティを追い出されたこと。セレネがその場にいたこと。彼女が俺を止めなかったこと。レイネの判断。リュシオンの顔。
余計なものが、文に混じりかけていた。
ヴェラは何も言わない。
カイムも、赤筆を置いたまま待っている。
しばらくして、カイムが口を開いた。
「セレネ殿は、どういう人だ」
「口が悪い」
「君が最初に言える立場ではないと思うが、続けろ」
「現場は見る。損得も見る。でも、人を数字だけでは見ない。俺のことは戦力としては弱いと思ってただろうけど、荷物の置き方とか、逃げ道の確保は見てた」
「つまり、君の強さではなく、扱い方は知っているわけだ」
「そういうことになるな」
カイムは、俺が横に避けた三枚の紙を見た。
「なら、そこから書くべきだ。公式文でも、雑談でも、恨みでもない。セレネ殿が知っている君の目から書く」
ヴェラが短く続ける。
「飾るな。だが、相手に察して貰えると思うな」
魔王軍の者として書けば、警告になる。
元仲間として書けば、昔話になる。
恨みを混ぜれば、そこで終わる。
「俺は、セレネの隣で荷物を持っていた奴として書く」
言うと、カイムがこちらを見た。
「今は?」
「今は、魔王様の下で荷を持ってる。それは隠さない」
「悪くない」
「今のは褒められたと思っていいのか?」
「そうすぐには褒めないよ」
「今のは褒める流れだっただろ」
「君はすぐ油断する。それは書き終わってからだ」
ヴェラが紙を指で叩いた。
「なら書け」
俺は息を吐いて、新しい紙を取った。
セレネへ。
お前がこれを読むかは分からない。
読むなら、怒る前に少しだけ周りを見てくれ。
北側の境界で、人間側の正規兵に似せた連中が動いている。
ただ、俺の知っている正規兵の装備とは違った。
肩当ては新しく、擦れがない。
兵士が毎日使うものじゃない。
でも、正規軍を知らない奴が真似たにしては、外見だけは完璧だった。
もし勇者パーティか正規軍の指揮下でこのことを承知しているなら、この手紙は破っていい。
そうじゃないなら、誰がその装備を用意したのか見てくれ。
これは魔王軍からの通告じゃない。
お前の隣で荷物を持っていた奴からの、道端の違和感だ。
アードゥ。
書き終えると、部屋が少し静かになった。
カイムが紙を手に取る。
最初に字で眉を寄せた。
「字は相変わらず汚いな」
「そこはもういい。諦めてる。内容を見てくれ」
「採用だ」
「道端の違和感は」
「残す」
「残すのか」
「妙な言葉だが、君らしい。セレネ殿に出すなら、その方が届くかもしれない」
ヴェラが紙を受け取り、目を通す。
仮面の奥の目が、一行ずつ動いた。
「魔王様の可愛さが入っていない点は評価してやる」
「本当に我慢したんですから思い出させないでください」
「入れたら破る」
ヴェラは紙を返した。
「魔王様へ確認を取る」
俺たちは、書き上がった手紙を持って魔王様のもとへ戻った。
玉座の前で差し出すと、魔王様は封をする前の紙へ目を通す。
長くはなかった。
けれど、読み飛ばしてはいない。
最後まで読んでから、魔王様は紙を机へ置いた。
「よい」
「これでいいのですか」
「誰が書いたかはよく伝わる。元とはいえ仲間ならその方がよかろう」
魔王様の視線が俺へ向く。
「答えは見つかったか」
「全部ではないです。でも、少しだけ見えました」
「ならばそれでよい。今は焦る時でもあるまい?」
その一言で、少しだけ息が抜けた。
封筒が用意される。
ヴェラは座ったまま、それを見ていた。
だが、立ってはいない。
俺はそこだけ確認して、すぐ紙へ目を戻した。
封蝋が落とされる。
宛名は、セレネ。
差出人は、アードゥ。
それだけでは、まだ足りない。
それでも今は、その名前で出すしかなかった。




