29話 封印指定文書
リューネは、共著を抱えて廊下を歩いていた。
朝の城は、まだ少し冷えている。窓の外は白く、石の床には細い光が伸びていた。
俺とカイムは、その後ろをついて歩いていた。
俺の右手には包帯。カイムは姿勢こそ崩していないが、目元にうっすら疲れがある。それでも共著の角が曲がらないよう、リューネの腕の中にある紙束を時々見ていた。
リューネは、その視線に気づくたび、少しだけ肩を落とした。
「……こうなると思ったから、昨日あの話を切ったのに」
俺は、少しだけ視線を逸らした。
カイムも、書き板の端へ目を落としていた。
「止めきれなかった。私はただ、二人を寝かせに行っただけなのに」
リューネが低く言う。
「結果として、歴史的な共著が完成した」
「歴史に残さないで」
「リューネ殿。内容の是非は検討が必要ですが、少なくとも封殺のみで済ませるべきではありません」
「カイムも黙って。お願いだから」
カイムは少し不満そうに口を閉じた。
ヴェラの執務室の前で、リューネは一度深く息を吸った。
扉を叩く。
「入れ」
いつもの低い声が返ってきた。
扉を開けると、ヴェラは机の前に立っていた。黒い外套。片目の仮面。机の上には、すでに朝の報告がいくつも並んでいる。
リューネは無言で共著を机に置いた。
表紙が見える。
魔王様の可愛さと崇高さについて。
共著 アードゥ・テイカー/カイム。
ヴェラは、一拍だけ黙った。
それから、俺を見た。
「貴様、またこのような呪物を書いたのか」
「呪物ってことはないでしょう。魔王様の魅力をこれでもかと詰め込んだ珠玉の一品です」
「それ以上喋るな。燃やす」
ヴェラの手が、机の端の燭台へ伸びた。
まずい。
そう思った瞬間、カイムが一歩前に出た。
「お待ちください、ヴェラ様。こいつの文章は確かに酷い。しかし、魔王様を慕うその気持ちは本物です。どうか、燃やさずご一読を」
ヴェラの手が止まった。
だが、ヴェラの視線は俺ではなくカイムへ向いていた。
「カイム」
「はい」
「お前まで何をしている」
「魔王様の御名に関わる以上、文責を明らかにする必要があります」
「そういう話ではない」
ヴェラの声が少しだけ低くなる。
リューネが横で小さく息を吐いた。
「……ほら」
「何がだ」
「こうなるの。だから止めたの」
ヴェラはカイムを見たまま、低く言った。
「手遅れだな」
「言わないで」
ヴェラは共著をつまみ上げた。
表紙だけを見ている。本文はまだ開いていない。
「魔王様の目に触れさせるわけにはいかん。火を入れる」
「待って、ヴェラ」
今度はリューネが止めた。
ヴェラの仮面の奥の目が細くなる。
「お前も、馬鹿どもの肩を持つのか」
「一緒にしないで。燃やしたら駄目」
「何故だ」
リューネは俺とカイムを見た。
かなり嫌そうな顔だった。
「じゃあ、質問。燃やされたらどうする?」
「仕方ないからもう一度書く。今度はヴェラさんにもリューネにも見つからないように」
「ヴェラ様にもお読みいただけるよう、より内容を磨きます。次こそは必ず」
リューネがヴェラを見た。
「ほら」
ヴェラは片手で顔を覆った。
長い沈黙だった。
「……燃やせば終わるのではないな」
「終わらないと思う」
「見えない場所で増えるのか」
「増えると思う」
「ゴキブリめ」
ひどい言われようだった。
だが、燃やすという言葉は消えた。
ヴェラは机の引き出しから厚めの封筒を取り出す。共著を中へ押し込み、赤い紐で縛った。封蝋を落とし、仮面の奥からこちらを睨む。
「貴様ら、この書は私が預かる。似たような文章を見つければ、容赦なく切る」
「紙をですか」
「必要なら手もだ」
俺は右手の包帯を見た。
今の状態で切られたら、とても困る。
ヴェラは封筒の表に、迷いのない字で書いた。
封印指定。
魔王様関連私的文書。
閲覧禁止。
複写禁止。
追記禁止。
「複写も駄目ですか」
「追記もか」
俺とカイムの声が重なった。
「駄目だ」
リューネが疲れた声で言う。
「そこに食いつかないで」
カイムは少しだけ考え込む顔をした。
「では、改善案は口頭で」
「喋るな。頭が痛い」
ヴェラが即座に斬った。
言葉で。
封筒は机の脇に置かれた。燃えてはいない。破られてもいない。ただ、封印された。
封印。
悪くない。
人間は、開くなと言われたものほど開きたくなる。
秘されたものほど、ありがたがる。
つまり、遠い未来。
誰かがこの封印を破った時、魔王様の可愛さと崇高さは、ついに世へ放たれる。
これは、勝ちなのではないだろうか。
「勝った顔をするな」
リューネが言った。
「封印は敗北じゃない。長期戦だ」
「その解釈が一番怖い」
ヴェラは深く息を吐き、別の紙束を机の中央へ置いた。
「徹夜で呪物を書けるなら、報告書も書けるな」
「あれは呪物では」
「次に言えば燃やす」
「はい」
カイムが書き板を手に取る。
「煙の報告ですね」
「そうだ。グランの証言、煙の位置、風向き、人間側の反応。昼までにまとめろ」
「承知しました」
ヴェラは俺を見る。
「アードゥ。お前もだ。自分で拾ったものは、自分で書け」
「はい」
リューネが少しだけこちらを見た。
寝ればよかったのだ。
机の端に席を作られ、俺とカイムは並んで報告書に向かった。
カイムの字は相変わらず綺麗だった。俺の字は、徹夜と包帯のせいでいつもより少しひどい。
「君の字は、魔王様関連以外でも人を試すのか」
「お前の字が綺麗すぎるんだよ」
「努力の差だ」
「徹夜で共著した仲なのに厳しいな」
「それはそれ。これはこれだ」
そう言いながら、カイムは俺の書いた一文を破らずに横へ置いた。
封筒は、まだ机の脇にある。
共著は燃やされなかった。
破られもしなかった。
封印された。
つまり、まだ負けてはいない。




