15話 灰は良い肥料になる
翌朝になっても、焦げた匂いはまだ残っていた。
外縁の畑へ向かう道を歩きながら、俺は肩にかけた道具袋を何度も持ち直す。中には替えの縄、布袋、水袋、火傷薬、焦げた葉を分けるための小さな袋、それから昨日ガルムさんに渡された古い鋤が入っていた。
軽くはない。
特に鋤は重い。剣よりはまだ分かる重さだが、分かるからといって軽くなるわけではなかった。
昨日の火は、もう消えている。
それでも、黒くなった柵が見えた瞬間、胸の奥が少しだけ縮んだ。
畑の端には、すでにガルムさんがいた。低い朝日のせいで、広い背中の影が畝の上に長く伸びている。片手には鍬、もう片方の手には焦げた葉を入れる籠。昨日よりも顔は静かだったが、それは怒っていない顔ではなかった。
「来たか」
「はい」
俺は頭を下げた。
言うべき言葉は、決まっている。
「すみませんでした」
ガルムさんは焦げた畝から顔を上げた。
「謝罪なんぞ肥料にもならん。今日は手を貸せ」
言い方は荒かった。
それでも、そこで終わらなかった。
俺が返事をするより少し早く、ガルムさんは鼻を鳴らし、焦げた葉の山を指す。
「……灰は良い肥料になる」
短い言葉だった。
「混ぜていい灰と、捨てる灰がある。焦げた葉はこっち。油を吸った土はそっちだ。薬草の近くの灰は、リューネに見せてからにしろ。勝手に混ぜるな」
「はい」
「返事だけはいいな。腰はすぐ死にそうだが」
「そこは否定しづらいです」
「なら、死ぬ前に運べ」
農家の親父は厳しい。
だが、立っていると余計なことばかり考える。焦げた葉を拾えと言われれば拾える。土を分けろと言われれば、土を見る。それくらいなら、俺にもできる。
俺は畝の端に膝をつき、黒く縮れた葉を袋へ入れた。
指先に灰がつく。
昨日、リューネが巻き直してくれた包帯は新しいものに替えてある。それでも、握ると少し痛む。痛むくらいが、ちょうどよかった。
畑のあちこちでは、もう魔族たちが動いていた。柵を立て直す者、焦げた縄を外す者、水をかぶった箱を開ける者、小屋の奥へ避難させていた荷を戻す者。それぞれが昨日の続きをやっている。
「アードゥ。その袋、そこに置くな」
ガルムさんの声が飛ぶ。
「そこは通る。踏まれたら土が崩れる」
「すみません。じゃあ、こっちに」
袋を持ち上げ、通り道の外へ動かす。
ついでに、少し考えて水桶の位置も変えた。畝の間を行き来する者が、毎回桶を避けて大回りしている。あのままだと、そのうち誰かが畝をまたぐ。
「水桶、こっちに寄せます。ここなら、支柱の外を回れます」
ガルムさんがちらりとこちらを見る。
「分かるのか」
「荷物を運ぶには、道が一番大事なんです。足場が悪いと、荷物より先に俺が壊れる」
「そこは自慢するところじゃねえな」
「はい」
「だが、場所は悪くねえ。置け」
許可が出た。
少しだけ嬉しかった。
調子に乗らないよう、すぐ桶を運ぶ。
何往復かしたところで、畑の向こうから小さな影が見えた。
リューネだった。
昨日までの外套ではない。作業用の軽い上着に、少しまくった袖。杖は背中に斜めに固定され、両手には薬草を分けるための籠を持っている。
そして、頭には麦わら帽子。
麦わら帽子。
つばが少し大きく、黒い髪の上に乗っている。灰色がかった肌と赤紫の瞳に妙に似合っていて、城の廊下で杖を抱えていた時より、ずっと畑の中にいた。
なのに、俺の心臓には非常に悪い。
かわいい。
これは、だいぶ危険だ。
焦げた畑で何を考えているのかと自分でも思う。けれど、かわいいものはかわいい。
「何その顔」
リューネが畝の外で足を止めた。
普段よりも見下す度合が強い気がする。きっと帽子の影になっているからだ。そうに違いない。
「麦わら帽子って、いいもんだな」
「畑仕事用だよ」
「畑仕事用の可愛さがある」
「ない。作らないで」
リューネは籠を抱え直し、それから俺の足元を見る。
「そこ、少し踏んでる」
慌てて足を引いた。
かわいいに気を取られると畑が危ない。
学習した。
「リューネ、薬草はそっちだ」
ガルムさんが声をかける。
「焼けたのと、水をかぶったのが混じってる。使えるものだけ分けてくれ」
「分かった」
リューネは麦わら帽子のつばを軽く押さえ、薬草の棚へ向かった。
俺も焦げた葉の袋を担ぎ、そちらへ運ぶ。
薬草区画の前は、昨日よりも匂いが強かった。焦げた草の匂い、濡れた木箱の匂い、薬草本来の苦い匂いが混ざっている。
リューネは膝をつき、一つずつ葉を分けていく。黒く焦げたもの。端だけ焼けたもの。水を吸っているが使えるもの。捨てるもの。乾かせば戻るもの。手つきは早い。
「昨日の人間」
口に出してから、少し後悔した。
リューネの指が止まる。麦わら帽子のつばで、表情が少し隠れた。
「治してよかったと思うか?」
聞き方が悪かったかもしれない。
けれど、言い直す前にリューネが答えた。
「よかった、とは言いたくない」
小さな声だった。
でも、聞こえた。
「じゃあ、後悔してる?」
「してない、とは言わない。でも、しなければよかったとも言いたくない」
リューネは焦げた葉を一枚、捨てる籠へ入れた。
「変な答えだな」
「まだ変なままだから」
それ以上は言わなかった。
俺も聞かなかった。
代わりに、リューネが分けた籠を運ぶ。
使える薬草は小屋の陰へ。乾かすものは風の通る棚へ。捨てるものはガルムさんのところへ。
リューネは何度か俺を呼んだ。
こっちは丁寧に。
それは混ぜないで。
その箱は傾けないで。
水を吸った薬草は重いから、底を持って。
言われた通りに運んでいくと、焦げたものは一箇所へ集まり、使えるものは棚へ戻り、通り道が少しずつ空いていった。
「アードゥ、こっちもだ」
ガルムさんが、黒くなった支柱を抜いていた。片方の端は焦げているが、反対側はまだ使えそうだ。
「これは?」
「切って短い支柱にする。駄目なところだけ落とせばいい」
「全部捨てるんじゃないんですね」
「馬鹿言え。焦げたからって全部捨ててたら、冬までに何も残らん」
ガルムさんは支柱を俺へ投げた。
慌てて受け取る。
重い。
だが、持てる。
「畑ってのはな、同じには戻らん」
ガルムさんは焦げた畝へ鍬を入れた。
黒い土が返る。
「焼けた葉は焼けた葉だ。折れた支柱は元には戻らん。昨日燃えた分は、昨日燃えた分だ」
鍬の刃が、土を割る。
「だが、別の形には使える。灰は混ぜる。焦げた支柱は切る。駄目な葉は片づける。畑ってのは、戻すんじゃねえ」
ガルムさんは、こちらを見た。
「続けるんだ」
返事が遅れた。
「……はい」
「分かった顔をするのは早い。手が止まってる」
「はい」
俺は支柱を運んだ。
昼近くになる頃には、汗が背中に張りついていた。
リューネは麦わら帽子のつばを上げ、額の汗を袖で拭っている。その仕草がまた、よくなかった。土と汗と麦わら帽子。普段のリューネとは違う。
かわいい。
だが、今それを言うと作業用の鋤で殴られる気がする。
俺は黙って焦げた縄を運んだ。
生存本能は、土の上でよく育つ。
作業が一段落した頃、ガルムさんが焼け残った根菜を三つ持ってきた。昨日のものより少し小さく、端が焦げている。
「食え」
「いいんですか」
「焦げたところを落とせば食える。食えるものを捨てる方が畑に失礼だ」
ガルムさんは鉈で焦げた部分を落とし、一つを俺へ、一つをリューネへ投げた。
リューネは今度はちゃんと受け取った。
俺も受け取る。
泥と焦げの匂いがした。
かじると、昨日より固く、少し苦い。それでも、奥に甘さが残っている。
「……うまいです」
「焦げてるだろ」
「焦げてます。でも、うまいです」
ガルムさんは鼻を鳴らした。
「なら、まだ畑だ」
リューネも小さくかじる。少しだけ眉を寄せた。
「苦い」
「焦げたからな」
「でも、食べられる」
「そういうことだ」
ガルムさんは満足したように頷いた。
昼の光が畑に落ちる。
焦げたところは焦げたままだ。それでも、水桶の位置は変わり、薬草の棚には風が通り、折れた支柱は別の畝の端に積まれていた。
「明日も来い」
ガルムさんが言った。
「はい」
「明後日もだ」
「……はい」
「畑は一日で戻らん」
「分かりました」
「分かった顔じゃねえな。まあいい。運べ」
リューネが麦わら帽子を押さえながら、籠を持ち上げる。
「私も、明日来ればいい?」
ガルムさんは薬草区画を見た。
「来い。薬草の見分けが要る」
「分かった」
リューネは少しだけ不満そうに答えた。
でも、嫌そうではなかった。
俺はその横顔を見た。
麦わら帽子のつばの下で、赤紫の目が畑を見ている。
かわいい。
そして、少し強い。
そう言いかけて、飲み込んだ。
畑が危ない。
俺も危ない。
リューネがこちらを見る。
「今、何か言おうとしたでしょ」
「畑を守ったんだ」
「嘘つき。それはついで」
俺は黙って籠を受け取った。
灰が入っている。
軽そうに見えて、意外と重い。
魔物避けの鈴が、張り直された縄の先で鳴る。
ちりん、と細い音。
昨日より、少しだけ乾いた音だった。
俺は灰の籠を抱え直した。
ガルムさんは何も言わず、鍬を土へ入れた。




