5話 英雄の旅のはじまり
朝食を終えた後の水瓶とコップだけが残った机に沈黙が訪れる。
話すべきは、これからどうすべきか、だろう。それを決めなきゃいけないのは僕だ。
ウィローさんもそれがわかっているのか、静かに待っていてくれる。
「……僕は、」
ただ沈黙に耐えられず、声を出した。緊張で少し声が震える。
「正直、どうしていいかわからない。今まで村を出たことすらなかったから、旅がどれだけ大変なことか……何も知らないんだ」
自分の言葉に自信が持てない。言葉が逃げてしまう。
「ウィローさんはどうして旅に出たの?」
「えっと……私の家族はみんな冒険者だったんだ。特におばあちゃんは英雄って呼ばれるくらいすごい人だった」
家族。僕には遠く、少し実感がわかないが、彼女にとっては理由になるほど大切なものなんだろう。
「ずっと、旅の話を聞いて育ってきた。だから、私も旅に出たいって、自分の目で世界を見たいって思ったの」
「そっか、昔からずっと……」
まるで冒険者になるために生まれてきたみたいだ。
旅にでるための理由。過去の出来事。そして、それを可能にする実力。僕に持っていないものをたくさん持っている。
「僕は、ほんとに旅に出れるのかな……」
「旅に出るために必要な能力はいくつもある。きっとエラルドには足りていないものの方が多い」
厳しい言葉に少し場が冷えたようにも感じた。でも、と彼女は続ける。
「旅に必要なものは、旅の中でしか得られないって私は思ってる。だから、できるかできないかに囚われ続けなくていいと思う」
そこで、ウィローさんは何かを思い出したかのように手を打った。
先ほどにもまして笑顔で話し出したのはこんな話。
「……エラルドはさ、モノミスって知ってる?」
「知りません」
聞いたことのない言葉だった。
記憶喪失になったからと言って、言葉が喋れなくなったわけではなかった。だから、この言葉は”前”にも聞いたことがない。
「”英雄の旅”って意味なんだ。英雄は日常を飛び出して、冒険の中で困難に立ち向かい、いずれ大切なものを見つけて帰ってくる……そう決まってるの」
「……どうしてその話を?」
「実はそんなに深い意味はないよ。昨日、エラルドを見たときに、私の大好きな物語の主人公になんだか似てるなって思ってて……ただそれだけ」
気にしないで、と彼女は言ったが、自分の中で何かが変わる音がする。
日常を飛び出した冒険。それはとても魅力的。
でも、それ以上に気になったのは、”大切なものを見つけて帰る”ところ。
大切なもの。例えば僕のなくした記憶とか。
「ねえ、エラルド。君はどうしたい?」
その瞬間、体を風が吹き抜ける感覚がした。
果ても見えない草原に立っているかのような、あるいは木々の間から葉の音を聞いているかのような。
まるで自分自身が風なのではないかと思うほどの開放感。
あまりに心地よい感覚に目を閉じる。そして、あまりに広大なこの世界を夢想する。
この広大な世界に、僕の探し物がある。
「旅に、出たい」
次に目を開けたとき、思わずそう呟いていた。
「そっか」
目の前の草原のような、優しい緑の瞳と目が合う。
笑っている彼女の表情に安堵を覚える。
「じゃあ、一緒に行こう」
「え?」
「もちろん、君が嫌じゃなければだけど」
突然の提案。あっけらかんとしたいい様に驚きの声がでる。
「いいの? 僕は助かるけど、ウィローさんは……」
「うん。私としても旅の仲間がいると心強いし」
そこまでは”冒険者”だった彼女の顔が”旅人”に変わる。
「誰かと一緒に旅をしてみたかったんだ。冒険は一人で味わうにはもったいないくらい最高に面白いから!」
出会ってから一番まぶしい笑顔を向ける。背中に太陽を背負っているみたいだ。
「これは、旅人としてのお願い……私と一緒に旅をしない?」
伸ばされる手を掴まずにはいられなかった。
「……よろしくお願いします!!」
「うん、こちらこそよろしく! ……あっ、旅の仲間になるんだから敬語禁止ね」
「えっ、わ、分かった」
前途多難かもしれない。でも、この旅立ちにわくわくせずにはいられない。
◇
荷物をまとめて宿を出ると、まだ低い太陽に照らされる街並みが見えた。
町外れの高い位置にあるからこそ、この景色が見えるんだろう。
「これからどこに行くの?」
「私は東に向かって……レイファンに行こうと思ってる。それでいいかな?」
レイファン国。たしか、この辺りでは一番大きくて、人口も多い大国のはずだ。
「わかった。何か理由があるの?」
「さっきもちょっと話したけど……大好きな物語があって。その物語の主人公が最初に旅をするのがレイファンなんだ」
たしか、旅に出た理由として、世界を自分の目で見たいと言っていたはず。
本当に夢を叶えるための旅路なんだ。
――僕も、そうなりたい。
「わかった」
「じゃあ、出発! エラルドにとってはこれが第一歩だよ!」
そう言われて、踏み出した。いつもより、大地が僕の足を強く押し返す。
「目指すはレイファン。まずは街を東に抜けてさらにその先に!」
進める足が砂と枯れ草を巻き上げる。その爽快感が僕らを前に前に押し出してくれる。
こうして、旅が始まる。
6話は 5/27 20:00 投稿予定です




