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チュートリアル  作者: 鈴木 一
Episode.001 : First Meeting
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Episode.001-01

[ ――『エレウシス』 日本フラグメント―― 7月26日 20:17(UTC + 9:00) ]


 不規則に林立する針葉樹の間を縫うように、黒い影が獣を思わせる俊敏な動きで駆け抜けていく。新雪の降り積もった不安定な足場を物ともせず、月明かりだけを頼りに彼は駆ける。結わえられた黒髪は、鳥獣の尾が如く縦横に飛び跳ねて、夜闇よりも艶やかな漆黒の外套が、疾走の風を孕んで翻った。

 彼の走りゆく先には、足元に広がる雪原と同じ純白色をした兎が一羽、無防備に中空を見つめている。


(現実世界じゃ、こうは行かんよな……)


 気配を消すでもなく、ただ猛然と駆け寄る男――黒血――の存在が近付いても、雪のように白い兎は、逃げ出す素振りを見せない。黒血が懐から“ナイフ”を取り出し、斬り込もうとしても、兎特有の長い耳をぴくぴくと動かすのみだ。

 無害で愛らしい小動物に対して、一方的に暴力を振りかざさんとする自分に心が痛んだのか、黒血は、一瞬だけ表情を曇らせる。しかし、意を決したように裂帛の息を吐き出すと、彼は、“ナイフ”を横薙ぎに振り抜いた。


「はぁっ!」


 黒血の振るった“ナイフ”が、白い兎、雪兎スノーラビットというモンスターの首筋に触れた途端、“ナイフ”と“ナイフ”を持つ彼の手までが、幾条かの黒い雷を模したエフェクトに包まれた。攻撃に【神滅属性】が付与された証である。付与された属性から考えるに、雪兎スノーラビットカルマは、【秩序】だったのであろう。

 黒血からの不意打ちをまともに食らった雪兎スノーラビットは、ただの一撃で物言わぬ屍と化す。黒血の繰り出した“ナイフ”による斬撃がヒットした瞬間、雪兎スノーラビットの頭上に“Fatal Attack!”という文字と共に“90”と与ダメージ――雪兎スノーラビットからすれば被ダメージだが――が表示されたので、雪兎スノーラビットのライフポイントが90以下だという事が分かる。今回は、“Fatal Attack”判定の攻撃――攻撃が急所にクリーンヒットした場合に発生し、攻撃対象とのレベル差が一定以内であれば、相手を一撃で死に至らしめる――が発生したので、恐らく雪兎スノーラビットのライフポイントは90である。


「ふぅー、意外としんどいかも」


 雪兎スノーラビットを一閃の下に斬り倒した黒血であったが、行使した肉体の仕事量と比べると、存外の疲労を感じていた。恐らくは、戦闘行為という非日常に対する心理的な消耗だろう。

 当然の事ながら『Raison D'etre Online』では、安全面と倫理面を鑑み、戦闘行為に付随する各種の感覚フィードバックは、極小さく設定されている。攻撃が当たったか外れたか、防がれたか通ったか程度の微小なフィードバックである。そもそもサーバー プログラム側で、大きな感覚フィードバックが生成されないようにコーディングがされている上に、仮想現実(VR)デバイス『Gnosis(グノーシス)』の“パルス デコーダー”でもフィードバック強度の閾値が設定されている為、万が一想定外の感覚フィードバックが発生したとしても、利用者がそれを受け取る事はない。

 しかしながら、自分自身の投影とも言える仮想体アバターを使って行われる行為には、現実世界と変わらぬ程の臨場感が伴い、戦闘行為ともなれば、それが及ぼす精神圧迫は無視できないレベルになる、というのは、ゲーム開発当初から指摘されていた事だ。戦闘職として『Raison D'etre Online』を楽しみたければ、構えだの間合いだのよりも、まずは戦う者としての“心”を身に付ける必要があるだろう。

 特定の神経伝達物質の放出を仮想現実(VR)デバイスによって誘発する事で、感情や思考をコントロールできる、という事は、軍用デバイスの実験の中で明らかとなっている科学的事実ではあるが、そのような技術は、人道的見地から禁忌とされている。このゲームにおいても、当然、そのようなメンタル面でのシステム アシストは存在しない。


「襲い掛かってくる猛獣とか化け物の相手は、結構ハードル高いかもなぁ」


 黒血が倒した雪兎スノーラビットは、言わば“ぬいぐるみ”のような存在である。見た目に迫力は欠片もなく、向こうから攻撃を仕掛けてくる事もない。雪兎スノーラビットと対峙した際に感じる恐怖心というものは、力を行使する事に対する恐怖心であり、格闘技経験者の黒血にしてみれば、克服するのは容易いだろう。

 しかし、今後出会うであろう凶暴なモンスター達は、恐らく強大な威圧感を放ち、容赦なく攻撃を仕掛けてくる筈で、そういった存在と相対した時、現実世界では味わうべくもない精神圧迫に晒される可能性がある。痛みが殆ど出力エミュレートされないとはいえ、現実世界と寸分違わぬ写実性を誇るこのゲームにおいて、黒血の言う“猛獣とか化け物”の攻撃を受ければ、相応の恐怖を脳が――『Gnosis』によってエミュレートされた神経系の働きとは別に――作り出してしまうのは、自明な事だ。


(ゲーム内で熊とか虎に襲われたら、冷静でいられる自信がないわ……)


 そういう意味では、小動物を狩る事から、戦闘行為に段々と“慣れ親しんで”いくのも合理的な選択肢なのかも知れない、と黒血は今後の行動方針を検討していた。




「おっと。せっかく狩ったんだから、腐らせたらもったいないな」


 そう言うと黒血は、思考を中断し、消滅する事無く地に伏したままとなっていた雪兎スノーラビットの死体へ、“ナイフ”を片手に近寄っていく。流血はおろか、雪兎スノーラビットの亡骸には、傷痕一つ見当たらなかった。

 先程の戦闘では黒血も意識していなかったが、このゲームには、残酷描写というものが殆ど存在しない。仮想現実体験が自己同一性アイデンティティーの形成に及ぼす影響を考慮して、『Raison D'etre Online』は、15歳以上対象――特定のアダルト コンテンツを除く――という区分にレーティングされており、多少の残酷描写は許容される筈であるのに、だ。戦闘行為に臨む上での、心理的な障害の緩和が目的なのであろうか。

 しかしながら、徹底的な残酷描写の排除が、仮想現実のリアリティを損なっている点について、黒血は――そういう嗜好の持ち主ではないが――、少々物足りなさも感じていた。

 ともあれ彼は、全く損傷のない雪兎スノーラビットの死体へと手を伸ばし、それに軽く触れた。すると、雪兎スノーラビットの死体からホログラムのメニュー画面が浮かび上がり、【解体】と【抽出】という選択肢が提示される。黒血は、【解体】を選択し、“ナイフ”を構えた。


 このゲームでは、一部の例外を除いて、モンスターを倒しただけで自動的に戦利品が入手できる訳ではない。戦利品を手に入れる為には、モンスターの死体から自分でアイテムを“取り出す”必要がある。倒したモンスターからアイテムを入手する為の作業が、【解体】や【抽出】などといったプロセスなのだ。

 黒血が選択した【解体】という行為は、一定時間内――【解体】スキルの熟練度によって変動する――に、定められた順序、道筋でモンスターの死体を刃物系アイテムで“なぞる”というもので、成功すれば戦利品の獲得確率が上昇する。【解体】スキルの熟練度が【解体】対象に対して一定の値を超えていれば、なぞるべき道筋と順序は、モンスターの死体上に示されるので、慣れてしまえば、単純な作業となる筈だ。

【解体】作業には、戦利品の獲得確率を向上させるという目的の他に、【生物学】スキルの鍛練という側面もある。【生物学】スキルは、学問スキルであり、主に冒険クエストなどで必要とされるスキルであるが、戦闘ダメージにプラス補正をもたらす効果もあるので、戦闘系のプレイヤーにとっても有用である。冒険以外で【生物学】スキルの熟練度を高められるという事で、戦利品獲得においては、多くの戦闘職が【解体】を選ぶだろう。

 一方、【抽出】は、特別な作業を必要とせずに戦利品を入手できる選択肢だ。ただし、戦利品の獲得確率は、【解体】と比べると極端に低い。

 この【抽出】という作業は、短時間で完了する為、【解体】作業を行う余裕がない場合の選択肢となる他、【解体】作業その物に嫌悪感を抱くようなプレイヤー達への救済措置でもあった。【抽出】スキルが、生産材料の1つである“魔素まそ”の採取スキルでもあるのは、生産者の中には、【解体】のような血生臭い行為を嫌う人々が多くいるのではないか、という開発者側の配慮なのかも知れない。

 また、アイテムを装備しているモンスターを倒した場合には、死体から装備品を剥ぎ取る事もできる。剥ぎ取りは、犯罪者フラグ――ゲーム内での犯罪行為を行ったキャラクターを犯罪者として識別する設定値――こそ立たないものの、カルマを低下させる【窃盗】行為であり、【窃盗】スキルによって成功率が変動する。


 さて、黒血の【解体】スキルの熟練度は、当然0であり、【解体】を開始しても雪兎スノーラビットの死体に変化は見られない。黒血は、闇雲に雪兎スノーラビットの死体の上で“ナイフ”を移動させ、初めての【解体】作業を進める。


「……ま、最初はこんなもんだよな」


 結局、黒血の初【解体】作業は失敗に終わり、戦利品として得られた物はなかった。【解体】作業に失敗しても、戦利品の獲得確率が【抽出】実行時より下になる事はないらしいので、単純に黒血の運の問題であろう。




 初めての【解体】作業を終え、顔を上げた黒血の目線の先、木々の隙間が偶然作り上げた森林の間隙に、小さく人影が横切った。彼が目を凝らして見てみると、どうやら複数の人間――それも全てNPC――が、この先の森に集まっているようである。

 好奇心をそそられた黒血は、ゆっくりと立ち上がり、NPCの集団がいる方向に向けて歩き出した。数歩を進んだ所で、ふと黒血の眼前にホログラムの薄板コンソールが出現し、でかでかとシステム メッセージを表示する。


《Dramatic Destiny begins......》


 劇的な運命が始まる、システム メッセージには、そう表示されていた。


「これはあれか、“出会い系クエスト”か?」


 一定の条件――プレイ スタイルや『女神の試し』の結果などが適合する――を満たした複数人のプレイヤーが、特定の範囲内に集まった時、ランダムで発生する突発系クエスト。それが、黒血の言う“出会い系クエスト”だ。

『Raison D'etre Online』のサービスが開始される前、インターネット上に一部の開発情報がリークされた事がある。リークされた情報は、10分以内にあらゆるネットワークから削除され、それを見付けた人間は、世界中でも数える程度だろうと言われているが、情報のリーク自体は黒円くろまるグループも認めており――どうやら、ゲーム開始前から情報収集に励んでいたプレイヤーに対する“レア報酬”として開発チームが意図的に情報をネットワーク上に配置したらしかった――、それ以降、度々インターネットでは、リーク情報をネタ元と称する様々な怪情報が飛び交った。

 怪情報の中でも特に信憑性が高いとされていた情報群の一部には、“出会い系クエスト”の事を“DD”という開発コードで呼んでいたものが存在しており、『Raison D'etre Online』の“まとめサイト”でも、未確定情報ながら、そのように記載がされていたので、“Dramatic Destiny”という文字列を見た黒血の脳裏には、“出会い系クエスト”の事が過ったのであろう。

 この“出会い系クエスト”は、名前の通り、ゲーム内の情報を多角的に分析し、相性の良さそうなプレイヤー達を出会わせ、共通のクエストを与える事で、コミュニケーションの活発化を図る意図を持ったクエストであり、一部からは、お節介であるだとか、ソロを邪魔されたくないだとか、否定的な意見が多く上がった仕様でもある。今、黒血が遭遇している状況が、果たして本当に“出会い系クエスト”なのかは不明だが、黒血は、“出会い系クエスト”については、賛成派の人間であった。


(開始早々、テンコ盛りだな……。皆そうなのかな)


 ゲーム開始から1時間30分程度しか経過していないにも関わらず、相性がどうのこうのと判断できるのか、という疑問を感じつつも、黒血は、期待――大部分は女性プレイヤーとの出会いへの期待――を胸に、歩みを進めた。



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