真実
佐伯(犬)の言葉に、部屋の空気が静かに張り詰めた。
涼太は思わず姿勢を正す。
「知らされていないこと……ですか。」
佐伯(犬)は静かに頷いた。
「君は、NCTで何が移ると教わった。」
「……その人自身ですか。」
涼太は続ける。
「思い出も、感情も……。」
佐伯(犬)はしばらく黙っていた。
やがて、小さく口を開く。
「それは、私もかつて信じたかった答えだ。」
その言葉には、どこか寂しさが滲んでいた。
「私はこの国で最も多くのNCTを研究した研究者だった。」
「自己意識は移る。」
「そう証明したかった。」
「長い間、研究を繰り返した。」
「データを比較し、移送後も観察を続けた。」
佐伯(犬)は机の上の古い端末を操作する。壁に数枚のグラフが映し出された。
涼太には内容までは分からない。
ただ、長い年月を掛けて積み重ねられた研究であることだけは伝わってきた。
「結果は、一つだった。」
佐伯(犬)は静かに言う。
「記憶は移る。」
「知識も移る。」
「話し方や癖も移る。」
「だから周囲の人間は、本人だと思う。」
涼太は小さく頷いた。
「でも。」
佐伯(犬)はそこで言葉を切った。
「感情だけは、完全には保存されず、少しずつ失われていく。」
部屋が静まり返る。
「嬉しい。」
「悲しい。」
「怒る。」
「愛する。」
「そういう、人間らしさだけが、時間とともに薄れていく。」
涼太は眉をひそめた。
「でも……。」
「本人は、自分が変わったって気付かないんですか。」
「気付かない。」
佐伯(犬)は即答した。
「記憶は連続している。」
「昨日までの出来事も覚えている。」
「家族の名前も。」
「好きだった食べ物も。」
「人生も。」
「だから、自分は自分だと思い続ける。」
「周囲も、本人だと思い続ける。」
佐伯はゆっくりと涼太を見上げた。
「だが。」
「感情が薄れている中で、自己意識は本当に存在しているのか。」
「私は最後まで証明できなかった。」
涼太は言葉を失う。
教科書で学んできた世界。ニュースで見てきた世界。その土台が、静かに音を立てて崩れていく。
「じゃあ……。」
「今までNCTを受けた人たちは……。」
佐伯(犬)は静かに頷いた。
「国民は誰も知らない。」
「本人も。」
「家族も。」
「自己意識が本当に残っているのか、それとも記憶だけなのか。」
「確かめる方法が存在しない。」
「私に自己意識があると思いますか?」
涼太には答えが出せなかった。
「そんなこと……。」
「公表しなかったんですか。」
佐伯(犬)は静かに目を閉じた。
「公表しようとした。」
「だが、その前に私は殺された。」
その一言で、部屋の空気が再び凍りついた。




