冬
ー半年後ー
窓の向こうには冬の東京が広がっていた。高層建築の間を縫うように空中輸送機が静かに行き交い、地上では自動運転の車が一定の速度を保ちながら流れている。
神崎が机の前に座ると、空間に病院からの接続要請が表示された。神崎が承認すると、目の前に午前中の診察を担当した医師の姿がホログラムとして現れた。医師は一礼したものの、すぐには話し始めなかった。そのわずかな間に、神崎は何かを察した。
「……結果が出たのか」
「はい」
医師は手元の情報を確認し、それから神崎へ視線を戻した。
「検査結果について、直接お伝えした方がよいと判断しました」
神崎は黙って頷いた。
ホログラムの横に検査データが展開され、身体機能に関する数値が順番に表示されていく。神崎は政治家として、こうした数字を何十年も見てきた。だからこそ、画面の一番下に表示された診断結果の意味も、説明される前から理解していた。
身体状態を維持できる期間――約3ヶ月。
神崎は、しばらくその数字を見つめていた。
「……3ヶ月か」
「治療によって多少前後する可能性はあります。ただ、現在の状態から大きく延びることは期待できません」
医師の言葉を聞きながら、神崎は不思議なほど冷静だった。死を告げられたというのに、取り乱すこともなければ、怒りが込み上げてくることもない。ただ、胸の奥に重いものが沈んでいくような感覚だけがあった。
「分かった、下がってくれ。」
神崎がそう答えると、医師は一礼し、ホログラムが静かに消えた。
執務室に一人残された神崎は、しばらく椅子から動かなかった。
窓の外では、東京が何事もなかったかのように動き続けている。自分がいなくても、この街は止まらない。AIが交通を管理し、行政を動かし、医療を支え、人々の生活を最適な状態へ導いていく。神崎が何十年もかけて築き上げてきた仕組みは、もはや一人の政治家がいなくなった程度では揺るがないところまで来ていた。
それは、神崎にとって誇らしいことだったはずだ。そう思いながら、ふと目を閉じた。
その瞬間、妻の顔が浮かんだ。
妻が亡くなった時、自分は泣いた。何も考えられなくなるほど悲しく、もう二度と声を聞くことも、手を握ることもできないという現実を受け入れるまでに長い時間がかかった。息子を失った時も同じだった。あれほど大切な人間を失って、平然としていられるほど、自分は強くなかった。
あの頃の自分には、今とは違う感情があった。
政治家になったばかりの頃もそうだった。政策について国民と激しく議論し、間違っていると思えば腹を立て、自分の政策を批判されれば悔しさを隠さなかった。一方で、自分の言葉によって誰かの生活が変わったと知れば、心から喜んだ。
政治家としての評価は決して一つではなく、賛成する者もいれば、強く反発する者もいた。それでも神崎を支持する国民は多かった。
神崎は、そんな自分を嫌いではなかった。むしろ、自分が信じるものを自分の言葉で語り、人々とぶつかりながらでも前へ進んでいくことこそ、政治なのだと思っていた。
では、いつから変わったのだろう。
神崎はゆっくりと目を開いた。
AIを政治に取り入れたこと。そして、自分自身が脳移植を受け入れたこと。その二つが、すべての始まりだったのかもしれない。
この国の未来を見届けたいという思いもあった。自分が積み重ねてきた経験を、次の時代のために役立てられる。それは政治家として、大きな意味を持つことだと思っていた。
だが、時間は神崎が思っていた以上に残酷だった。
妻と息子が亡くなり、友人たちも、一人、また一人といなくなった。かつて政治について語り合った仲間も、若い頃に競い合った政治家たちも、いつしか歴史の中の名前になっていった。
気がつけば、神崎の周りにいる人間は、何度も入れ替わっていた。そのたびに別れを経験し、そのたびに新しい人間関係を築いた。そして、いつしか神崎は、人の人生を一つの時間の流れとして見るようになった。
誰かが幸せになり、誰かが不幸になる。その先に何が起こるのかを考える。AIは、そうした未来を数字で示してくれた。
今は苦しくても、50年後にはより多くの人間が豊かになる。今の生活を犠牲にすれば、次の世代の幸福度は上がる。
神崎は、その数字を信じて政策を選び、そして数字は良い結果を出していった。それは、政治家として正しい判断なのだと思っていた。
AIが示す幸福度は、過去最高を更新し続けている。
何一つ、間違ってはいない。
それなのに――。
神崎は、自分の胸の奥に残る違和感を拭えなかった。




