表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
器ーうつわー  作者: 天城そら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/38

地下2階

 宗一郎はゆっくりと鉄扉を閉めた。


 カチッ。


 電子ロックが再び作動する。


 外の廊下から、この非常階段の存在を知る者はいない。階段には非常灯だけが淡く灯り、冷たいコンクリートの壁が地下へと続いていた。


 宗一郎は小さく息を整える。


 「行きます。」


 佐伯(犬)は無言で頷いた。


 2人は足音を殺しながら、一段ずつ階段を降りていく。聞こえるのは自分たちの呼吸と、空調設備の低いうなりだけだった。


 地下2階


 と表示されたプレートが視界に入る。


 宗一郎は立ち止まり、扉へ耳を当てた。


 物音はない。


 佐伯(犬)が静かに合図を送り、宗一郎はゆっくりとドアノブを回した。


 ロックは掛かっていなかった。わずかに扉を開き、廊下の様子を窺う。


 白く長い廊下。


 天井には間接照明が等間隔に並び、昼夜の区別がないような明るさを保っている。


 宗一郎は目を見開いた。


 「……。」


 人がいる。


 白衣姿の医師と研究着を着た研究員。


 宗一郎は思わず足を止める。


 「こんな時間に……。」


 佐伯(犬)は小さく首を振った。


 「勤務ではありません、見てください。」


 宗一郎が視線を向けると、廊下の先は全面ガラス張りになっていた。


 その向こうには広い食堂が広がっている。


 医師や研究員と思われる者たちが、整然と席に着き、食事をしていた。


 だが――。


 誰一人として会話をしていない。


 食器が触れ合う小さな音だけが静かに響き、十数人もの人間がいるとは思えないほど静まり返っていた。


 笑い声も、雑談もなく、互いに視線を交わす者すらいない。ただ黙々と食事を口へ運び、食べ終えた者から無言で席を立っていく。


 その光景の異様さに気づいた瞬間だった。奥の席に座る1人の女性へ、佐伯(犬)の視線が止まった。


 美冬。


 調査資料で見た彼女の姿がそこにいた。感情のない表情で、静かに食事を続けている。かつて自分に向けてくれた笑顔も、声も、温もりもない。


 ただ、そこに存在しているだけだった。


 佐伯(犬)の胸の奥が強く締め付けられる。


 「……美冬」


 声に出しそうになる。


 今すぐ駆け寄りたかった。


 しかし――。


 ここで動けば、すべてが台無しになる。今は耐えるしかない。


 目の前にいるのに、声をかけられない。


 その苦しさを抱えながら、佐伯(犬)は地下3階への道へ視線を移す。


 2人は物音を立てないよう食堂の前を通り過ぎると、その先には、地下へ続く階段があった。


 佐伯(犬)が小さく頷く。


 「ここからです。」


 宗一郎はゆっくりと階段へ足を掛けようとした。


 その瞬間だった。


 コツ……コツ……。


 階段の下から足音が響き、宗一郎の全身が強張る。


 誰かが上がってくる。逃げられない。


 宗一郎は思わず佐伯(犬)を抱き寄せ、壁際へ身を寄せた。


 足音は徐々に近付く。


 そして――。


 1人の男が地下3階から姿を現した。


 黒崎和馬。


 宗一郎の心臓が大きく脈打つ。


 見つかった。そう思ったが、黒崎は宗一郎と佐伯(犬)のすぐ横を、まるで誰も存在していないかのように通り過ぎていった。


 そのまま歩き続け、ガラス張りの食堂へ入り、何事もなかったように空いている席へ腰を下ろした。


 宗一郎は呆然と立ち尽くす。


 佐伯(犬)は小さく囁いた。


 「……行きましょう。」


 宗一郎は静かに頷いた。


 2人は、慎重に階段を降りると地下3階へ続く扉の前に立ち、重い扉をゆっくりと開いた。


 その先に広がっていたのは、長い廊下だった。地下2階の施設とはまったく違い、人の気配がなく、静かすぎる空間だった。


 白い壁に囲まれた通路は、どこまでも続いているように見えた。


 宗一郎は周囲を警戒しながら歩く。


 「……ここは、一体」


 そう呟いたが、答えられる者はいなかった。


 佐伯(犬)は何も言わず、ただ前を見つめていた。


 やがて――。


 廊下の先に、1つの大きなガラス張りの部屋が現れた。


 その瞬間、佐伯(犬)の足が止まった。


 宗一郎は不思議そうに彼を見る。


 「佐伯さん?」


 しかし、佐伯(犬)は答えなかった。


 目の前の部屋。


 そこに並ぶ設備、手術台を囲む精密機器、神経接続を行うための装置、生命維持装置そして、脳を扱うために設計された特殊な構造。


 1つ1つを確認するたびに、佐伯(犬)の中で確信へ変わっていく。


 これは、脳移植を行うための手術室だ。


 かつて自分が理論として考えていたものであり、実現すれば、人間の存在そのものを変えてしまう技術。だが、倫理の壁によって決して越えてはいけないと考えていた領域。


 それを、葉山は現実にしていた。


 「……」


 佐伯(犬)は言葉を失った。


 自分の研究が、知らないところで利用され、しかも、人の命を救うためではなく――、別の目的のために。


 佐伯(犬)は、しばらくガラス越しの手術室を見つめていた。胸の奥に、言葉にできない感情が渦巻いていた。


 やがて、2人は再び歩き出す。


 手術室のさらに奥、そこには、周囲とは明らかに異なる1つの扉があった。研究施設の扉とは思えないほど、重厚で閉ざされたものだった。


 佐伯(犬)は、扉を見つめたまま答えた。


 「ここです。」

最後まで『器ーうつわー』を読んでいただき、ありがとうございます。


もしこの作品が少しでもあなたの心に残ったなら、ぜひ評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ