地下1階
翌日――。
葉山総合病院、地下1階研究棟
宗一郎の研究室には、いつものように静かな空気が流れていた。
天音は、予定どおり、亡き母の実家へ身を隠し、最低限の衣類と生活用品だけを持ち込み、しばらくは外部との接触を避けることになっている。
山間部にあるその家は、人の出入りも少なく、葉山たちの目が届く可能性は低かった。
「天音は、しばらく大丈夫だと思います。」
佐伯(犬)は静かに頷いた。
「ですが、それも時間の問題です。追加検査へ来ないことを葉山たちは不審に思うでしょう。」
宗一郎は腕を組む。
「その前に、証拠を掴んで止めましょう。」
宗一郎は空中ディスプレイへ視線を向ける。
そこには佐伯(犬)が、膨大な病院データを静かに整理していた。やがて操作を止めると、佐伯(犬)は宗一郎を見上げる。
「では、計画を説明します。」
宗一郎は椅子を引き寄せ、佐伯(犬)の向かいへ腰を下ろす。
佐伯(犬)は空中ディスプレイを操作した。病院全体の立体図がゆっくりと浮かび上がる。
宗一郎が普段見慣れている地下1階。
そのさらに下へ画面が移動する。
地下2階。
地下3階。
宗一郎は思わず息をのむ。
「……こんな階層が。」
「私のIDでは、一度も表示されたことがありません。」
佐伯(犬)は静かに頷いた。
「地下2階と3階の存在は、一般の医師はもちろん、研究員ですら存在を知らない人が大半です。」
宗一郎はゆっくりと立体図を見つめた。
「ここが……葉山たちの本当の研究所。」
佐伯(犬)は地下3階を拡大表示する。広大な研究施設、その最奥には、一際広い部屋が映し出された。
「ここが理事長室です。」
「葉山は表向きには病院長ですが、この地下研究所では理事長でもあります。」
宗一郎は静かに呟いた。
「裏の顔……ということですね。」
「はい。」
佐伯(犬)は短く答えた。
「そして、私たちの目的地もここです。この部屋に金庫があります。」
宗一郎は画面へ目を向ける。
「金庫……。」
「はい。」
「当時、葉山から依頼され、私が設計したものです。葉山は、『世界最高峰の研究データを保管する場所が必要』と言っており、私も、それを疑いもしませんでした。」
佐伯(犬)は自嘲するように笑う。
「研究者として、大切なデータを守るためだと信じていたのです。」
宗一郎は黙って耳を傾ける。
「葉山は、私の研究データを保存したキューブを、その金庫へ納めました。その瞬間、私のキューブとは別に、もう1つキューブが入ってるのを見ました。」
宗一郎は眉をひそめた。
「何が入っていたんですか。」
「分かりません、ですが、あの男は重要な情報ほど、ネットワークには残しません。誰にも改ざんされず、誰にも消されない場所へ保管する。」
「それが葉山のやり方でした。」
宗一郎はゆっくりと頷く。
「つまり、その金庫には……。」
「現在も、葉山にとって最も重要な機密データが保管されている可能性が高い。」
佐伯(犬)は静かに答えた。
「はい。」
「確証はありませんが、私の知る葉山なら、そうしているはずです。」
宗一郎はしばらく黙って立体図を見つめていた。
「地下2階と3階の構造は分かりましたが、そこへ行く方法がありません。」
佐伯(犬)は静かに頷いた。
「その通りです。正面から入ろうとすれば、その時点で終わります。」
宗一郎は腕を組み、再び立体図へ目を向けた。
「他に方法はあるんですか。」
佐伯(犬)は机の引き出しから、小さな黒いキューブを取り出した。
「これです。」
宗一郎はキューブを見つめる。
「これは?」
「電子キーです。私が作りました。」
佐伯(犬)は静かに続けた。
「現在のシステムを解析したところ、基本構造は当時から大きく変わっていませんでした。そこで、当時の認証方式をベースに電子キーを新たに製作しました。」
宗一郎は驚いたようにキューブを見つめた。
「…天才ですね。これを使って地下へ侵入すると……。」
「はい。」
佐伯(犬)は静かに頷いた。
「地下1階から地下2階までは、このキーで侵入できます。その先の構造は私が把握しています。」
佐伯(犬)は地下2階の立体図を拡大した。
「地下2階へ出ると、この廊下があり、その先に地下3階へ続く連絡通路があります。現在も大きく構造は変わっていないはずです。」
宗一郎は静かに息を吐いた。
「つまり、地下3階までの侵入が可能と。」
「ええ。」
2人はその後も、侵入経路や施設内の動きについて慎重に確認を続けた。
「あとは、警備が薄くなる時間帯ですね」
宗一郎が呟く。
佐伯(犬)はしばらく沈黙した後、答えた。
「19時です」
「19時……」
「研究員の交代や施設内の移動が重なる時間帯です。その瞬間だけ、監視の目が分散します。」
「わかりました、決行は19時にしましょう。」
宗一郎の言葉に、佐伯(犬)は静かに頷いた。




