決断
聞き慣れない言葉に、リビングの空気が凍りついた。
「器……?」
天音は小さく呟いた。
「身体を使うということですか。」
佐伯(犬)は静かに頷いた。
「はい、葉山たちが欲しいのは、NCTで必要な提供者……脳死の患者ではありません。」
「健康な身体です。」
リビングに静寂が落ちる。時計の秒針だけが、小さく時を刻んでいた。
佐伯(犬)はゆっくりと言葉を続ける。
「葉山たちは、自分たちが老いるたびに、新しい身体へ脳を移しています。表向きには、その身体の持ち主は事故や病気で脳死という偽りの診断をされ、身体提供を受けているのです。
天音は顔を強張らせた。
「そんなこと……。」
「そんなこと、本当にできるんですか。」
佐伯(犬)は苦しそうに目を閉じる。
「できます。私は、その技術を研究していました。そして、葉山はその技術を利用し、自分達だけのものにしたのです。」
宗一郎は拳を握り締める。
「じゃあ……。」
「適合者というのは。」
佐伯(犬)は宗一郎を見つめた。
「脳移植が成功する可能性の高い身体です。」
「神経受容率が高いほど、脳と身体は強く適合します。だから葉山たちは、その数値を基準に器を選び続けています。」
佐伯(犬)はゆっくりと天音へ視線を向けた。
「天音さん。」
「あなたの神経受容率は、現在確認されている適合者の中でも、極めて高い数値です。」
宗一郎の顔から血の気が引く。
「そんな……。」
佐伯(犬)は静かに頷いた。
「追加検査を受ければ、葉山たちはあなたを直接確認します。その時点で、あなたは正式な器候補として管理されるでしょう。」
天音は震える声で尋ねた。
「……じゃあ、私は……、私は、どうなるんですか。」
佐伯(犬)は答えるまで数秒、沈黙した。その沈黙が、何より残酷だった。
「いずれ、表向きは事故か病気で搬送されたことにされ、脳死と診断されます。そして、あなたの身体は、誰かの器になります。」
リビングから音が消えた。宗一郎は天音の肩を強く抱き寄せる。
佐伯(犬)はその姿を見つめながら、静かに言った。
「真実を話しました……時間がありません。」
宗一郎は天音の頭を優しく撫でた。
「大丈夫だ、何があっても、お前はお父さんが守る。」
その言葉に、天音は小さく頷いた。
宗一郎はゆっくりと佐伯(犬)へ向き直る。
「佐伯さん、私は、これから何をすればいい。」
佐伯(犬)は少し考え込み、静かに答えた。
「まず最優先にすべきことは一つです。天音さんを葉山たちの目から隠さないといけません。」
宗一郎は真剣な表情で頷く。
「身を隠す場所……。」
しばらく考え込んだあと、ふと顔を上げた。
「そうだ、妻の実家があります。義父母が亡くなってから空き家のままですが、今も管理はしています。」
「山間部にあるので、人の出入りも少ないので、葉山たちも、すぐには見つけられないはずです。」
佐伯(犬)は小さく頷いた。
「最善の場所だと思います。しばらくは、そこで生活してもらえますか。」
天音は不安そうな表情で宗一郎を見る。
「お父さんは?」
宗一郎は静かに微笑んだ。
「急に姿を消せば、かえって怪しまれる。だから、お父さんは今まで通り生活をする。天音、お前だけが隠れるんだ。」
「そんな……。」
天音は首を横に振る。
「お父さんを一人にはできない。」
宗一郎は娘の肩に手を置く。
「大丈夫だ、この件が終われば、すぐに迎えに行く。」
宗一郎は佐伯(犬)へ視線を向けた。
「佐伯さん、一緒に証拠を集めましょう。葉山たちが脳移植を行っている証拠を。そして、それを世間に公表する。」
佐伯(犬)は静かに宗一郎を見つめた。
「……宗一郎さん、葉山たちは、この国の医療の中枢にいます。証拠を掴む前に、私たちが消される可能性もあります。」
宗一郎は静かに頷いた。
「天音は必ず私が守ります。それが、私の決断です。」
佐伯(犬)はしばらく黙っていた。
やがて、小さく頭を下げる。
「……ありがとうございます。では、共に戦いましょう。」
『器』を読んでいただき、ありがとうございました。
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