天音
調査を始めてから数か月が過ぎた。
佐伯(犬)は昼間は庭で太陽光を浴びて充電を行い、夜になると宗一郎の研究室で調査を続ける日々を送っていた。
少しずつ、葉山総合病院の内部構造が見えてきた。
神経受容率の測定、適合者の抽出、葉山病院へのデータ送信。そして、脳移植。
140年前には存在しなかった巨大な管理システムが、この国全体を覆っていた。
ある夜。
佐伯(犬)は、適合者管理データベースを確認し、新たに登録された候補者を、一人ずつ確認していた。
その時だった。
画面を送る前足が、不意に止まる。そこに表示されていた名前を見た瞬間、全身が凍り付いた。
『八代 天音』
佐伯(犬)は、思わずディスプレイへ身を乗り出す。
詳細データを開く。
年齢 20歳。
健康診断実施済み。
神経受容率――93.15%
「……まさか。」
佐伯(犬)の声が震える。その横には、見慣れた表示があった。
《葉山総合病院 送信済》
佐伯(犬)は表示された名前を見つめたまま、静かに目を閉じた。胸の奥が締め付けられる。
140年前、自分は葉山を止めることができなかった。そして今、自分を助けてくれている宗一郎と、その娘まで、この争いに巻き込まれようとしている。
そんな未来だけは避けたかったからこそ、真実を話さず、一人で調べ続けてきた。
しかし――。
天音の神経受容率は、すでに葉山総合病院へ送信されている。このまま黙っていれば、天音は器として狙われることになる。
佐伯(犬)はゆっくりと目を開いた。
「……申し訳ありません。」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
宗一郎なのか、天音なのか、それとも、140年前に守れなかった仲間たちなのか。
宗一郎たちを巻き込みたくはなかったが、状況が変わってしまった。
佐伯(犬)はゆっくりと振り返った。宗一郎は少し離れたデスクで研究を続けており、空中ディスプレイを見つめ、作業を進めていた。
その姿を見つめながら、佐伯(犬)は小さく息を吐く。
「……宗一郎さん。」
宗一郎は手を止め、振り返る。
「はい。」
佐伯(犬)は少しだけ間を置いた。
言葉を選ぶように。
「今日のお仕事は、あとどれくらいですか。」
宗一郎は画面を確認する。
「急ぎのものはありませんので、一時間もあれば終わりますが……。」
佐伯(犬)は静かに頷いた。
「それなら…、今日は少し早めに切り上げていただけないでしょうか。」
宗一郎は不思議そうな表情を浮かべる。
「何かあったんですか。」
佐伯(犬)は宗一郎の目を真っ直ぐ見つめた。
「ご自宅へ戻ってから、お話ししたいことがあります。宗一郎さんに、そして天音さんにも。」
宗一郎は佐伯(犬)の表情を見つめる。出会ってから数か月、初めて見る切迫した表情のように見えた。
「……分かりました、すぐに帰りましょう。」
佐伯(犬)は静かに頭を下げた。
「ありがとうございます。」




