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器ーうつわー  作者: 天城そら


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入手

 「操作方法は理解しました。」


 宗一郎が少し驚いた表情を浮かべる。


 「もうですか。」


 「ええ、ここからは見ない方が良いと思いますので自分で操作します。」


 宗一郎は頷いた。


 「分かりました。何か必要なことがあれば呼んでください。私は向こうで仕事をしています。」


 そう言うと、宗一郎は隣のデスクへ移動し、自分の研究を始めた。空中ディスプレイが立ち上がり、宗一郎の前にも複数の資料が表示される。


 佐伯(犬)はその背中を一度だけ見つめると、自分の空中ディスプレイへ視線を戻した。


 まず開いたのは、葉山総合病院の内部研究データベース。研究責任者権限の認証が通るたび、新しい資料が目の前へ展開される。


 「……。」


 佐伯(犬)は一つ一つ確認していく。


 NCT研究。


 神経接続率。


 長期経過観察。


 現在も研究は続いていた。


 140年前、自分たちが積み上げたデータの続きを、誰かが今も記録し続けている。


 「葉山……。」


 その名を小さく呟きながら、さらに深い階層へ入っていく。


 すると、一つのフォルダが目に留まった。


 《NCT長期経過観察》


 佐伯(犬)は迷わず開く。


 被験者ごとの経過記録。


 神経接続率。


 身体機能。


 認知機能。


 そして――


 精神・感情評価。


 その項目を見た瞬間、佐伯(犬)の手が止まった。そこには、140年前と変わらない結果が並んでいた。


 《感情反応 低下》


 《共感性 低下》


 《情動反応 経年とともに減少》


 《改善例 確認されず》


 佐伯(犬)はしばらく画面を見つめたまま動かなかった。やがて、小さく目を閉じる。


 「……変わっていない。」


 140年という歳月が流れても。NCTは、人間の記憶も知識も受け継ぐことはできているが人間らしい感情だけは失っていき、取り戻せない。


 その欠陥は、今もなお、解決されていなかった。


 佐伯(犬)は静かに拳を握るように前足へ力を込めた。


 「葉山……。あなたは、何も変えていなかった。」


 その時だった。


 画面の端に、一つのフォルダが表示された。


 《特別症例》


 その文字を見た佐伯(犬)は、ゆっくりとカーソルを合わせた。中には、厳重なアクセス権限が設定された症例記録が並んでいる。


 どの患者も、国家機密指定となっており、閲覧できる者は限られていた。


 佐伯(犬)は、その中の一つを開く。


 《神崎正臣 NCT施行記録》


 画面には、手術日、神経接続率、術後経過が時系列で表示され、表向きには何の違和感もない。


 “NCT施行“そう記されているだけだった。


 佐伯(犬)は静かに画面を送り続ける。


 術式、術後管理、定期検査。


 どれも完璧に整理されている。


 「……。」


 だが、佐伯(犬)の手が止まった。


 画面の片隅に、小さく記録された一行。


 《特別管理区域 入室記録》


 佐伯(犬)はその履歴を開いた。


 手術開始1時間前。


 手術終了2時間後。


 毎回、同じ人物が記録している。


 黒崎和馬。


 その名前を見た瞬間、佐伯(犬)は静かに目を閉じた。


 「やはり……。」


 表向きの執刀医は、最新型医療支援システムで完全自動手術。そう記録されている。しかし、140年前から変わらない事実を佐伯(犬)は知っていた。


 脳移植だけは、自動化できない。


 神経一本一本の最終接続。


 脳幹との同期。


 意識の定着。


 その工程だけは、人の判断が必要だった。


 そして、それを行える人間は――。


 「黒崎しかいない。」


 佐伯(犬)はゆっくりとディスプレイを閉じた。


 神崎正臣は、NCTを受けたのではなく、葉山と同じ、幾度となく身体を変えながら、生き続けている。


 「……脳移植。」


 その確信だけが、佐伯(犬)の胸に重く残った。


 佐伯(犬)が静かにディスプレイを閉じると、研究室に静寂が戻った。


 宗一郎は少し離れた席で研究を続けており、佐伯(犬)の画面を見ることはなかった。


 自分が命を懸けて止めようとした男は、今もなお生き続けていて、葉山以外の人間にも脳移植が施されている。人の身体を奪い、新たな器へ脳を移し、価値ある人間だけを生かし続ける。


 佐伯(犬)は小さく目を閉じた。


 「私が眠っている間にも……何人もの人生が奪われたのか…。」


 その声には怒りではなく、深い悔しさが滲んでいた。すぐに葉山のもとへ向かっても意味はない。


 証拠がない。


 今の自分は、一匹の犬型ロボットにすぎない。これでは、信じてもらえるはずもなかった。


 「全てを知る必要がある」


 佐伯(犬)は新たな検索画面を開いた。


 病院の組織図。


 研究記録。


 健康診断システム。


 国家医療データベース。


 閲覧できるものを一つずつ確認していく。


 140年前の研究責任者権限は、誰にも気付かれることなく生き続けており、その権限だけが、今の佐伯(犬)に残された唯一の武器だった。


 こうして佐伯(犬)は、宗一郎にも詳細を明かさないまま、数か月に及ぶ極秘の調査を続けた。


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