目覚め
2298年――。
葉山総合病院。
研究員・八代宗一郎は、倉庫整理のため一人で研究室にいた。棚には年代ごとに分類された医療機器や試験装置が並び、長年積もった埃が静かな時間の流れを物語っている。
「まだこんなに残っていたのか。」
宗一郎は苦笑しながら、一つ一つ保管品を確認していく。棚の奥へ進んだ時だった。床に積まれた古い段ボール箱が目に入る。
宗一郎はしゃがみ込み、ゆっくりと蓋を開ける。
「……。」
思わず息をのんだ。箱の中には、一匹の小型犬が丸くなって眠っている。
茶色い毛並み。
小さな鼻先。
閉じられた瞳。
本物と見間違えるほど精巧な犬型ロボットだった。
「すごいな……。」
宗一郎は思わず笑みを浮かべる。そっと抱き上げると、見た目よりも軽い。
「天音が喜びそうだ。」
天音がまだ5歳だった頃、妻は病気でこの世を去っており、それ以来、父娘二人きりの生活であった。仕事に追われる毎日の中で、寂しい思いをさせたことも少なくなかった。それでも天音は文句ひとつ言わず、いつも笑顔で「おかえり」と迎えてくれた。
今年20歳になる娘は、小さい頃から犬が好きだった。
「飼いたいね。」
そう話したこともあったが、研究に明け暮れる自分には命を預かる余裕がなく、その願いを叶えてやることはできなかった。この精巧な犬型ロボットなら、きっと喜んでくれる。
宗一郎は、少しだけ父親らしいことができるような気がして、小さく微笑んだ。
軽く機体についた埃を払った時、小さな金属プレートが姿を現した。
S.SAEKI
宗一郎の手が止まる。
「……佐伯」
その名を知らない研究者はいない。
NCT研究の礎を築き、研究中の過労による心不全で若くして亡くなったとされる偉大な研究者。
宗一郎は犬型ロボットを見つめた。
「佐伯さんが……こんなものを作っていたのか。」
厳格で妥協を許さない研究者として知らされていた佐伯が、遊び心あふれる犬型ロボットを作っていたことが、どこか意外で、少し嬉しかった。
宗一郎は静かに微笑む。
「連れて帰ろう。」
そう呟き、犬型ロボットを抱えて倉庫を後にした。
「ただいま。」
宗一郎は犬型ロボットを抱えたまま玄関を開けた。
「おかえり、お父さん。」
リビングから、娘の天音が顔を出す。
宗一郎は少し照れくさそうに笑う。
「倉庫整理をしていたら、面白いものを見つけてね。」
そう言って犬型ロボットを差し出す。
「わぁ……!」
天音の表情が一気に明るくなった。
「かわいい!」
両手で受け取り、顔を近づける。
「本物みたい……。」
茶色い毛並みをそっと撫でる。
硬いはずの人工毛は驚くほど自然で、今にも寝息を立てそうなほど精巧だった。
「ロボットなんだよね?」
「多分140年以上前に作られたものだと思う。」
「そんな昔に、こんなの作れたの?」
宗一郎は苦笑した。
「開発者が普通じゃないからね。佐伯志道さんって知ってる?」
その名前を聞き、天音も驚いた。
「えっ、NCTの?」
「うん。」
「NCT開発の研究者。」
天音は改めて犬型ロボットを見つめる。
「その人が作った犬なんだ……。」
宗一郎はソファへ腰掛ける。
「壊れているのか、充電が切れているのか、動かないんだよね。」
夕食を終えた後も、宗一郎は犬型ロボットを何度も眺めていた。
「さて……。」
機体を裏返し、側面を確認する。
「充電端子がない。」
天音ものぞき込む。
「本当だ。昔の規格だから?」
宗一郎は首をかしげた。
「いや……。」
「140年前なら、端子式のはずなんだけどな。」
表面を触っても、接続口らしきものは見当たらない。
無線給電受信部もない。
「分からないな。今日は諦めよう。」
宗一郎がそう言うと
天音は嬉しそうにロボットを抱き上げる。
「じゃあ、私の部屋に置いておくね。」
「動いたら教えてくれ。」
「動かないと思うけどね。」
二人は笑った。
その夜、犬型ロボットは天音の机の上で静かに眠り続けた。
翌朝――。
カーテンの隙間から差し込んだ朝日が、犬型ロボットをゆっくりと照らす。
その瞬間。
機体内部で、長い年月眠り続けていたシステムが反応した。
《太陽光を確認》
《充電を開始します》
静かな電子音が、小さく部屋に響いた。




