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器ーうつわー  作者: 天城そら


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19/39

託されたもの

脳移植—


 その言葉が、静かな研究室に落ち、志道はしばらく動けなかった。


 そんなことが許されるはずがない。


 しかし――。


 目の前にある事実は、その可能性を否定できなかった。提供者は記録上存在しているが、実際にその患者を見た者はいない。


 なぜ葉山は、あの時、研究チームを作ったのか。当時はNCTの精度向上に必要な研究だと考えていた。


 だが――。


 今なら分かる。それはNCTのためではなく、脳移植のためだった。


 葉山は最初から、その未来を見ていた。


 志道はゆっくりと立ち上がる。


 すべてが一本の線でつながった。


 志道は院長室へ向かった。確かめなければならない。長年、信頼していた男の口から。


 扉を開ける。


 葉山は、まるで待っていたかのように振り返った。


 「そろそろ来る頃だと思っていたよ、志道君。」


 「……理事長。」


 志道は葉山を見つめる。


 「あなたは、NCTを受けていないですね。」


 短い沈黙。


 葉山は否定しなかった。


 「さすがだな。」


 静かな声だった。


 「君は気付くと思っていたよ。」


 志道は拳を握り締めた。


 「……なぜです。」


 声には、怒りよりも悲しみが滲んでいた。


 「なぜ、私たちに何も言わなかったんですか。」


 葉山は静かに志道を見つめる。


 「言えば、君は止めただろう。」


 「……当然です。」


 志道は迷うことなく答えた。


 「これは、私たちが目指していた医療とは違う。」


 葉山は何も言わない。


 志道は続ける。


 「私たちの研究は、人を救うためのものだったはずです。」


 「なのに……。」


 志道は言葉を詰まらせた。


 「あなたがしたことは、人殺しです。」


 葉山の表情は変わらない。


 「提供された身体の持ち主にも、人生があったはずです。大切な人がいたかもしれない。まだまだやりたいことがあったかもしれない。」


 志道の声が少し強くなる。


 「それを、あなたは、ただの器として扱った。」


 部屋に静寂が落ちる。


 葉山はしばらく黙っていた。そして、静かに口を開く。


 「すべての人間が同じ価値を持っているわけではない。」


 「医療を発展させる者。」


 「新しい技術を生み出す者。」


 「社会を支える者。」


 「長い年月をかけて、多くのものを築いてきた人間がいる。その人間が、この世界から失われることは、本当に社会にとって正しいことなのか。」


 志道は黙って葉山を見る。


 「私は、ただ自分の命を延ばしたかったわけではない。価値ある知識や経験を持つ人間が、より長く生き続けることは、人類全体の利益になる。」


 葉山は自分の手を見る。


 「若い身体を得たことで、私は再び世界に貢献できる。また多くの未来を作ることができる。」


 志道は静かに首を振った。


 「だからといって誰かを犠牲にしていいと?」


 葉山は答えない。


 その沈黙が、答えだった。


 長年、共に未来を語った医師であり、研究者。


 尊敬していた男。


 その男が、自分とはまったく違う道を選んでいたことが、何より苦しかった。


 志道は静かに立ち上がった。


 「……もう、分かりました。」


 葉山は何も言わない。


 「私は、この事実を公表します。」


 葉山は、志道から視線を外さない。


 「好きにしたらいい。」


 志道は一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべると、院長室を出た。




 研究所へ戻った志道は、周囲を確認しながら中へ入り、自分の端末へ向かった。


 端末を起動する。


 認証。


 データ展開。


 その瞬間だった。


 首筋に、わずかな刺激を感じた。


 「……?」


 痛みというほどではない。


 無針インジェクターによる、ほんの一瞬の接触。


 志道はゆっくり振り返った。


 そこには、黒崎が立っていた。


 「……黒崎先生。」


 黒崎は何も言わなかった。


 ただ、悲しそうな表情で志道を見る。


 「申し訳ありません。」


 志道は理解した。


 「……やはり、あなたもですか。」


 黒崎は答えなかった。


 志道の声には、怒りよりも失望があった。


 「医師であるあなたが。人を救うためではなく、なんてことを……。」


 黒崎は目を伏せる。


 「理事長は、間違っているのかもしれません。ですが……。」


 黒崎は静かに続けた。


 「もう、止められないところまで来ています。」


 志道は壁に手をついた。身体から力が抜け、視界がぼやける。


 「黒崎先生……。これは……未来のためではない。」


 黒崎は何も答えなかった。


 やがて志道の意識は薄れていき、床へ倒れる。


 黒崎は小さく呟いた。


 「……すみません。」


 そう言うと黒崎は研究所を後にした。


 そして静寂だけが残る。



数分後ー


 意識がゆっくりと戻ってくる。視界はぼやけ、身体は鉛のように重かった。


 「……っ。」


 首筋には、わずかな痛み。黒崎が何をしたのかは理解していた。残された時間は、もう長くない。


 志道は壁に手をつきながら立ち上がると、研究室の奥へゆっくりと歩いた。そこには、一体の犬型ロボットが静かに佇んでいた。


 本格的な医療機器とは程遠い、生活支援用の試作機。研究の合間に、純粋な遊び心から作り始めた存在だった。


 人と会話をする。


 感情を読み取る。


 そっと寄り添う。


 それが、このロボットの役目だった。


 だが、志道は研究者だった。


 作る以上、一切妥協しない。


 生活支援用という外見とは裏腹に、内部には当時最高性能の演算装置と神経接続インターフェースを搭載し、NCT研究で培った意識保存・解析システムも試験的に組み込んでいた。


 本来、人間へ使うためではない。あくまでも研究用の試験機。


 そのはずだった。


 志道はロボットの前に膝をつき、小さく笑った。


 「……まさか。」


 「君に、僕の意思を託す日が来るとは思わなかったよ。」


 震える手でメンテナンスパネルを開く。


 ロボットの瞳が淡く点灯した。


 「志道研究員を認証しました。生活支援モードを終了します。研究モードへ移行します。」


 志道は端末へ手を伸ばす。


 認証が完了すると端末を操作する。研究室全体の照明がわずかに変化した。


 AIが静かに告げる。


 「NCT実験プロトコルを検出。」


 「本機は人体への意識移送を目的とした設計ではありません。実行した場合、安全性は保証されません。」


 志道は穏やかに微笑んだ。


 「十分だ。未来へ繋ぐには、それで十分だ。」


 AIは数秒間沈黙した後、応答する。


 「研究責任者権限を確認。未承認プロトコルを解除します。」


 「NCTシステムを起動します。」


 静かな機械音が研究室に響き始めた。


 志道は犬型ロボットを見つめながら、小さく呟く。


 「頼んだよ。」


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