欲望
それから2年の歳月が流れた。
葉山が集めた研究チームは、少しずつ形になっていった。
それぞれの分野で最高水準の能力を持つ人間たちが集まり、1つの巨大な研究体制が完成していく。
葉山は、その様子を静かに見つめていた。
必要な知識も技術も揃った。
彼らはまだ知らない。
自分たちが作り上げているものが、NCTの未来ではなく。人類が決して踏み込むべきではなかった領域へ続く道であることを。
葉山は研究室を後にする。廊下を歩きながら、窓に映る自分の姿を見る。老いた身体は確実に終わりへ近づいている。
「あと少しで……。」
その先の言葉を、誰も聞くことはなかった。
その頃、志道と美冬は、完成した神経適合性解析システムの最終調整を行っていた。
大型モニターには、複数の脳活動データと身体側の神経情報が表示されている。
AIによる解析結果。
神経伝達速度。
脳領域ごとの反応。
自己意識維持に関わる複数の要素。
それらを総合的に分析し、最適な適合状態を導き出す。
「これなら……。」
美冬が画面を見つめながら呟く。
「NCT後の長期的な経過観察にも、大きく役立ちそうですね。」
志道は頷いた。
「ああ。」
「今までのNCTは、脳側の解析に偏っていた。でも、本当は脳だけでは人間は成立しない。」
「身体から送られる情報、神経からの刺激、ホルモンや生体反応。すべてが自己意識や感情に影響している。」
美冬は完成したシステムを見つめた。
「これで、感情低下の原因にも近づけるかもしれません。」
「そうだな。」
志道は静かに笑った。
「まだ答えは分からない。でも、少なくとも今まで見えなかったものが見えるようになった。」
それは、研究者として純粋な喜びだった。
葉山は、その完成報告を静かに聞いていた。
「素晴らしい成果だ。これでNCTは、次の段階へ進める。」
志道は安心したように頷く。
数日後ー
葉山は病院地下最深部の隔離研究区画を訪れていた。重厚な隔壁が静かに開く。そこは、研究所の職員でさえ存在を知らない区域だった。
室内には、試作型NCTユニット、最新の神経接続装置、そして脳移植専用に改良された手術ロボットが静かに並んでいる。
葉山の足音だけが、静かな空間に響いた。
「理事長。」
奥から1人の男が歩み寄る。
黒崎 和馬。
葉山病院脳神経外科部長、56歳。
国内屈指の脳神経外科医として知られ、その卓越した技術によって数え切れない命を救ってきた。
現在の地位も名誉も、すべて葉山によって与えられたものだった。
葉山は黒崎を見つめる。
「準備は。」
「すべて整っています。」
黒崎は部屋の中央に並ぶ2基の医療カプセルへ視線を向けた。
1基には、静かに眠る82歳の資産家。
世界有数の資産を築き上げた実業家だったが、余命半年と宣告され、自らこの研究への参加を望んだ被験者だった。
「本人の同意は得ています。」
「成功すれば、新しい人生を手に入れられると説明しました。」
葉山は静かに頷いた。
視線は、隣のカプセルへ移る。
そこには、20代前半と思われる青年が横たわっていた。
鍛えられた健康な身体。
神経適合率は90.2%。
青年は深い鎮静状態にあり、静かな寝息だけが生命を感じさせている。
青年は、裏社会の人身売買組織を通じて手に入れられた『器』だった。
黒崎は青年へ目を向けたまま、小さく息を吐く。
「ここまで適合率の高い身体は、なかなか見つからないでしょう。」
葉山は静かに答えた。
「だからこそ、今日を待っていた。」
地下研究区画は、再び静寂に包まれた。
そして、人類史上初となる脳移植手術が行われた。




