未完成
大型モニターに、新しい解析結果が表示された。
研究室の照明を落とした静かな室内で、演算を終えたAIが最後のデータを統合していく。数日間にわたり解析を続けていた30名分の長期観察データ。
被験者本人への定期検査、脳活動記録、日常生活の映像、家族への聞き取り──すべてが一つの解析結果へ収束していく。
美冬は表示されたグラフを最後まで確認すると、小さく息を吐いた。
「……終わりました。」
志道は手にしていたコーヒーカップを机へ置く。穏やかな夫の表情は消え、一瞬で研究者の顔になった。
「見せてくれるか。」
「はい。」
美冬は空中ディスプレイを展開する。
「解析対象は30名。全員、本人およびご家族から同意を得た長期観察データです。」
「観察期間は最長3年。」
志道は静かに頷いた。
「まずは、一例を見よう。」
美冬は記録映像を再生した。
「この被験者は、NCTから2日後に行われた精密検査で、認知機能、記憶保持、運動機能、脳活動ともに異常は認められませんでした。」
「その後、ご家族との面会が許可されています。」
画面には、経過観察の記録が次々と映し出されていく。
美冬は静かに続けた。
「半年までは、医学的にも日常生活にも大きな問題は確認されませんでした。だからこそ、世界はNCTを成功と評価したんです。」
志道は無言のまま映像を見つめていた。
「ですが……。」
美冬は解析画面を切り替える。
「長期観察を続けた結果、全員に共通する変化が見つかりました。」
美冬は解析画面を切り替える。
「長期観察を続けた結果、全員に共通する変化が見つかりました。」
空中ディスプレイには、30名分の解析データが重ねて表示される。
青、緑、白。
30本の線は開始直後こそ安定していたが、時間軸が進むにつれ、すべての線が緩やかに右肩下がりを描いていく。
志道は眉をひそめた。
「……全員か。」
「はい。」
美冬は静かに頷く。
「低下が始まる時期には個人差があります。」
「最も早い被験者は半年。」
「最も遅い被験者でも3年以内には同じ傾向が確認されました。」
「例外は1人もいません。」
美冬は1人の被験者の記録を表示した。
「こちらは、NCTから1年後の経過観察映像です。」
家族3人が食卓を囲んで、娘が学校であった出来事を楽しそうに話す。
男性は穏やかな表情で頷き、
「それは良かったね。」
と優しく答えた。
どこにでもある、温かな家庭の風景だった。
「映像だけを見ると、何も問題はありません。」
美冬は同時刻の解析結果を表示する。
「ですが、この瞬間の脳活動を見ると。」
映像の横に立体的な脳モデルが現れる。
色鮮やかに表示されていた情動ネットワークが、移送直後の記録と比べると明らかに活動量を落としていた。
「喜びを感じた時に活動する領域、共感した時に活動する領域、感情の動きに連動する複数の神経ネットワーク、そのすべてが、時間の経過とともに低下しています。」
志道は黙ったまま画面を見つめる。
美冬はさらに映像を進めた。
2年後。娘の進学が決まり、家族が喜び合っている。
男性は、
「おめでとう。」
と微笑んだ。
しかし解析結果では、喜びに伴う脳活動は、さらに低下していた。
さらに3年後。親しい友人との別れ。男性は静かに別れの言葉を掛け、少し悲しそうな表情は作る。だが、涙は流れない。悲しみに伴う脳活動も、ごくわずかだった。
美冬は映像を止める。
「初期には感情も正常に働いています。」
「ですが時間が経過すると、自発的な感情表現が減少していきます。」
「笑うべき場面でも、自ら笑わない。」
「嬉しい出来事があっても、大きく喜ぶことはない。」
「悲しい出来事があっても、涙は流れません。」
「表情は作れます。会話もできます。ですが、それは感情による反応ではなく、記憶や経験から導き出された行動になっていきます。」
研究室は静まり返った。
志道はゆっくりと息を吐く。
「自己意識はある。」
「本人は、自分を自分だと信じている。」
「家族も本人だと受け入れている。それでも、人間らしさだけが少しずつ失われていく……。」
美冬は静かに頷いた。
「世界は、NCTを人類が死を克服した技術だと賞賛しています。ですが、本当はまだ完成していません。」
「このまま実用化を続ければ、すべての被験者が同じ経過を辿ることになります。」
志道は窓の外へ目を向けた。
若い研究員たちの笑い声が、窓越しにかすかに聞こえてくる。
「笑う。」
「泣く。」
「怒る。」
「誰かを愛する。」
「それを失う技術を、完成とは呼べない。」
その声は静かだった。
しかし、その言葉には研究者としての揺るぎない信念が込められていた。




