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器ーうつわー  作者: 天城そら


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12/38

未完成

大型モニターに、新しい解析結果が表示された。


 研究室の照明を落とした静かな室内で、演算を終えたAIが最後のデータを統合していく。数日間にわたり解析を続けていた30名分の長期観察データ。


 被験者本人への定期検査、脳活動記録、日常生活の映像、家族への聞き取り──すべてが一つの解析結果へ収束していく。


 美冬は表示されたグラフを最後まで確認すると、小さく息を吐いた。


 「……終わりました。」


 志道は手にしていたコーヒーカップを机へ置く。穏やかな夫の表情は消え、一瞬で研究者の顔になった。


 「見せてくれるか。」


 「はい。」


 美冬は空中ディスプレイを展開する。


 「解析対象は30名。全員、本人およびご家族から同意を得た長期観察データです。」


 「観察期間は最長3年。」


 志道は静かに頷いた。


 「まずは、一例を見よう。」


 美冬は記録映像を再生した。


 「この被験者は、NCTから2日後に行われた精密検査で、認知機能、記憶保持、運動機能、脳活動ともに異常は認められませんでした。」


 「その後、ご家族との面会が許可されています。」


 画面には、経過観察の記録が次々と映し出されていく。


 美冬は静かに続けた。


 「半年までは、医学的にも日常生活にも大きな問題は確認されませんでした。だからこそ、世界はNCTを成功と評価したんです。」


 志道は無言のまま映像を見つめていた。


 「ですが……。」


 美冬は解析画面を切り替える。


 「長期観察を続けた結果、全員に共通する変化が見つかりました。」


美冬は解析画面を切り替える。


 「長期観察を続けた結果、全員に共通する変化が見つかりました。」


 空中ディスプレイには、30名分の解析データが重ねて表示される。


 青、緑、白。


 30本の線は開始直後こそ安定していたが、時間軸が進むにつれ、すべての線が緩やかに右肩下がりを描いていく。


 志道は眉をひそめた。


 「……全員か。」


 「はい。」


 美冬は静かに頷く。


 「低下が始まる時期には個人差があります。」


 「最も早い被験者は半年。」


 「最も遅い被験者でも3年以内には同じ傾向が確認されました。」


 「例外は1人もいません。」


 美冬は1人の被験者の記録を表示した。


 「こちらは、NCTから1年後の経過観察映像です。」


 家族3人が食卓を囲んで、娘が学校であった出来事を楽しそうに話す。


 男性は穏やかな表情で頷き、


 「それは良かったね。」


 と優しく答えた。


 どこにでもある、温かな家庭の風景だった。


 「映像だけを見ると、何も問題はありません。」


 美冬は同時刻の解析結果を表示する。


 「ですが、この瞬間の脳活動を見ると。」


 映像の横に立体的な脳モデルが現れる。


 色鮮やかに表示されていた情動ネットワークが、移送直後の記録と比べると明らかに活動量を落としていた。


 「喜びを感じた時に活動する領域、共感した時に活動する領域、感情の動きに連動する複数の神経ネットワーク、そのすべてが、時間の経過とともに低下しています。」


 志道は黙ったまま画面を見つめる。


 美冬はさらに映像を進めた。


 2年後。娘の進学が決まり、家族が喜び合っている。


 男性は、


 「おめでとう。」


 と微笑んだ。


 しかし解析結果では、喜びに伴う脳活動は、さらに低下していた。


 さらに3年後。親しい友人との別れ。男性は静かに別れの言葉を掛け、少し悲しそうな表情は作る。だが、涙は流れない。悲しみに伴う脳活動も、ごくわずかだった。


 美冬は映像を止める。


 「初期には感情も正常に働いています。」


 「ですが時間が経過すると、自発的な感情表現が減少していきます。」


 「笑うべき場面でも、自ら笑わない。」


 「嬉しい出来事があっても、大きく喜ぶことはない。」


 「悲しい出来事があっても、涙は流れません。」


 「表情は作れます。会話もできます。ですが、それは感情による反応ではなく、記憶や経験から導き出された行動になっていきます。」


 研究室は静まり返った。


 志道はゆっくりと息を吐く。


 「自己意識はある。」


 「本人は、自分を自分だと信じている。」


 「家族も本人だと受け入れている。それでも、人間らしさだけが少しずつ失われていく……。」


 美冬は静かに頷いた。


 「世界は、NCTを人類が死を克服した技術だと賞賛しています。ですが、本当はまだ完成していません。」


 「このまま実用化を続ければ、すべての被験者が同じ経過を辿ることになります。」


 志道は窓の外へ目を向けた。


 若い研究員たちの笑い声が、窓越しにかすかに聞こえてくる。


 「笑う。」


 「泣く。」


 「怒る。」


 「誰かを愛する。」


 「それを失う技術を、完成とは呼べない。」


 その声は静かだった。


 しかし、その言葉には研究者としての揺るぎない信念が込められていた。

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