150年前
西暦2150年。
東京――
葉山総合医療研究所。
世界最先端の医療技術が集まるこの研究所では、朝早くから研究員たちが慌ただしく行き交っていた。
ガラス越しの研究室ではAIが膨大な解析を続け、研究員たちはその結果を基に議論を重ねている。
研究棟の一角にある休憩室。カーテンの隙間から朝日が差し込み、ソファの上の一人の男性の顔を照らしていた。白衣を掛け布団代わりにして眠っているその男は、
佐伯志道、31歳。
葉山総合医療研究所所長。そして、NCT(Neural Consciousness Transfer)研究の第一人者。
机の上には空になったコーヒーカップが三つ重ねられ、大型モニターには昨夜解析していたデータが映ったままになっている。
どうやら昨夜も研究に没頭したまま、ここで眠ってしまったらしい。
コンコン。
休憩室の扉が静かに叩かれた。
「志道さん。」
聞き慣れた優しい声だった。
志道はゆっくりと目を開ける。
「……美冬。」
扉の前には、一人の女性が立っていた。
佐伯美冬、29歳。
神経工学を専門とする優秀な研究員。
そして、志道の妻だった。
両手には少し大きめの紙袋を抱えている。
「おはようございます。」
「また研究所に泊まったんですね。」
志道は照れくさそうに頭をかく。
「解析があと少しで終わりそうだったからね。」
「気付いたら朝だった。」
美冬は苦笑する。
「そんなことだろうと思いました。」
紙袋を机の上へ置く。
「着替え、それと朝ごはんです。」
袋の中から取り出したのは、丁寧に包まれたサンドイッチと、まだ温かさの残るスープボトルだった。
「ありがとう。」
志道は笑顔で受け取る。
「本当に助かる。」
「助かるじゃありません。体を壊しますよ。」
美冬は少し呆れたように笑う。
「家に帰って寝ればいいのに。」
「そう思ってはいるんだけど、研究が気になってしまってね。」
美冬はため息をつきながらも、その表情はどこか嬉しそうだった。
「昨日も、夕飯を作って待ってたのに。」
「ごめん。」
「今日こそ帰る。」
「その台詞、何回目ですか。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
結婚して2年。
志道は研究が始まると時間を忘れる。美冬はそんな夫の性格を誰よりも知っていた。
だから怒ることはない。
着替えを届け、朝食を作り、研究が少しでも進むように支える。それが、いつの間にか二人の日常になっていた。
「いただきます。」
志道はサンドイッチを一口頬張る。
「やっぱり美冬のサンドイッチは美味しい。」
「褒めても、今日こそ家には帰ってもらいますからね。」
「努力するよ。」
「努力じゃなくて帰るんです。」
その何気ないやり取りに、二人はまた笑った。
二人は世界中が注目する最先端の研究者。だが、この部屋では、ごく普通の夫婦だった。




