15
「まったく、困った人」
呟いてミハヤはベッドでうなされる夫を見下ろした。
あの後――ミハヤとアルヴィフリートが お互いを“家族”として認めた、あの後。
『気持ち、悪い』
アルヴィフリートは吐き気を訴えて床にうずくまった。
だから早く手を放せといったのに。
渡り廊下で大勢の女性陣から詰め寄られ、挙句自分から女
ミハヤ
の手に触れた彼は、心身ともに極限状態にあったのだろう。
震える体、じっとりと滲む冷や汗。
それでも瞳だけは真っ直ぐにミハヤを見つめ、
『陛下、私も陛下と本当の“家族”になりたいです』
と微笑み返したミハヤに、ふっと和らいだ表情を返した次の瞬間である。
――ずるり、と床にうずくまり、その後側近の男衆によって自室へと運ばれ、今こうしてベッドでうなされていると言うわけである。
「――本当に、本当に困った人」
恨み言を紡ぐミハヤの傍らで、控えていた宰相クラウスがクスリと吐息を落として口を開く。
「どうやら、賭けは私の勝ちのようですね?」
振り返れば、ニヤリと細められた瞳と目が合った。
誇らしげなその顔に、ミハヤは無意識に頬を赤らめて、ぷいとそっぽを向く。
「クラウス様は、全てお見通しだったのですね」
なじるように言うと「いえ?」と首を傾げる。
「流石にここまで上手くことが運ぶとは思ってもみませんでしたよ」
……この人は。
「まあ、陛下の性格とエレンの気性、そして貴方様のお考えを把握した上で、ある程度の結末は予想しておりましたが」
「……もしかして、エレン様に私をけしかけさせたのも貴方が?」
「いえ、あれは私が何か言ったわけではありませんよ。……止めも致しませんでしたが」
「……」
流石宰相という職についているだけあって、とんだ狸である。
「勿論、エレンにはあの後きつく説教をしておきました。己の分を弁えぬ言動は自分の身に跳ね返ってくる。けれど、彼は何を言っても陛下のこととなると頭が真っ白になるようで、あればかりは私にも止めようがないのです。……ということで、これを機に侍従の任を解き、所領に帰すことに致しました」
「え?」
「乳兄弟という立場を勘違いして主に正しく仕えられない者など必要ありませんから。ましてや、独断で王妃陛下の部屋を訪ね、見当違いな諫言を申すなどもってのほか。彼の両親に事の次第を伝え再教育してもらうこととしました」
……つまり、今回の騒動に絡めて困った部下をちょうどよくお払い箱にしたと。
「……もしお望みならば、出立する前に跪かせて謝罪をさせますが、いかがしますか?」
「い、いえ、結構です」
どこの女王様か。悪いが、そんな趣味はない。
「コホン……これも全ては陛下の御為。ミハヤ様には本当に想像以上に良い働きをしていただいて、感謝しきれない思いです」
自称陛下思いの宰相は、そう言って頭を下げる。
「陛下のお心を解してくださり、本当にありがとうございます」
「別に……」
感謝を述べられるが、複雑な思いしか浮かばない。
自分もまた、彼の手の上で踊らされていただけなのだ。
クラウスに言われたとおりアルヴィフリートに嫁ぎ、彼の女性嫌いを治す手伝いをしたまで。……まあ、それだけでなく色々と余計なことをしてしまったわけだけが。しかし、そのおかげで色々と溜め込んでいたものを吐き出すことができ、個人的にすっきりはした。
「ええと、こちらこそ、ありがとうございました……?」
思いつくままに感謝の意を述べると、クラウスは二、三度瞬いた後にこりと和らいだ表情を作った。
「――さて、ミハヤ様? それで、賭けの報酬なのですが」
「あ……」
すっかり脳裏からそのことを追い出していたミハヤは、「そういえばそうでしたね」と視線をめぐらせた。
今朝早く、彼の部屋を訪ねて役目を降りたいといったミハヤに、クラウスがもちかけた例のアレ。
『一つ賭けを致しましょう』
そう言ったクラウスは、にこやかな笑みのまま賭けの概要について話した。
曰く、ミハヤが『今後陛下の顔を見ずに過ごしたい』といった際のアルヴィフリートの反応がどうなるかという賭け。
ミハヤの予想はこうだ。
『戸惑いはするだろうけれど、止めはしないでしょう』
なぜなら、アルヴィフリートはミハヤに慣れつつあるとはいえ気絶するほどの大の女嫌い。ゆえに、ミハヤは夫が自分の申し出をすんなり受け入れるだろうと思っていた。
しかし、一方のクラウスは『きっと陛下は“なにがあっても”ミハヤ様の元へとやってきて、理由を問いただされるでしょう』と予想を返す(その“なにがあっても”という部分が、例の『渡り廊下の大量の女性陣』であるとは後で知ったわけだが)。
お互いの賭けの報酬は、ミハヤの方が『王妃は続けるが、クラウスの望んだ女性嫌いの治療要員としての役目は降りさせてもらう』ということ。
そしてクラウスは――
「今後も王妃を続け、そして名実ともに王妃となって心身ともに陛下を支えていただけますでしょうか?」
と賭けの報酬を求めた。
薄茶の瞳で見つめられ、ミハヤはそろりと視線を移す。
ベッドの上には依然うなされる夫。
震える手に手を取られ、互いを家族として受け入れた二人。勿論、ミハヤにはもうアルヴィフリートから離れるつもりはなかったが。しかし、二人はまだ“家族”としての一歩を歩みだしたばかり。信頼関係を築いていくにはまだまだ時間が必要で、また、彼らがお互いを“夫婦”として思い合うようになるかどうかは、この先の彼ら次第といえるだろう。
――私に、彼を支えることができるのだろうか?
ふとそんな思いがよぎった時、
「ん……」
ベッドの上に横たわっていたアルヴィフリートが、不意に目を覚ました。
「ミハヤ……?」
彼は視線をめぐらせ、傍らの妻に気づき呼びかける。
ミハヤはどきっと心臓を弾ませ恐る恐る夫の顔を覗き込んだ。
「陛下、」
「陛下、ご気分はいかがですか?」
訊ねると、彼はほっと息を吐いて口を開く。
「嫌な夢を見た。最低な悪夢だ」
「悪夢?」
言いながらミハヤの方へと手を伸ばしてくる。
……触れてもいいのだろうか?
迷っていると、クラウスが首肯してその手を取るように促し、ミハヤは躊躇いながらその手を握った。
「――が、」
「え?」
「女たちが次から次へと寄ってくるのだ」
恐ろしかった。
彼は呟く。
「あれは、本当に嫌な悪夢だ。夢の中でも死ぬ思いをした。本当に、今度こそ死ぬかと思った」
あの、私も女なんですが(というか、さっきの女性陣が新たなトラウマになっていませんか)。
胡乱な目をして手を放しかけるが、その瞬間ぎゅっと握り締められる。
「どこへ行く。そなたは私のそばにいると約束しただろう」
「はあ……」
しましたっけ?
思わず、そう言いたくなったのを察しでもしたのか金の瞳に恨めしげに睨み付けられる。
「今更撤回するなど許さんぞ」
駄々子のような物言いに、傍らのクラウスがクスクス笑うのが分かった。
「私達は家族になったのだ」
「そう、ですね……」
「ならば傍にいろ。情けなくとも、呆れようとも、傍にいろ。……家族というのは、そういうものだろう?」
掴まれた手がまた震えている。
「私は……女嫌いで、王という立場から周りに守られて育ったため、そなたからみると何一つ良いところなどないだろう」
「陛下?」
「だが、我々は夫婦となった……“家族”と、なったのだ。そこになんらかの好意があって始まった関係ではない。けれど、私は――」
眉を寄せ口ごもる夫に(しょうがないひとだなあ……)ミハヤは苦笑して口を開いた。
「陛下」
「なんだ」
「陛下がどんなに情けなく、甘ったれで、女嫌いで、すぐに気絶や失神を繰り返し、良いところが本当に顔くらいしかなくても、そんなの最初から了承済みなので気にするだけ無駄ですよ」
「――っお前……それは少し言いすぎじゃないか?」
「あら、思ったことを口に出したまでです」
「なっ!」
「なんならまだまだ思いつくことがありますが、申し上げましょうか?」
「っ…………やめてくれ」
涙目で言う人へクスクスと笑みを零す。
「すみません。半分冗談ですから許してください」
「つまり半分は本気ということか」
「まあ、まあ。陛下のおっしゃるとおり、家族というのは嫌なところも駄目なところも受け入れて、それでも共に生きていく関係です」
「は?」
「だから、陛下がどんなに情けなくて良いとこなしでも、関係ありません。良いところも悪いところも全てひっくるめて傍にいる」
「ミハヤ……?」
「陛下、これからも私は貴方の傍におります。だから、陛下もなんとか女性嫌いを直して、いつまでも私の傍にいてください」
「……っ」
「よろしいですか?」
「ああ、分かった。努力しよう」
こうして式から数日経ったその日、二人はようやく本当の“家族”になったのだった。