第九話 閉まった扉の前で
翌朝、早くに目が覚めた。身体が元気だ。昨日、サボったからだろう。
やることもないから、学校に向かった。
教室に入ると、五百城がすでに座っていた。
俺は松田を目で探した。まだ来ていなかった。ホッとした。
ホッとした自分に、少しだけ頭が昨日に戻った。
「おはよう、大西くん」
五百城が俺を見つけ、声をかけた。見つけるも何も、俺と五百城しかいないが。
「おはよう」
できるだけ平穏を装って、挨拶を返した。
「昨日、部活休みだったよね? 風邪?」
「なんか体調悪かってん」
「もう大丈夫?」
「たぶん」
短いやり取りのあと、五百城は少しだけ間を置いた。
ちらほらと他のクラスメイトが教室に入ってきた。
「今、ちょっとだけいい?」
五百城は、声を落として言った。
「なんの話?」
「ここでは言いにくいから」
その言い方で、胸の奥を触られた気がした。
「おっけ。わかった」
「ありがとう」
五百城は、席を立ち、廊下に向かった。扉の前で俺を見て立ち止まった。
俺が席を立つのを確認すると廊下に出て、歩き出した。
俺は黙って、五百城の半歩ほど後ろをついていった。
行き先は、西階段の三階だった。
その先には、屋上へ続く階段がある。その前で、五百城は立ち止まった。
「一緒に来て」
俺の手を引いて階段を上がり、屋上に出る扉の前に立った。
五百城の指は、細く冷たかった。
『屋上立入禁止』
掲示は前と同じだった。鉄扉には、赤い札が下がっている。
『施錠中』
五百城は黙ってドアノブに手をかけた。回した。
ガシャン。
扉は開かなかった。
「……やっぱりね」
五百城は小さく息を吐いた。
「そりゃそやろ。閉められてんねんから」
会話はそこで一度止まった。
「ほんで、話ってなに?」
俺から話を切り出した。五百城は、扉から俺に視線を移した。
「いいかげん、紗奈ちゃんに謝ってほしいんだけど」
「なんで俺が謝んの?」
俺が悪い。悪いことは分かっている。
だけど、五百城が俺と紗奈の仲を取り持つことに、妙に腹が立っていた。
「うん。でもさ、紗奈ちゃんは待ってると思う」
「そうかもしれへんけど、それ、五百城に関係なくないか?」
五百城は正しい。
自分でも、嫌な言い方だと思った。
「私が言うことじゃないかもしれないけど……」
「……ほな――」
五百城は、俺の話を遮った。
「私は、紗奈ちゃんと仲良くしたい。下の名前で呼び合える友達なんて、紗奈ちゃんしかいない」
ん?
なんか、ロジックおかしない?
「まてまて。せやったら、もっと俺関係あらへんやん?」
五百城の目が開いた。口も半分開いた。
「それ、五百城と紗奈の話ちゃうん。俺抜きで仲良くすればよくね?」
「違うの!」
部活以外で、初めて五百城の大きな声を聞いた。つい、周囲に人が来てないかを確認してしまった。
誰もいなかった。
「……違うの。大西くんがいないとダメなの」
五百城は、俺から目を逸らさなかった。
分からへん。先が読まれへん。
その表情は、やめてくれ。
俺の心拍は、確実に上がっていた。
「……わかった。そのうち謝る」
なんとか場を切り上げようとした。五百城は逃がしてくれなかった。
「今。すぐに、謝ってほしい」
「なんでやねん? そのうち謝るってば」
「今日!」
なんやこの展開?
ここは「そっか、ありがとう。じゃねー」って流れちゃうんか?
「……わかったよ。わかったけどやな、今って?」
五百城の表情が一気に明るくなった。声も高くなった。
「ありがとう! ここで待っててくれたらいいから!」
「は? ここで待つって……」
俺が質問を言い終わるより前に、五百城は去って行った。
スマホの時計を見る。ホームルームまで、まだ三〇分以上あった。
仕方ない。俺はとりあえず、屋上への扉の前に腰を下ろした。
五分もしないうちに、紗奈がやってきた。
足元を見ながら階段を上がってきていた。
「おはよう、紗奈」
上から声をかけた。紗奈は、一瞬びくっとして立ち止まり、顔を上げた。俺を見て、眉間にしわを寄せた。
失礼な奴やな。
「なに? なんでそこにいるの?」
「いや、五百城がここで待ってろって」
「美月が?」
「せや。紗奈も美月に言われたんちゃうのん?」
「え? 違うけど。さっき、先生に、ちゃんと鍵閉めたか確かめてこいって言われて」
「なんで?」
「昨日、部活の後で一年が練習で使ってたんだって」
「あ、吹奏楽部……」
「そう。春の選抜に向けて。それだけ」
紗奈が、扉の前に立った。座ってた俺も立ち上がった。
紗奈がドアノブに手を置いた。
「いや、さっき開かへ……」
ガチャ。
朝の風が、一気に入り込んだ。
開いた?
「ありゃあ。これはお叱りかなぁ?」
そう言って、紗奈が笑った。
「じゃ、わたし行くわ」
「……待て」
思わず紗奈の手首を持った。紗奈が俺の顔を見る。
少し耳が赤い気がする。
次の言葉を待っている。
その表情はやめてくれ。
「ちゃう」
口から出た。何が違うんだ?
「さっき、ドア、開かなへんかった」
空気が止まった。
「ドアノブ逆に回したんじゃない?」
いや、五百城は、たしかに右に回した。
だけど、俺自身が回したわけじゃない。
ブラフか? いや、五百城は確かめにきたはず。
ここまで揃えば、もう次に起きることは決まっている。
俺は、紗奈の手首を持ったまま、屋上に出る。
そこで紗奈に謝る。一時間目に遅れる。
ふたりで先生に叱られる。
その流れで、仲直りまで持っていかれる。
予定調和に乗せられている。
逃げれば、五百城との約束を破ることになる。
俺、どうする?




