第八話 主役のタイミング
五時間目のチャイムが鳴る少し前に、松田が教室へ戻ってきた。
弁当箱を片手に持ったまま、肩で息をしている。教室を飛び出していった時と、ほとんど同じ顔だった。
「間に合ったん?」
俺が聞くと、松田は自分の席に座りながら笑った。
「叱られたが、謝った」
「間に合わへんかってんな」
「とりま、『次から気を付けろ』で済んだ」
松田はそう言って、弁当箱を鞄にしまった。
窓際のサッカー部の男子が何かを聞いていた。松田は「あとで教えて」と返していた。
松田のことなので、これ以上、気にしないことにした。
それから、紗奈は次の日もその次の日も、弁当を持ってやってきた。五人のランチタイムが数日間続いた。
ある日の昼休みの終わり、紗奈と一緒に廊下に出た。
「ありがたいんやけどな、紗奈ん家に悪い。俺、購買パンでかまへんし、ひとりで飯食いたいし。四人でランチしててや」
俺がそう言った。もちろん、他の誰にも聞こえないように。
紗奈は少し悲しい表情を見せた。
これは俺でも分かる。最低に近い。きっと良心を踏みにじっている。
紗奈にも、他の三人にも。
だけど、いろいろと耐えられない。将来が想像できてしまう。
ゴールデンウィークにみんなでバーベキューして、夏休みに海と花火イベントが起きて、秋に文化祭で青春する。
その間に、誰かと誰かが恋をして、誰かが悲しんで、五人は散る。
「……せめて、昼代払わせてくれ。申し訳なさすぎる」
紗奈は、少し悲しい笑顔を見せた。
「そだね。気使わせて、ごめん。でも、伊織……最低だわ」
真顔になってそう言って、自分の教室へと戻っていった。
――これでいい。
次の日から、紗奈は教室に来なくなった。俺も購買パンに戻ったが、教室で食べる気になれず、部室で食べていた。
ランチグループは、五百城と葛西と松田の三人になった。俺の席に松田が座り、弁当を広げている。
五百城は結局、剣道部に入ることになった。
隣の席、同じ部活。
ラブコメなら一緒に部活に向かうのだろう。
だが、俺は部活前のルーティンを崩したくない。授業終わりは速攻で部室に直行だ。
道場で見る、五百城の白道着姿は美しかった。
だけど、別に強いわけでもなく、弱いわけでもなく、普通だった。
ヒロインなら華奢でも強いはずだが、これが現実だ。
「なぁ、五百城。なんで剣道始めたん? こんなに臭いのに」
練習が始まる前に声をかけた。
「んー、武道って姿勢良くなりそうでしょ? でも私の中学には薙刀部も弓道部もなかったから」
百点満点の普通の回答やな。
「はは、納得。で、高校も惰性で続けた、とか?」
「ううん。前の高校は剣道部すらなかったし。バスケやってた」
「へぇ。背高いもんな」
「そうそう。子供の頃はミニバスやってたし、一応、一年でレギュラーだったよ」
おいおい。剣道は、せいぜい中の下だと思うで。バスケの方が向いてんちゃうん?
「え? それならバスケ部行けばええのに」
五百城の返答が少し遅れた。一瞬だけ、俺から目を逸らした。
「……大西くんいるし。知ってる人がいる方が楽しいかなって」
たぶん、顔がにやける。見せないように顔をそむけた。
「そか。ほな、今日も頑張ろかぁ」
そう言って、自分の竹刀を部室に取りに戻った。
その日の準備運動は、掛け声がいつもより大きくならないように、口パクで乗り切った。
次の日の朝、昇降口で五百城と鉢合わせた。
「おはよう、五百城」
「大西くん、おはよう。最近、普通だね」
最近ってなんや? 俺はいつでもいたって普通や。
「美月ちゃん、おはっよ~」
デカい声が走ってきた。松田だ。
「松田くんも、おはよう」
「お、伊織も、おはよう。よくわからんけど、お前さ、西宮さんに謝った方がよくないか?」
少し、ほんの少しだけど、腹が立った。
「わからへんなら、口出しすんなや」
「詳細はしらんけど、お前が悪そうだから」
「憶測で語んな」
「ま、いいや」
松田は、五百城の方を向いた。
「そういや、ここが出会いだったよな。美月ちゃんとぶつかって」
すげぇな、松田。ようそんなことを普通に言えるな。
「うーん。そだね。でも、大西くんが避けたせいだよね」
五百城は、微笑みながら言った。だが、目は全く笑っていなかった。
この表情の意味が、分からなすぎる。
とりあえず、黙って内履きに履き替えた。
「大西くん、私も松田くんと同じ意見かな? 私はまたみんなでご飯食べたいな」
俺は、その場で固まった。
ふたりは、俺をおいて、先に教室へと入っていった。
それからも、教室では隣に五百城が座り、部活でも五百城が近くにいた。
普通に会話もしていた。ただ、何も起きなかった。
起きるきっかけもなかった。
そのままゴールデンウィークをゲーム三昧で過ごした。
だけど、自分が止まっている間に、知らないところで何かが進んでいた。
休み明けの月曜日の朝、松田が俺の席に座り、五百城と葛西と話していた。教室に入らずに、廊下に戻り、耳だけ立てた。
「昨日は、ありがとう。楽しかった」
葛西の声だ。
「男ばっかりもつまんないしな。こちらこそ、来てくれてありがとう」
なんの話や? 松田は大会のはずちゃうん?
「でも、本当に良かったの? 応援だけでも行くべきだったんじゃ……」
これは五百城の声だ。松田はサボったんか?
「いや、二、三回遅刻したくらいスタメン外すようなチームなんて、こっちから願い下げた」
「でも、それじゃ海斗くん、次も出れないんじゃない?」
海斗? 下の名前?
……そうか。
俺はモブ、か。
「いや、そこは謝って許してもらう」
「なにそれ? 結局、試合出たいんじゃん」
葛西の突っ込み笑いが聞こえた。
俺は、その日、学校をサボった。夕方まで、駅の近くの漫喫で時間を潰した。
漫喫を出ると、雨が降っていた。
駅まで走ろうと思った時、目の前にふたりの後ろ姿が見えた。
やっぱり、主役たちはタイミングよく見せにくる。
松田と五百城だった。
ひとつの傘に、ふたりが並んで入っていた。
俺は、駅と逆向きに走った。




