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最終話 ふたりの隙間

休み時間に教室に入ったはずが、先生がまだ職員室に戻っていなかった。


「なんだ大西。今、登校か? 何してたんだ?」


「あー、青春です」


「セイシュン?」


この先生はいつも声がでかい。ほら、みんなが振り向いたやないか。


「はい。思い切り青春してきました」


何か言いたげな先生を無視して、自分の席に座る。


横で五百城が、静かに微笑む。


五百城は戻(・)っ(・)て(・)い(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)。


「大西、なにしてたの? なんか外走ってなかった?」


後ろから上川が聞いてくる。


「だから、青春してきたんやって」


上川が不思議そうな顔で、五百城の方を向く。五百城は、分からないふりをしてくれる。


窓際から大きな声がする。松田だ。一軍の塊から首を伸ばしてこちらを見ている。


「伊織! おそよう!」


「おそよう。村人B!」


手を軽く上げると、松田は軽く笑って、また一軍の中に紛れる。


黒板には、いつも通り一時間目の内容が書かれていて、当番の人がそれを消している。


昨日まであった演劇用の台はもう、跡形もない。


体育祭、修学旅行に文化祭。学校は生徒のためにいろんな舞台を用意してくれる。


そこに立てば、役がつく。


でも、そこから外れれば、誰も観ない。


休み時間が終わり、チャイムが鳴る。


数学の先生が教壇に立つと、みんなが黒板の方を向き、いつもと同じように授業が始まる。


誰かは教科書を盾に漫画を読み、誰かはノートに落書きをしている。


用意された舞台に立つかどうかは、自分で決められる。


ずっと、そう思っていた。


ランチタイムに紗奈がやってくる。


上川と手を合わせて喜ぶ。五百城とも軽く抱き合って喜んでいる。


そんな中でも、俺はいつもと変わらず購買にパンを買いに行く。


今日も新作はなく、カレーパンとBLTサンドを買う。


廊下でたくさんの人とすれ違う。


俺から見れば、俺が接することのないこいつらは、全員モブだ。


そして、そいつらから見れば、俺は何をどうしようがモブだ。


教室に戻ると、紗奈が俺の席に座っている。


「あ、俺の席ないやん」


紗奈がそこらの椅子を勝手に持ってきて、自分の斜め後ろに置く。


「わたしが戻ったから。伊織の席はここね」


そう言って、椅子を二度叩く。


互いの関係の中で、役柄が決まる。


みんなの少し後ろ。


そこが、俺のいつもの立ち位置だった。


「なんで? 大西もこっち入ろうよ」


でも、上川が俺の手を引いて、輪の中に引き入れる。


紗奈が少し左に動く。俺は紗奈の隣に座ることになる。


関係が変われば、立ち位置が変わる。


「じゃねー。また明日ねー」


ランチタイムを終え、紗奈が自分の教室へと戻っていく。


「あ、今日は用事あるけど、明日からまた一緒に帰ろ!」


一度止まって、そう五百城に言って、忙しく去っていく。


五百城は小さく手を振って、それを見送る。


紗奈が抜けて、四人になる。


空いた場所を埋めるように、それぞれが少し位置を変える。


誰かが舞台から外れても、残った人たちで公演は続く。


「伊織せんぱーい。お疲れ様ですー」


昨日までメイド服を着てた中元も、今日はもう白道着だ。


「中元の道着姿はいつ見てもコスプレやな」


「えへへ。来年は、剣道着カフェでもやりましょうか」


妹顔も健在だ。


自分が主役の舞台を自分で作る人もいる。


道場の庇(ひさし)の下には、まだ昨日のゴミが置いてある。


タコ焼きソースの匂いが漂っている。


俺が道場に入るときには、もうほとんどの部員が揃っていて、中央に列を作り正座をしている。


全員が揃うと清水の号令がかかる。


「文化祭お疲れさまでした。稽古をサボった分だけ、今日からの稽古ではより集中しましょう」


清水が主将らしいことを言って、いつもの稽古が始まる。


与えられた舞台の中で、主人公を演じようとする人もいる。


佐々木は、やっぱり剣道は下手なままだ。


でも文化祭では、そのキャプテンシーで清水の穴を埋めた。


主人公が頼りなければ、それを支える脇役がいたりする。


部活が終われば、部室で着替えて、道場の前で五百城を待つ。


モブの俺に、モデルのような美人が手を振ってくる。


望んでいなくても、五百城はきっと、どの舞台でもヒロインになってしまう。


五百城が来ると、俺はそのまま五百城の歩幅に合わせて、横に並んで歩き出す。


ヒロインの隣に立てば、誰でも主人公に持ち上げられる。


この不自然な光景も、もはや習慣となって、全く違和感を覚えない。


「ね、伊織くん」


「なに?」


「私、今度は戻らなかったみたい」


「そうみたいやな」


俺は左を向く。五センチほど下に五百城の顔がある。


「私ね。紗奈ちゃんも好き。海斗くんも日菜子ちゃんも好き」


「そうなんやろな」


「ね……わかる?」


「なにが?」


「これね、伊織くんを好きになったからだよ」


五百城が、舞台の中心に俺を置いたのか。


それとも、周りの雰囲気がそうさせたのか。


俺には分からない。


しばらく話さずに、ただ頷きながら歩く。


歩道に落ちた落ち葉を踏む音が、小さく鳴る。


「ほんとはね、ちょっと悔しかった。伊織くんが自分から動くのって紗奈ちゃんだけだったから」


そう言われればそうかもしれない。


「だから、どうせ勝てないし、どうせ戻されるなら、自分の好きにしてみようかなって」


「……そっか」


「でも、なんで戻らなかったのかな?」


ループする予定調和が、どこか崩れたのかもしれない。


また、言葉が止まる。横風が吹いて、五百城のスカートがなびいて、俺の手にあたる。


俺はずっと、予定調和から逃げていた。


でも、逃げ続ける俺も、周りからすれば予定調和だった。


「俺が、逃げなかったから……とか?」


「……あ、そうかもね」


五百城が止まって、体ごとこちらを向く。


秋の夕方の太陽が、俺らの影を長くする。


「でも、五百城に会わなきゃ、松田や上川と仲良くなるなんて予定になかったな」


「じゃあ、お互い様だね」


「せやな」


ふたりでまた歩き出す。


どれだけ長くても、ふたりの影は重ならない。


お約束なら、ここで手を伸ばす。


だけど、どちらからも手は伸びなかった。


十センチの隙間はそのままで、ふたりは並んで、歩き続けた。



―― 完 ――


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