↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
79/81

第七十九話 オレの話をきけ

西階段から廊下を駆け抜けた。窓から朝の白い光が差し込んでいる。冷たい空気が、足元を抜けていった。


すれ違う人はほとんどいない。それでも、すれ違ったやつはみんな、俺を見て少しだけ目を丸くした。


紗奈の教室の前に立つ。心臓がうるさい。


教室の引き戸は半分だけ開いていて、中から机を動かす音がした。


引き戸を開けて中を見た。何人かが一瞬こっちを見て、すぐに視線を戻した。


中では、何人かが席に座っている。机に突っ伏しているやつ。友達の机に腰を預けて、小さな声で喋っている女子。黒板の前では、日直らしい男子が日付を書いていた。


紗奈はいない。


昇降口に走り、紗奈の下駄箱を見る。


上履きがある。


俺は靴を履き替え、人の流れと逆に走った。


登校してくる生徒たちとすれ違う。


その顔の中に、紗奈を探す。


息が切れてくる。


河原まで来た。土手の歩道には制服の集団が点々と続いている。自転車がその横を抜けていく。反対側の土手では、ランニング中のおじさんがゆっくりと腕を振っていた。


人が多くて、顔が見えない。


背の低い紗奈は、男子の陰に隠れてしまう。


ふと後ろを振り返ると、下を向き歩く女子の鞄にミニオンのボブが見えた。


髪を切っているが、あの後ろ姿は紗奈だ。


俺が足を止めた音に、紗奈が気づいて振り向いた。


紗奈は、一瞬、足を止めた。


でも、すぐに顔をそらして歩き出した。


「紗奈!」


呼んだ。


紗奈は止まらなかった。


「紗奈ってば!」


もう一度呼んだ。


それでも、止まらなかった。


周りの生徒が何人かこっちを見る。見るだけで、みんな知らん顔をして通り過ぎる。


俺は紗奈の後ろまで追いついた。息が完全に切れていた。


「……はぁはぁ……紗奈」


手を伸ばして、腕をつかんだ。


紗奈はすぐに振り払って、何も言わず、止まらず歩き続けた。


俺はもう一度、手を伸ばした。


手が軽く触れた。


紗奈が手を強く振った。


「……なんで」


紗奈がようやく止まって口を開いた。


「なんで追ってくるの? ほっといて」


その声で、少しだけ周囲が静かになった気がした。気がしただけだ。


生徒たちは話しながら歩いているし、自転車はベルも鳴らさず横を抜けていく。


俺は紗奈の前に回り込んだ。


紗奈の顔が、正面に来た。


怒っている顔ではなかった。


だけど、泣きそうだった。


「伊織、その優しさ、要らない」


そう言って歩き出し、俺の横をすり抜けようとした。


俺は、一歩下がった。紗奈は足を止めた。


「もうやめてよ。遅刻するじゃん」


紗奈は、わざとらしい笑顔を作った。


「紗奈、その笑顔は要らない」


「なに? 喧嘩売ってんの?」


紗奈が俺を睨む。そのまま時間が過ぎていった。


通り過ぎる生徒の数が減っていく。


「放っておいてって言ったでしょ。もう遅刻決定じゃん。本当に怒るよ?」


学校の方から、朝のチャイムが聞こえる。


「……一度くらい、オレの話を聞けや」


やっと言葉が出た。


「なに? 一度でもちゃんと話したことある?」


「せやから、今からすんねやろ」


「へぇ……何を話してくれるの?」


俺は小さく深呼吸をした。


「オレな、紗奈が好きだわ」


行き交う人はいなくなっていて、風で草がなびく音と遠くの方を走る車の音だけが耳に届いた。


「…………え、だって」


「美月――やろ? 付き合ってへんて言うてるやん」


「だって、みんなが……」


「他のやつのことなんか知らん」


「じゃあ……」


「紗奈にウソは言わん」


「……」


「勘違いされる行動はした。それで紗奈を傷つけた。それは認める」


「……うん」


「せやけど、オレは紗奈のことが好きやねん」


言葉のない時間が流れた。


学校の方から二度目のチャイムが聞こえた。もう一時間目が始まった。


「どうしようもなく、好っきゃねん」


紗奈は黙って俺を見つめ続ける。眉間にしわを寄せ、口を横一文字に閉じている。


その目をギュッとつむった。


目尻の横から涙が一筋だけ流れた。


次の瞬間、胸元に紗奈の頭があった。


背中に紗奈の手を感じる。体が締め付けられている。


五分くらいそのまま固まっていた。街が活動を始めた音たちが耳に届いていた。


紗奈が顔をうずめたまま、静かに話しだした。


「……ごめん……あたし……ごめん」


俺はそのまま手を紗奈の背中に回した。


「いや、俺の方こそごめん」


紗奈が俺を見た。泣きながら笑っている。


「うん。あたしも、伊織、ずっと好きだから」


誰もいなくて良かった。


俺たちはしばらくそのまま抱き合っていた。


もしかしたら、向こう岸から見られているのかもしれない。だけど、それももうどうでも良かった。


「……オレは、おとんとは違う」


「え?」


紗奈が腕の力を緩めた。俺は一歩だけ離れた。


「来年さ、一緒にUSJ行こう」


俺は前を向いたまま言った。すると紗奈が、俺の左腕に右腕を回してきた。


紗奈は黙って俺の横顔を眺めている。少し間を空けて、紗奈を見た。


「マスターにも会いにいこう」


「うん」


紗奈は大きく頷いて、絡めた腕をほどいて手を握ってきた。


「一時間目サボっちゃったね」


「せやな。昼に間に合えばええんちゃう?」


「そだね」


「ほな、このまま――」


「だめだよ。二時間目からは出ないと」


「まじめやなー」


校門の前までふたりで手をつないだまま歩いた。会話が途切れることはなかった。


校門で手を離し、その手を小さく振って、ふたり別々に昇降口に入っていった。


紗奈の指の感触が少しだけ残っていた。


温かくないはずの温かさが、なんだかとても不思議だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。