第七十四話 踏切の音
文化祭前日。学校全体が浮ついている。
教室の後ろにも、城の壁みたいな段ボールが立っている。乾いていない絵の具のせいで、教室は図工室の匂いになっていた。
授業は午前で終わり、全員が文化祭の準備にかかる。
去年はサボったけど。
うちの教室では、机が片付けられて、演劇用の台が組み立てられていた。
「へぇ、なかなか本格的やな」
村人Aの上川に言った。
「そうなの。小道具もすごいよ」
上川が手に持った槍を見せてきた。
「村人って槍持ってるっけ?」
「ふんいき大事だよ」
それは、なんの雰囲気やねん。
やたらデカい村人Bの松田がやってきた。
「おまえが村人ってミスキャストだろ。どう見ても勇者側の体格やん」
「そうなんだよ。だからなのか、なぜか村人Bが、ゴブリン退治に行くことになった」
松田が笑った。
「これ演劇タイトルなんなん?」
「高校デビューに失敗して、仕方なく異世界デビューに挑戦したら、村人Bが無双した」
「……なんやそれ」
「ラノベっぽくして、フックを強めるんだってさ」
「伊織くーん、いくよー」
扉の前から五百城に呼ばれた。
「ほなな、明日見に行くわ」
「おう。見に来いよ」
松田とグータッチして、五百城のところへ行った。
道場の前には荷物が積まれていた。
段ボール箱が五つ。銀色の保冷箱が二つ。業務用のソース、青のり、かつお節、紙皿、割り箸、竹串。タコ焼き器には、この一週間の練習の跡が残っていた。
キャベツ六玉が転がっていた。大阪のタコ焼きにキャベツは入らないが、ここではキャベツ入りタコ焼きだ。
冷めても形が崩れにくいし、タコ焼き串にも回しやすい。清水のアイデアらしい。やるやん。
「これで全員揃ったな。ついに明日、文化祭を――」
佐々木が清水の言葉を遮った。
「だから、そういうのいらないってば。さっさと指示出してよ」
清水が苦いものを食べたような顔をして、紙を見た。
「えーと、男子は屋台の設置。女子は最後の飾りつけ……かな」
「だからさー、どこに設置したらいいの? あんたが代表として聞いてきたんでしょ」
清水は慌てて紙を確認した。
「……え、えっと、剣道部は……入口から二つ目。左側」
「そしたら、藪くんと村上くんで、荷物運んでくれない。台車は――」
佐々木が指示を出す。
「うぃっす。台車要らないっすよ。これも体作りで手運びします」
「オッケー。じゃあお願い。で、清水、女子は何をするの?」
清水がまた紙を見る。
「えーと、食材の確認。不足物があったら買いに行く」
「だーかーらー、誰が何するのかって聞いてんの!?」
五百城が俺を見る。あー、めんどくさい。
清水に言った。
「多分だけど、佐々木は怒っている」
誰が見ても、佐々木はイラついている。清水がまた泣きそうになっている。
「怖いから、適当でいいから名前を挙げてったらええんちゃう?」
清水が何か言おうとしたとき、藪と村上が戻ってきた。
「佐々木さん、終わりました! 次の指示を!」
藪は一流のソルジャーになれそう。
佐々木が紙に配置を描きながら、指示を出した。
「こんな感じで、ガスのタコ焼き器は左端に並べて。カセットガスの在庫は、右端に保管ね。中央に調理台――」
もう佐々木が主将でええんちゃうか?
五百城に肩をトントンと叩かれた。
「ねぇ、伊織くん。気になってたんだけど」
「なんや?」
「味、普通すぎじゃない? なんていうか素人の味」
そらそうやろ。業務スーパーのタコ焼き粉とソースやからな。
「文化祭なんて、そんなもんちゃうん? 五百城がコスプレすれば人集まって売れるっしょ」
「やだよ。なんかアイデアないの?」
「粉に味付けるとかやろな。我が家は削り粉とカレー粉入れてる」
「ありがと。今から買いに行ってくる。百均でいいよね」
五百城が走って行った。
夕方には、紙パック、輪ゴム、箸、竹串、ビニール袋が所定の位置に置かれる。各人がリハーサルを繰り返し、女子たちは楽しそうに暖簾や看板をデコっていた。
「よーし。今日はこの辺にしよう。明日は朝八時集合で。すぐにテント設営と食材準備に入るように。解散」
最初と最後の号令が清水の仕事だ。
「明日楽しみだねー」
帰り道、五百城が言う。
「あんな、五百城が知ってる他の俺って、文化祭の準備してた?」
「うーん。してたりしてなかったり」
「それがなんかの分岐点なんやろか?」
五百城はしばらく黙った。
「……もしかしたら、私のせい……かな?」
「どういうこと?」
「うーん。それは秘密かなー」
五百城の顔は軽い。
「ま、いいや。ほな、明日な」
そう言って、駅で別れた。
家の最寄り駅に着くと、見慣れた後ろ姿があった。鞄には金色に光るミニオンのボブがいた。
小走りに近づいて、後ろから声をかけた。
「紗奈、いま帰り?」
紗奈は振り向いた瞬間に仰け反って、前に倒れそうになった。
「伊織? びっくりしたー。驚かさないでよ」
「明日、演奏すんねやろ? 聴きに行くわ」
喜ぶと思った。だけど、反応が薄かった。
「うん。ありがと。美月と?」
「たぶん。松田と上川は、演劇してるし」
「……そっか。そうだよね」
紗奈の顔が曇った。
「なに? なんかあかんか?」
俺の顔を見ない。ずっと下を見ている。
線路の上を電車が走る音が聞こえる。
「伊織さ……」
「うん?」
「美月と付き合ってるでしょ」
電車が通り過ぎた。少し遠くから、踏切の音が聞こえる。
「は? なんでやねん」
俺は笑った。冗談だと思った。でも、紗奈は笑わなかった。
「USJで抱きつかれてたんでしょ。その後もずっと一緒だったらしいし……」
「ちゃうちゃう。あれはな――」
「いいんだってば。部活も一緒で、いつもふたりで、ずっと一緒にいるもんね」
そう言われれば、夏休み後は、五百城と一緒にいる時間が多かった。
「伊織は悪くない。あんなにかわいいもん。好きになるよ。わたしだって美月のこと好き」
「……だから、ちょっ――」
「だからね。しばらく放っておいてくれない? 元気になったら、また顔出すから」
何も言えなくなった。
紗奈は俺を置いて歩いて行った。背中から受ける夕日で、俺の影が前に伸びた。紗奈は俺の影からどんどん遠ざかっていった。
カンカンカン……
遠くからまた、踏切の音が聞こえてきた。




