第七十二話 優しさって何?
駅前の楓並木も、ずいぶんと赤く染まっている。落ち葉はまだ湿っていて、冬はもう少し先だと知らせてくれる。
朝、教室に向かうとき、たまたま吹奏楽部らしき女子二人の話し声が聞こえた。
「あんなに練習したのに、結局勝てなかったね」
「なんのためにやってたんだろ」
「私は音楽好きなだけなのになー」
なんてことない会話だったが、十歩ほど歩いたあとに違和感を覚えた。
紗奈はまだ全日本のために練習しているはず。
俺はスマホで全日本吹奏楽コンクールの日程を調べた。もうとっくに終わっていた。
紗奈は嘘をついている。なんのために?
その日も紗奈はランチタイムに来なかった。
俺は何も考えたくなかった。だけど、不穏な雰囲気は連鎖する。
ランニングを終えて道場に向かうと、清水と二年女子四人が揉めていた。
「――だから、人足りないから手伝ってってお願いしてるんじゃん」
清水だ。少し声が震えていた。
「やだよ。自由参加でしょ。自分で始めたんだから自分で責任持ちなよ」
二年女子が言う。名前は佐々木だ。下の名が和澄と書いて「やまと」だ。かっこいい。
「みんな、クラスの出し物の方に行っちゃって、ほんと人足りないんだってば」
「知らないよ、そんなの。自業自得でしょ」
佐々木は腕を組んだまま、清水を横目で睨んでいる。
女子って怖い。
「五百城、女子主将だろ? こいつらまとめてよ」
「……こいつら?」
佐々木が太い声で繰り返す。怖い。
「んー、そんなこと言われても。私もやりたくないし」
五百城は静かに拒絶した。
俺は見つからないように、顔を背けて、脇の方からこっそり道場に入ろうとした。
「あ、大西くん。こいつなんとかしてよ」
佐々木さーん。やーめーてー。
「……や、俺、関係なくね? 人手足りないならやめたらええやん」
俺は無視して中に入ろうとした。
「待てよ、大西!」
清水に呼び止められた。
「タコ焼きは、お前が言い出したんだろ? お前の責任もあるだろ?!」
うーん。それはないと思うなー。
俺より先に、二年女子、久保ちゃんが怒った。下の名は知らない。なんとなく久保ちゃんと呼んでいる。
「ちょっとそれはないわ。あんたが大西くんをハブったんじゃん」
あ、そうなん?
「それは大西がやる気ないからだろ!」
うん。やる気は全くないなぁ。俺、今、それどころじゃないねん。
「うん。俺、やる気ないから、ハブられて助かってる。ありがとう。でもなぁ、それなら俺らを頼んなよ。筋通らへんで」
清水が口をつぐんだ。佐々木が勝ち誇った顔をしている。
「伊織くん、それ言っちゃダメ」
五百城が言う。大人しめ二年女子渡辺がそれに続く。
「そうだよ。清水くんだって、わかってる。わかってるけど、認めたくないの。謝れないの。正論言っちゃダメだよ」
いや、それでトドメ刺したでしょ。
清水がもう涙目やないか。
「あーもう……めんどくさいなぁ」
本心だ。
「清水、お前、何したいの? 儲けたいの? ただ楽しみたいの? カッコつけたいの?」
清水は黙って俺を睨みつけてくる。
「儲けたいなら手伝ったる。そうでないなら、お前がやれ。お前のために俺を使うな」
五百城が俺を止めた。俺は、タコ焼きなんてどうでも良かったが、紗奈のことでイラついていた。
清水はそれでも黙っている。
「……ほな、俺稽古するわ」
そう言って道場に上がろうとした時、五百城が静かにゆっくりと問いかけた。
「じゃあさ、伊織くんは儲けたあと、なにしたいの?」
全く考えてなかった。
「え?……みんなで貸切カラオケ……とか?」
だが、カラオケは嫌いだ。
佐々木が大声で笑いだした。つられて久保も渡辺も、五百城まで笑い出した。
「ちょっ……大西くん、なにそれ。かわいい。なに? みんなで歌いたいの?」
佐々木が腹を抱えながら言う。清水はポカンとしている。俺は貝になりたい。
「……じゃあさ、大西くんがやるなら、わたしもやる。カラオケいきたいもん」
やめて。責任負わせないで。
「じゃあ、わたしも」
久保が続く。どーせ渡辺も。
「あ、私はクラスの方……」
続かないのなー。
佐々木と久保が五百城を見る。
「伊織くんがやるなら……」
五百城はそう言って、胸元で小さく手を挙げた。
清水、お前、なんか言えや。
「おまえら、イエスて言わす雰囲気作んなや」
また佐々木が笑い出した。
「わたしらも……貸切……カラオケ……行きたいな?」
「あ、じゃあ……やっぱりわたしも……」
渡辺が頭を下げながら手を挙げた。四人が顔を合わせて笑う。
「あー負けや負け。全員でカラオケや」
女子たちが手を取り合って喜んでいる。清水はその横で腕を組んで仏頂面をしている。
「清水はこれでええんか?」
「ああ」
まぁ、確かに頼んでる態度ではないな。
「でもすまんけど、今日は気分ちゃうねん。明日からでええか?」
そう言ってこの日は逃げた。
帰り道。五百城が不思議なことを言ってきた。
「わたし、何回も伊織くん見てきた」
過去のループ回ってことか?
「今の伊織くん、なんか違う。逃げるのは同じだけど、なんか違う」
「なんか……てなぁ。どこかの分岐で変わったってことなんかいな?」
ふざけて言ったつもりだった。
「うん。今の伊織くんは、自分から逃げてない」
「意味わからへん。俺、全力で逃げてるで。逃げれてないってこと?」
「ちょっと違う。説明難しい。なんだろう?」
五百城が考え出した。しばらく言葉がないまま、ふたりで歩いた。
「あっ!」
五百城が急に止まった。
「あ、中元さんに言われたでしょ?」
あん? なにを?
「『その優しさは要らない』って」
五百城が笑う。
「は? なんで知ってんねん? どこまで知ってんねん?」
「本人が教えてくれたよ。伊織先輩は最後まで優しかったって」
俺は、しばらく黙った。それから、視線を五百城から背けて、歩き出した。
「んなわけないやん……」
五百城が俺の後ろを、微笑みながら追いかけて来た。
その夜、紗奈にメッセージを送った。
〈十七歳、誕生日おめでとう〉




