第七十一話 左手は添えるだけ
「大西ー、ファイトー」
上川の声は、体育館のざわめきの中でもよく通った。一瞬、葛西の声にも聞こえた。
俺は今、バスケコートに立っている。
球技大会だ。なぜ、こんなにもイベントが多いんだ。
俺の周りには、松田軍団がいる。
この状況、全ては松田の陰謀だ。
一週間前、球技大会のメンバーを決める日だった。
俺は野球と決めていた。なぜなら、立ってるだけで終わるからだ。
草野球以下の野球は、外野にフライが飛んでくることはほとんどない。バッターボックスに立って適当にバットを振っていれば、時間が過ぎる。
男女別バスケ。男子のみ七人サッカー。女子のみバレー。男女混合野球。
うちのクラスはドラフト制でメンバーを決めていた。俺を指名する人などいない。放っておけば、九番ライトが確定する。なんなら補欠でいい。
それなのに……
「バスケ、二巡目。大西」
机に突っ伏していたところに名前を言われて、驚いて起きた。
「は? なんの話?」
黒板の前で、松田が親指を立てている。他に俺を指定する競技はない。
クラスの一軍が集まる中に、俺はひとり放り込まれた。
そうして、今俺は、黄色い声が飛びまくるコートの中にいる。
モブの俺には耐えられない。
突然、後ろから松田の声が聞こえた。
「伊織、走れ!」
反射的に走ってしまった。ボールがバウンドしてから手の中に吸い込まれた。その流れで、そのままレイアップ。二点ゲット。
「大西、ナイッシュー」
一軍のやつとハイタッチする。
「伊織先輩、ファイトですー」
中元まで見にきやがった。
「スポッチャでの練習、思い出してー!」
やめろ。いろんな意味で勘違いされる。
「伊織、三年に勝つぞ!」
松田がすれ違いざまに俺の肩を叩いて言う。
だからな、俺、そーゆーの苦手やねんて。
「二番交代」
あ、やっと交代できる。
交代するイケメンと軽く肩を抱き合い、コートの外に出る。
球技大会で、この茶番。香ばしい。
「……しんどいなぁ、バスケ」
タオルで汗を拭き休んでると、五百城と上川がやってきた。
「伊織くん、すごいじゃん。結構、ゴールしてない?」
「や、あれ、松田がすごいねんて。俺、松田が言うように走ってボールもらってるだけ」
「海斗くんって、ほんと欠点ないんだねー」
上川が言う。うん。そだねー。
「あいつはアホじゃなければ、パーフェクトヒューマンや」
「二番交代!」
もう休憩終わり?
しぶしぶ、ベンチから腰を上げる。
「がんばってね!」
五百城が応援してくれる。
「ぼちぼちなー」
また、イケメンと軽く肩を抱き合い、コートの中に入る。
第四クォーター終盤で二点差。
残り時間は三〇秒。
ここは見せ場や。
どうせ、松田は最後パスを投げてくる。
ざっと周囲を見渡した。紗奈が見つからない。
そりゃ、自分のクラスの応援いくよな。
松田にボールが渡った。ドリブルで切り込む。
俺は並走して走った。
松田の目線で行くべき位置が分かった。
キュッ
俺の右足から音が鳴った。俺は急停止した。ディフェンスがよろけた。
左に二歩ステップ。
松田が俺に向かってパスを出した。
中元の高い通る声が聞こえた。
「左手は添えるだけーっ!」
パスを出した松田の口角が、ゆっくり上がりだした。
俺は、左手を添える準備だけして、ボールが来るのを待った。
頭の中では、某有名バスケ漫画のシーンが再現されていた。
「左手は添えるだけ……」
中元の言葉を繰り返して、ボールを受けた。飛んだ。ボールを放した。
ビーッ
ブザービーターだ。
ボールはきれいな放物線を描き、ゴールの枠に吸い込まれる
――わけがない。
それどころか、届きもしなかった。
歓声は止んだ。
代わりに盛大な笑いが起きた。
俺は、その笑いに手を上げて答えた。
松田がやってきて、俺の頭を叩いた。
「ひとりでスラムダンクしてんなよ」
顔はこれ以上ない笑顔だった。
他の一軍たちも、俺の顔を見れば、その瞬間に笑った。
「あれ真顔でできるの、おまえくらいだわ」
「入ったらマジ神だった」
「いや、まじおもろい。試合に負けて、勝負に圧勝したな」
そう言って肩を抱いてくる。こいつらはいちいち距離が近い。
松田が一軍たちに言う。
「な、伊織がいたら、全部、笑えるんよな」
「あー、なんかわかった気がするわ」
俺自身にはよく分からないが、一軍たちが納得してくれた。負けたのに。
言うて、松田が俺を活かしただけやけどな。
だけど、もう応援しかやることもない。
なんとなく、女子がバレーをやっている第二体育館に向かった。去年、バレーだったから、今年もバレーかな、と。
体育館に入ると、こちらは男の応援で一杯だった。声援が太い。
少し遠くに、紗奈がプレーする姿が見えた。
お、ちょうどボール来た。飛んだ。からぶった。
紗奈は、俺の期待を裏切らなかった。
紗奈の顔は笑っていた。
自然に頬が少し緩んだ。
俺は紗奈に声をかけることなく、体育館の外に出た。
渡り廊下で、ちょうど強い風が吹いて、砂粒が頬にパラパラと当たってきた。
去年なら教室に戻ってスマホを見てた。
俺の足は、また第一体育館に向いた。
「五百城と上川もバスケやったよな……」
体育館に戻ると、上川が細い体で必死にディフェンスしていた。
もっと肉食え。筋肉つけろ。
「ディーフェンス、ディーフェンス」
周りの声に合わせて、俺もとりあえず、声を出しておいた。
バスケ経験者の五百城は、球技大会で普通に無双していた。




