第七十話 それぞれの文化祭
学校の銀杏も色づき、冬服が板についてきた。朝から、学校の中は文化祭の雰囲気で溢れかえっている。
教室の後ろに積まれた段ボールは、減るどころか、なぜか増えて、どこかしこにその切れ端が落ちている。
黒板の端には、演劇の係表が貼られっぱなしで、役者、大道具、小道具、衣装、音響、照明、それぞれの下に名前が書かれている。
『主役 一ノ瀬』
『ヒロイン 山内』
おかしい。ラブコメなら、主役は松田でヒロインは上川のはずなのに。
自分の席に座ると、後ろの上川が係表を見ながら、何かを書き足している。
「おはよう。それ、なに?」
俺が聞くと、上川がこっちを見た。
「台本の仮版」
「へぇ。本格的やな。エルモ役なかったん?」
「そう。わたしがエルモで、海斗くんがクッキーモンスターのはずだったのに」
そんなわけがない。
「伊織くん、日菜子ちゃん、おはよう」
五百城が登校してきた。
「おはよう。五百城は結局、演劇やめたん?」
「うん。だってさ……」
小声で言ってきた。
「すぐ役つけようとするから」
「それは納得。せっかくかわいいねんから、やったらええのに」
「いやだよ。『かわいい』は嬉しいけど、私は裏方が好きだもん」
最近の五百城は、褒めても否定しない。
「あー、それは同感。で、上川と松田の役、なんなん?」
「私、村人A。海斗くん、村人B」
上川がヘアゴムをくるくる回しながら言う。
「大役やな」
「そう。セリフひとつに命をかける」
上川が『夢舞台』を歌いだした。
なんで令和の十七歳が、そないな歌知ってんねん。
その日のランチで、久しぶりに紗奈がやってきた。
「あー、久しぶりに来れたー。元気だったー?」
弁当を手に他人の教室に入ってくる姿は、修学旅行前と変わらなかった。
「紗奈ちゃん、部活忙しいんだよね? 文化祭の方はどうしたの?」
上川が聞く。
「クラスの方に参加したかったんだけど、これも練習だからって、吹奏楽の演奏の方に強制参加……」
「えー、ひどいね。誰が決めたの?」
「部長。同じクラスだから、文句も言いにくい」
「え? 俺なら言うで」
鼻の中に小指を入れながら言った。紗奈は俺の手を叩いた。
「わたしは伊織じゃないもん。距離感わかんないけど、空気は読むよ」
「空気なぁ。読める人って大変やなぁ」
紗奈は俺を無視して、五百城に話をふった。
「みんなはどうするの? 伊織はどうせ不参加でしょ」
うん。その通り。
「わたしと海斗くんは、クラスの演劇。美月ちゃんは、結局どうするの?」
「どうしよ。演劇もイヤだけど、あの雰囲気もイヤなんだよね」
「ん? 清水のこと?」
「そう。女子の中で、不満爆発してる」
「なんで?」
「私参加してないからわかんないけど、みんな『つまんない』って」
「へぇ」
俺は、次のパンの袋を開けた。今日は手に入った新商品、出汁巻きサンド。
「伊織の『へぇ』は、興味ないって意味だよね」
俺は目を細めて、紗奈にいいねサインを見せた。
放課後も、みんなが文化祭の準備をしていた。俺はひとり校庭を走って、八人だけで稽古して、家に帰っていた。
周囲が浮かれる中で、自分たちだけが静かに過ごす。これはこれで、悪くない。なんなら卒業まで続いてほしい。
そう思って校庭に出ると、俺より先に中元が走っていた。
中元は俺に気づいて、こちらに駆け寄ってきた。
「伊織せんぱーい。今日からまたお願いしまーす」
「今日は、タコ焼き練習ないの?」
「はい。抜けました」
「はいっ……てなぁ。清水が困るんちゃうん?」
「うーん。だって、楽しくないんですもん」
五百城が昼言ってたな。
「ま、理由は聞かへんとこ」
俺は笑ってそう言ってから、走り出した。中元が横についてきた。
「聞いてくださいよ」
「いやや。めんどうやもん。あ、ほなクラスの方に参加?」
「そうです」
「なにすんの?」
「メイド喫茶です。わたし、似合いそうでしょ」
うむ。それは天職だと思う。
「萌え萌えキュンとかやんな?」
「愛を込めて言いますから、先輩も来てくださいね」
「その場でキュン死したるわ。あれ? ほな、そっちの準備は?」
「わたしメイドなので、当日だけで良いって。あとは他の人たちが準備してくれるんだそうです」
「へぇ。役割分担しっかりしてんねんな」
「そうなんです。部活してる人には負担にならないようにって。清水先輩にも見習ってほしいです」
久しぶりに中元のプクリ顔を見ることができた。
道場に入ると、クラスの出し物に参加する人たちも抜けて、俺と中元と五百城、一年男子の藪だけになっていた。
「うっわ。これは寂しいな」
「そっすか?」
藪が言う。
「かかり稽古したら、休む時間ないで」
「いえ、これはいい機会っす」
「あん?」
「防具つけて打つばかりが剣道じゃないっしょ。今日は、基本の『き』に戻りません? 大西先輩、教えてください」
「あ、それいいかも。中元さん、伊織くんの真似上手だし」
五百城が藪に乗った。中元は満更でもない妹顔をしている。
「俺、教えるの苦手やで……」
「そんなことないです。伊織先輩の指導ってめちゃくちゃわかりやすいです」
「たとえば?」
「スって上げて、パンって打つ、とか。イメージ湧きやすい」
「や、それでわかるの中元だけやろ。ま、ええわ。今日は藪に乗っとこか」
四人で軽く笑いあって、三人に対する剣道教室が始まった。
前まで聞こえていた外の笑い声が、だんだんと少なくなっていることに、俺は気づいていた。
だけど、ずっと気づかないふりをしていた。




