第六十五話 ショップの前のベンチにて
ショップに入ると、上川はすぐ足を止めた。
「あ、これかわいい。こっちもかわいい」
ぬいぐるみ、キーホルダー、カチューシャ。買わずに、スマホで撮っていく。松田はその横につき合い、時々呼ばれては、少しかがんで画面を覗いた。五百城は少し離れた棚で、のんびり商品を見ている。
二十分が、あっという間に過ぎた。
「やっば! もう行かないと!」
上川が松田の袖を引っ張り、ショップの外へ飛び出していく。
空はまだ明るい。建物の色も、人の顔も、はっきり見える。上川のエルモは朝より少しへたっていて、松田のシャツには水の跡が残り、五百城のカチューシャは最初より丁寧に直されている。
「LINE送るねー!」
そう言いながら、上川と松田は走っていった。
大股で進む松田の隣を、華奢なエルモが小股で必死に追いかけている。
その後ろ姿を見て、少し笑みが漏れた。
ふと気づいた。
五百城が残っている。
「あれ? 行かんでええん?」
「うん。ほら、日菜子ちゃん……たぶん、ね」
「……なるほどね」
俺は周りを見渡し、目に入ったキッチンカーでラテをふたつ買った。それをひとつ五百城に渡した。
「ちょい座らん? 正直、足死んでるわ」
「立ちっぱなしだもんね。私も疲れたー」
近くのベンチに並んで座った。目の前を、カチューシャをつけた女子、土産袋を持った男子、私服の高校生たちが、話しながら次々に通っていく。
五百城がラテを両手で包む。
「あー、足パンッパン。でも、楽しかったねー」
「楽しかったな。でも、明日はまた見学や。あれはつまらへん」
「あはは、伊織くん、じっとしてらんないもんね」
「でも、今日はほんま楽しかった。この班で良かったわ」
「うん」
五百城は前を向いたまま、少しだけ目を細めた。
「私も初めて伊織くんと一緒に回れて、楽しかった」
この言い方に、何度目かの引っかかりを感じた。
『初めて』ってなんや?
「あのさ、五百城……」
ラテの蓋の小さな穴から、湯気が揺れて上がっている。
「なに?」
五百城は笑顔のまま、俺の方を向いた。
「……いや、やっぱりいいや」
「えー、なんで? 言ってよー。なに~?」
いつもより、少しだけ言い方が柔らかい。五百城もテンション上がってるんやろな。
聞かない方が良いと思った。だけど、俺は聞いてしまった。
好奇心が恐怖に勝ってしまった。
「俺さ、前に五百城と会ったことある? 覚えてへんのやけど」
五百城が固まった。
笑顔がゆっくり消えていく。視線が下がり、カップを持つ指に少し力が入った。やがて五百城は手で口元を覆った。
「……あ」
一瞬、俺の方を振り向き、また下を向いた。
しばらくそのまま時間が過ぎた。目の前では高校生たちが次々に通り過ぎていく。袋の擦れる音と、興奮した話し声だけが耳に残った。
「……信じてもらえないかもしれないけど」
五百城が口を開いた。俺はカップを握り直した。
「うん」
「私ね……」
五百城がひとつ、大きく息を吐く。
「私、ループしてるかもしれない」
持っていたカップが、ぐしゃっと鳴った。
「え? は? えぇ?」
慌てて力を抜く。蓋の端からラテが少し滲んでいた。
「そうだよね。そうなるよね」
五百城が寂しそうに笑う。
「ちゃう。ちゃうけど、さすがにびっくりした」
ベンチから立って、二、三度深呼吸してから、また五百城の隣に座った。
「……よし、受け入れ準備はできた。というより、少し納得できた」
「え?」
「五百城って、何か知ってそうな感じやったやん。ループって言われたら、あ、そうって思うわ」
「でも、ほんとはわからない」
五百城の肩が少し震えだした。
「ある日起きたら、四月の転校した日の朝になってる。過ごした時間は夢で、起きてからが現実。そんな感じ。だからループしてるってのも夢なのかも」
「なるほどなー」
平坦に返す俺を、五百城が眺める。
「ただの妄想かも知れないし……」
「妄想だとしても、なんか五百城、怖がってるやん」
五百城はしばらく間を置いてから、小さく頷いた。
「……うん」
「ほな、ま、怖い時は言うてみてや。何ができるかしらんけどな」
「え?」
「や、だって俺からしたら、五百城は目の前の五百城だけやん。なんも変わらへん」
五百城が真っすぐ俺を見てきた。俺は目線を外さないように必死だった。
「もう半年も五百城見てきたやん。少しはわかってやれる……気もするやん」
五百城の目が潤んだ。
その時、スマホがブブッと震えた。画面を見ると、列に並んで待っている二人のツーショットと、お土産リストが並んでいた。
「ごめん。しんみりしてもた。さ、買い物行こう」
ベンチから立ち上がろうとした瞬間、五百城が横から抱きついてきた。
持っていたカップが手から落ちる。俺はそのまま、ベンチに倒れるように座り直した。
「ちょっ、ちょっと、なに?」
通り過ぎる高校生たちが、こちらを見ながら歩いていく。俺は顔を隠すようにキャップを深くかぶった。
「ありがとう……」
声が震えていた。
「ありがとう……ありがとう」
小さく何度も言う。五百城の心臓の音が、こっちまで伝わってくる。たぶん俺の心臓の音も、五百城に伝わっている。
「……わかったって。人見てるって。勘違いされるってば」
俺がそう言うと、五百城はハッとしたように離れた。
涙を手で拭いて、慌てて周りを見る。
「あ、ごめん。そだよね。どうしよ……」
俺は落ちたカップを拾い、近くのゴミ箱へ持っていった。戻ってくると、五百城はまだベンチに座ったまま下を向いていた。
「んー、そんときは必死に言い訳しよや。なんとかなるなる」
そう言って、笑いながら立った。
「はよ買いに行かな、バス行ってまうで」
五百城は座ったまま、少しの間俺の手を見ていた。
「そだね」
そう言って、俺の手をそっと取った。その手はもう震えていなかった。俺が引くと、五百城は立ち上がった。
結んだ手は、すぐに離れた。二人並んで、混雑するショップの中へ戻っていく。
その時の俺は、五百城が見られる側の人間であることを、すっかり忘れていた。




