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第六十話 海斗と伊織

修学旅行が始まった。私服で登校するなど初めてだった。しかも、早朝七時。


日が昇りきらないうちに起きて、紗奈が選んだ服を着た。親父のスーツケースを借りる。


紙に『おとん、おおきに。行ってくる』と書き置きをして、テーブルに置いた。


うちの高校は学科で行き先が違う。普通科百二十人は大阪。なお、他はディズニーらしい。普通科で良かった。


「なんか、伊織、機嫌良くないか?」


新幹線で隣に座る松田が言う。


「あ、わたしも思った」


前に座る上川も続く。


「なんか、伊織くん、嬉しそう」


五百城まで乗ってくる。


「せやなー。普段はモブの俺も、大阪やとただの人」


朝から笑顔が止まらなかった。


「わたし、USJ初めて。しかもハロウィンとか、めっちゃうれしい」


上川のテンションは、今日もアゲアゲだ。


「五百城はUSJ行ったことあるんやんな? 借りた傘、USJのやったし」


「あ、うん。一度だけ家族で夏に。でも、友達とUSJとか、ほんっっっと楽しみ」


いつも静かな五百城の声が、もう嬉しそう。


「伊織、地元だろ? USJ何回目?」


「小さい頃は、年パスやったから、クソほど行ったわ。あんま覚えてへんけどな」


自分でも分かるくらい、俺は機嫌がいい。


「濡れるかどうかは決めときや。俺はとりま濡れる」


口が止まらない。


「なんか大西、リア充してない? 服もちょっとおしゃれだし」


「あ、私も思った。伊織くん、オシャレだよね?」


自分の服を見た。


「ん? これ? 紗奈が選んでくれてん。俺、服持ってないから」


五百城が一瞬、顔を背けた。松田が構わずに話を続ける。


「へぇ。紗奈ちゃん、オシャレだな」


「せやけど、俺より上川……」


三人が上川の頭を見た。金髪ショートが、ただのショートになっていた。


「えへへ。黒髪、似合う?」


中元以外にリアルに「えへへ」を使うやつが現れるとは……


「似合ってるもなにも、上川て美人やってんなぁ」


上川の顔を凝視して言った。上川に頬を叩かれた。


「いったぁ。なんやねん」


「照れるでしょ。たとえ大西でも」


上川が照れ笑いする。


「伊織くん、ほんと嬉しいんだね。なんかかわいい」


五百城が笑う。松田も褒めた。


「たしかに日菜ちゃん、黒髪の方が似合ってるかもな」


上川が本気で照れる。悶絶してる。叩かれた頬は痛いが、見ていて楽しい。


話し続けて、いつの間にか新大阪駅に到着。ここからはバス移動だ。


バス乗り場で整列させられてる間にも、周りでは関西人たちが行き来する。耳に入るのは、やけに落ち着く関西弁。


「なんか、伊織だらけだ」


「なんやねん、それ」


最初は、大阪城だった。小さい頃に家族で何度も来ていた。全ての季節を俺は知っていた。


今は、銀杏並木が少し色づく季節。嫌でも、小さい頃の記憶が蘇(よみがえ)った。


みんなで歩いて移動している間に、五百城がハンカチを手渡してきた。


「ん? なんや?」


五百城は顔を前に向いたまま小声で言った。


「伊織くん、涙出てるよ」


手を目元に当てると、指に水滴がついた。


「あれ? なんで? 花粉?」


ごまかしたつもりだった。


大阪に住んでたころは、家族四人でいつもこの道を歩いていた。


「懐かしくて、なんか感傷に浸ってまうわ」


「うん」


五百城は、それ以上何も聞いてこない。踏み込んでこない。紗奈だったら、絶対に聞いてくる。


「五百城、ありがとう」


「やっぱり変。今日、素直すぎるよ」


自分でも変だと思った。でも、これが自然なようにも感じていた。


大阪城天守に入ると、ガイドのつまらない講釈が延々と続いた。


「えー、この天守閣は、豊臣秀吉が建てたわけではなく――」


つまらへん。なんでみんな、こんなん大人しく聞いてられるんや?


「なぁ、松田。お前、これ興味ある?」


松田に小声で聞いた。


「あると思うか?」


「思わへん。バックレるか?」


「珍しく意見が合ったな」


二人でこっそり抜け出した。上川が俺たちに気づいた。俺は人差し指を口に当て、そのまま松田とそっと階段を下りた。


「あー、むりやー。あれはむりー」


外に出て大声で叫んだ。


「だな。でも、何して待ってたらいいんだ?」


秋だというのに日差しが強く、汗ばんでいた。


「アイスでも食って待ってようや。奢ったるわ」


「お、サンキュー。気前いいな」


「今日は気分ええからな」


松田と二人で茶菓子屋に行き、ソフトクリームを二つ買った。


「ほいさ」


松田に一つ手渡し、ベンチに座った。


「まさか、お前とふたり並んで、アイス食うとは思ってなかったわ」


「こっちのセリフやで。俺モブ。お前一軍。生きてる世界がちゃうからな」


松田の表情が少しだけ固くなった。


「正直言うと、お前の方が楽なんだよな」


「あん?」


「あいつらといると、いつもどこか気を張ってるっていうか」


「それは俺が下ってことやな」


「お前はいつもそう穿(うが)った言い方するよな」


「しゃーない。これが仕様や」


「そうじゃなくて……あー、もう言葉にできん」


「松田は成績良いのにアホやんな。憎めへんやっちゃで」


ソフトクリームを舐めながら言った。


「そうそう。その憎まれ口が、あいつらにはない。なんつーか、褒め合いばっかり」


「そっちも大変なんやなぁ。モブれば楽やで」


天守閣からみんなが出てきた時、こっそりと戻った。完璧に隠れていたつもりだったが、バスに乗る前にしっかりと叱られた。


バスの中で松田は、妙にすっきりした顔をしていた。俺もたぶん、似たような顔をしていた。


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