第五十八話 紗奈のこと
一〇月に入って、制服も冬服に変わった。昼間の気温はまだまだ高い。だけど、今日の朝はもう上着を羽織らないと少し肌寒かった。
その朝、玄関を出ると、久しぶりに紗奈が待っていた。
「あれ? おはよう。LINEくれればすぐ出てきたのに」
「おはよう、伊織。うん、でも、今日はほんとに気分だったから」
歩き出すと、紗奈がすぐ左横に並んだ。
「今日は、朝練休みやったん?」
「そう。修学旅行までは休みだって」
「なんで?」
「先生が、修学旅行は行くまでが楽しいから、だってさ」
「もうみんなずっと、USJの話してるもんな」
「でも、あたし、海遊館なんだよねー」
紗奈が、眉尻を下げながら笑う。
「うちでも半分くらいUSJ行かない感じみたいやで」
「そうなの?」
「USJなんて陽キャしか行きたがらへんからな。俺もいやだ」
「そっかー。当日だけでも、伊織と代わりたい」
「制服貸してくれるなら、代わったるで。紗奈として一日すごしたるわ」
「それはさすがにやだ」
紗奈とは普通に会話できる。普通なんだけど、何か違う。
「でもな、海遊館なら余裕で一日つぶせる」
「あ、そっか。伊織にすれば帰省だもんね。行ったことあるの?」
「当たり前や。俺、ペンギンの前から動かへんで」
直立不動でペンギンを見ている真似をすると、紗奈が笑ってくれた。
「そういや、小六の時に紗奈と水族館行って、紗奈、怒って帰らんかったっけ?」
「あー、あったあった。なんで私怒ったんだっけ?」
「その時も今もわからへん。あの頃から、ずっと怒りんぼ」
「伊織が怒らせるからでしょ」
そう言って、紗奈は笑った。
紗奈は楽やなぁ。学校に着くまで、そんなことを思っていた。
ランチタイムでも、紗奈は普通。
とは言っても、女子同士の会話はよく分からない。
「日菜子ちゃん、いつも髪色きれいよね」
「ありがと。でも、めちゃくちゃ傷むからケア大変」
「わたしも染めてみたいなー」
「美月ちゃん、肌白いから絶対似合う」
心の底からどうでもいい。
「でも俺は、美月ちゃんに黒髪でいてほしい」
そこに入っていける松田が凄すぎる。
「でもさー、修学旅行のすぐ後に中間試験とか、軽く死ねるよね」
上川の投げるカーブが異次元だ。
「だよね。ホテルで勉強する人とかいそう」
「そんなん、なんの罰ゲームだよ」
名キャッチャーの松田は、それを難なく受け止める。
話に入れない俺は、いつものスマホタイムに没頭する。
「伊織、なにしてんの?」
ぬっと、顔が近づいてきた。紗奈が急に俺のスマホを横から覗き込んできた。日焼け止めの匂いが届く距離に、一瞬たじろぐ。
「紗奈、顔、近いってば」
「あ、ごめんごめん」
そう言って軽く笑う。俺は小さなため息を吐く。いい意味で。
だけど、なんかやっぱりいつもと違う気がした。
その日の部活終わり。服を着替えていると、八巻が話しかけてきた。
こいつは紗奈と同じクラスだ。少し大人しめのナイスガイ。偏見や。
「大西、聞いていい?」
「ええでー」
「大西って西宮さんと中学同じなんだよね」
「そやで」
「西宮さんって、何が好きか知ってる?」
ん?
「それは、知らんわ。とりあえず、ジー・クロのCDはコンプしてるかな。今どき、CD」
せっかく答えたのに、八巻は言葉を探しているのか、言いにくそうな顔をしている。
「どしたん? ほんまによう知らんねん」
「……西宮さんと大西って付き合ってないよね?」
「あー、明確に否定しとくわ」
「そうだよね。大西は五百城さん狙いだもんね」
またか、こいつらは……。
「なんでお前らみんな、俺と五百城をくっつけんねん」
「いや、中元が……」
あの妹顔のせいか。
「ま、ええわ。ほんで、本題はなんや?」
「大西は、五百城さんに告白するの?」
コーヒーを飲んでいたら、吹き出していた。
「なんでやねん。するわけあるか」
「しないの?」
「せーへんて。仲良さだけで言ったら、紗奈との方が仲ええわ」
八巻がまた何かを言いたそうに、でも言わないでいた。
「で、八巻の話はなんやねんな」
「……いや、やっぱいいや」
そう言って部室を出て行った。男心もよう分からへん。
帰りに五百城に、このことを話してみた。
「あー、なるほどー」
「なるほどて……五百城、わかるん?」
「そりゃあね。これでも女ですから」
いや、どこからどう見ても女ですけど。
「で、八巻のあれ、なんなん?」
「たぶんねー、八巻くん、紗奈ちゃんに告白したいんじゃないかなー」
「へ?」
「ほら、紗奈ちゃん、誕生日ももうすぐでしょ。修学旅行でプレゼント渡してから、好きです!って」
「なんや、そのやっすい台本」
「そんな言い方ダメだよ。八巻くんも一生懸命考えてるんだと思う」
「……うん、ごめん。でも、紗奈がねぇ」
五百城が足を止めた。少し後に、それに気づいて俺も止まった。半身で五百城を振り返る形になった。
「あのさ、紗奈ちゃんって、かなりモテてるんだよ?」
「え? そうなん?」
身体を完全に五百城に向けた。
「誰にでも明るいし、素直だし、でも媚びないし」
「中学校の時のウザがられてるイメージが……」
「私が知ってるだけでも、何人かはいるよ」
返事が、一拍だけ遅れた。
「なんで付き合わへんの?」
「それは紗奈ちゃんが相手を好きじゃないからでしょ」
「そらそやな……」
五百城がまた歩き出して、俺の隣に来た。
少し強い横風が、五百城の髪を巻き上げ、俺をかすめた。
五百城は止まらずに歩いた。俺もその横を同じ速度で歩いた。
半年前には五百城とふたりで帰ることになるとは思っていなかった。
風に、トリートメントの香りと、少しだけ枯れ葉の匂いを感じた。




