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第五十三話 その優しさが要らない

街の夕暮れ。中元とふたりで、言葉なく歩いた。


駅から少し外れた飲み屋街。その端にある小さな公園。


そこのベンチにふたり並んで腰を下ろした。


まだ日が落ち切っていないのに、これから店へと向かう人たちの大きな話し声が聞こえた。


「ここでええか?」


「はい。ここがいいです」


そう言って、中元はひとつ大きな深呼吸をした。


「もう気づいてるとは思いますけど……」


「……うん」


「今言うことじゃないってわかってはいるんですけど……」


中元はゆっくり俺の方を向いた。真っすぐ俺の目を見てきた。


「わたしは、伊織さんが好きです」


俺は顔の向きも表情も変えなかった。


中元は視線を外し、はぁ……と息を吐いた。


「彩音ちゃん? 聞いていい?」


「はい」


「俺の何が好きなの? ポンコツやで」


中元が静かに笑った。


「はい。そこが好きなんです」


手を握り、少し下を向いて、足を動かしながら中元は話し出した。


「最初はほんとうに、男避けみたいに思ってました」


「……やな」


「でも、剣道は真剣だし、料理も上手だし」


「……」


「でも肝試しで本気で怖がる伊織さんに、キュンってしました」


「キュンて……。でも、今日もほら、俺、運動音痴やし、カッコ悪いやん」


中元が今日を思い出したように笑った。


「アハハ、そうですね。そのギャップですかね?」


「ギャップ……」


「伊織さんて、カッコつけないじゃないですか。いつもいつも自然で、うらやましいなって……」


中元の言葉がここで止まった。中元が目線を少し上げた。


「……こうやって、わかってて付き合ってくれるじゃないですか……」


最後の方の声は震えていた。


「演技ってわかってても、彩音ちゃんって呼んでくれて。わたし本当は心臓バクバクだったんです」


震えながらも笑顔で話を続けようとする。


「……そっか」


「でも、いいんです」


中元は涙を拭こうとはしなかった。


「伊織さんは、五百城先輩しか見てないですから……」


とっさに中元の方を振り向いた。


「え? ちが――」


「いつも目で追ってるし、毎日一緒に帰ってるし」


「や……だから……」


「五百城先輩を見る目とわたしを見る目が違うから」


諦めよう。俺の返事は変わらない。


「……そうやな」


中元はベンチから立ち、俺の前まで来ると、胸の前で両手の指を組んだ。


「だから、返事をください」


やりきるのか。中元は偉いな。


ほな、最後まで付き合うか。


「わたしは伊織さんが大好きです」


俺は軽く目を閉じ、頭を下げた。


そして、ゆっくりと目を開けた。


そこには涙目で笑顔を作る中元が立っている。


「ありがとう」


ひと呼吸だけ置いた。


「でも俺な、好きな人おんねん」


「はい…………あり……が」


中元がその場でしゃがみこんで、泣きだした。


「……えぐっ……わかっ……てても、やっぱりつらい……です」


背中を撫でそうになり、その手を肩に置いて、中元をベンチに座らせた。


「ごめん」は言わなかった。


もう日は落ちて、道路の街灯が、ふたりを緩く照らしていた。


俺は、隣に座って、中元が泣き止むのを待とうとした。


「……先輩、ここは帰ってください」


顔を見せずに中元が言う。


「でも、もう暗い――」


「その優しさが要らないんです!」


「……」


「月曜には戻ってますから。帰ってください」


俺は一拍置いた。息を吐いた。


「わかった。でもな中元。先輩として、後輩を夜道にひとり置いては帰れない」


返事はなかった。しゃくり上げるたびに、体が小さく震えていた。


俺はそのまま中元が顔を上げるのを待ち続けた。


通りの向こうでは、大学生らしい集団が笑いながら店に入っていった。公園の中だけが、そこから少し外れている。


中元は何度か息を整えようとして、そのたびに失敗した。俺は隣で、膝の上に置いた自分の手を見ていた。


声をかけても、何を言っても、慰めにはならないと思った。だから、中元が自分で顔を上げるまで、ただ、黙って待った。

 

どれくらい、そうしていたのか分からなかった。


酔った声が聞こえだしたころ、ようやく泣き止んだ中元を連れて、駅へと向かった。


ほろ酔いで肩を組んで歩く大人たちが、場違いな俺らをちらちらと見る。


中元はその人たちには見向きもせず、下を見ながら小幅で歩く。俺は、その歩幅に合わせて、ゆっくり歩いた。


この間、言葉はひとつも交わされなかった。


駅に着いたとき、時間はもう二十一時を回っていた。


「親御さんには連絡した?」


中元が頷く。


「家まで送るって言うとまた怒るんやろ?」


中元がまた頷く。


「よし、ほな信じるわ」


「……先輩」


中元がようやく口を開いた。


「今日は、本当にありがとうございました」


「……え、はい。こちらこそありがとう」


中元が大きく深呼吸して、腫れた目のまま、笑顔を作った。


「これでわたし、先輩を好きなまま、誰かと恋できます」


――松田と同じ。


「月曜日からまた、よろしくお願いします」


そう言ってお辞儀をすると、改札へと走って行った。


俺は家に戻る気にならず、駅前のスタバでホットラテを買って、噴水のレンガに腰かけた。


「あいつら、ほんま、すげぇなぁ」


ラテを一口飲んだ。ほっと一息する。


スマホが震えた。


紗奈からと思ったら、親父だった。


〈遅い。何してんねん〉


〈悪い。もう帰る〉


〈青春しとんか〉


「このおとんはなぁ……」


ひとりでに笑みがこぼれた。


〈せやな〉


〈飯は食うたか?〉


〈まだや〉


〈用意しとく。気を付けて帰れ〉


〈サンキュー〉


紗奈からも五百城からも、新着通知は来ない。


「……俺、青春してんやなぁ」


ラテが残ったカップを持って、俺は改札へと歩いていった。


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