第五十二話 伊織と彩音
十三時半少し前にはスポッチャに着いた。入口の自動ドアの前には、髪を巻いた女子二人と、いかにも部活帰りみたいなジャージの男子たちが、靴袋を片手に笑っていた。
カップルらしい二人もいた。男のほうが券売機の画面をのぞき込み、女の子がその袖を軽く引っ張っている。二人の距離が、他より近い。
「わくわくしてきました! 早く受付しましょう!」
中元が俺の手を引く。俺は黙ったまま、されるがままに中元についていく。
「あっ」
中元が急に振り向いた。
「ひとつだけお願いしてもいいですか?」
「ここまで来たら、なんでもええよ」
「やった!」
その笑顔に一瞬だけ、喉が詰まった。
「彩音って呼んでください。ちゃんつけてもいいです」
「……は?」
「わたしは、伊織さんって呼びます」
眉尻が下がったまま口角が上がった。
「わかった。ほな、彩音ちゃん、いこか」
「はいっ」
靴を履き替え、館内に入った。中元は足を止めたまま、目だけ先に館内を走り回っている。
「あれです! 卓球で勝負しましょう!」
俺は中元に手を引かれ、卓球台に連れてかれた。中元がすぐにラケットを二本取って、一本を俺に押しつけてきた。
「勝ったほうが、次の種目決められることにしましょう」
「オケ。俺が勝ったら休憩や」
「負けないから、なんでもいいです」
サーブはへなへなだった。
だけど、中元はなぜか返すのだけは上手かった。変なところに当てて、変な回転で返ってくる。
こっちが少し真面目に打つと、きゃっと声を上げて逃げるくせに、次の瞬間にはもう笑っている。
「伊織さん、それが本気ですか?」
「あほか。今のは七割じゃ」
「じゃあ十割出してくださいよ」
「出したら、彩音ちゃん泣くで」
「泣きません。勝ちます」
中元はとにかく笑う。笑いながらラケットを振り回す。
「……マジか?」
「わたしのかちー」
俺はラケットを握ったまましゃがみ込んだ。
「さすがに、運動神経いいな」
「わたしがいいんじゃなくて、伊織さんが悪いだけですね」
それから、バッティングを少しやった。俺が一球目から空振りすると、中元はネットの外で腹を抱えた。空振るたびに、中元が笑う。十球あって、ファール二回。
「あー、もう。伊織さん、交代しましょう」
「野球部ちゃうねんから、許してや」
そう言って、バットを渡して、俺はネット裏に回った。中元の目つきが変わった。
カン、と軽い音がして、ボールが前に飛んでいく。
二球目からはボールが浮く。ホームランの看板の横を通り過ぎる。
「あー、おしかったー」
バッターボックスでぴょんぴょん跳ねる。
ピンクのフリルが揺れて、バットがまたボールを飛ばした。
アンマッチな光景が、俺には自然に溶け込んでいるように感じていた。
その後のミニバスケでも惨敗し、気づけばもう二時間が経っていた。
「そろそろ、ちょっと休もか」
「はい」
ドリンクを買って、フードコートの端の席に座った。氷が溶ける音と、遠くのゲーム機の音が混ざって、座った途端に汗が引いていった。
「中元……あ、彩音ちゃんて、くっそ運動神経ええんやな」
「違います。小さい頃に少しかじってただけです」
「卓球も野球もバスケも?」
「はい。飽き性ですぐ辞めちゃうんです」
「そっか。せやから、陸上から剣道ってこと?」
「そうです。姿勢がキレイだからとか言いましたけど、本当は、武道なら飽きないかなって」
「ん?」
「わたし、飽き性な自分が嫌いで、自分を変えたいんです」
「……そっか。なるほどな」
俺はコーラを口に含んで、言葉を止めた。その雰囲気を壊すように、中元がまた声を張った。
「次、なにします?」
「もうちょい休もや」
「時間がもったいないです」
「まだ五分だけやんか」
「五分も休みました」
立ち上がる中元の勢いに負けて、俺もコップを片づけた。
次はダーツになった。ルールはよく分からない。ただ、真ん中に近いほうが偉い。そんなルールで勝負した。
やっぱり俺は下手くそで、中元が笑う。中元は自分が真ん中に当てればもっと笑う。
ゲームセンターに入って、ユーフォーキャッチャーの景品を狙う。
「伊織さん、これ欲しいです」
中元が大きめの白い犬のぬいぐるみを指さす。
「さんざん見たやろ? 俺、運動神経ないって」
「これ関係なくないですか?」
「きっとある。ほら、アームの位置精度とか、ボタン押すタイミングとか」
中元がまた笑い出した。
「そんなのないですって。やりましょやりましょ」
ラノベなら、千円使って、最後は景品取ってプレゼント。
十回目のアームは、犬の頭を引っ掛け、持ち上げることなく定位置に戻った。
「ほらな、こんなもんやで」
そう言って、アームから視線を外して中元の方を向いたとき、中元と目が合った。少し体がのけぞった。
「……なに?」
「え? あ、ずっと伊織さん見てました」
中元が自分から視線を外した。
壁の時計はもう十七時を回っていた。
「そろそろ帰ろうか」
俺がそう言うと、中元は少しだけ躊躇した。
その間、「まだ遊びたいです」に対する返しを考えていた。
「はい。楽しかったです。ありがとうございました」
少し驚いたが、表情には出さないようにした。
スポッチャを出ると、ちょうど日が西に傾いていた。ビルが薄くオレンジ色に染まっていた。
「今日はありがとな。おかげで元気でたわ」
「はい!」
中元は元気いっぱいに返事をした。
時間を調べようとスマホを見ると、五百城から新着メッセージが届いていた。
〈ありがとう。私はもう大丈夫〉
ここから駅まで十五分。スマホをポケットにしまい、前を向いた。
「ほな、駅まで送るよ」
俺は足を出した。
「あの……」
中元は止まったままだった。
「うん?」
「やっぱりもう少しだけ……もう少しだけお話がしたいです」
半年前なら、断る理由を探していた。
「せやな。でも、暗くなるまでやで」
このときは、断ってはいけないような気がしていた。
俺は駅へ向けていた足を、中元の方に戻した。中元も、俺の方に一歩近づいた。




