第四十九話 九月一日
やっと長い夏休みが終わり、新学期を迎えた。
暦が九月になったからと言って涼しくなるわけでもなく、家を出れば灼熱だ。
「伊織、おはよう」
「おはよう。迎えに来てくれたん?」
「うん。なんとなく」
元気ハツラツではないけど、俺を避けるフラグは立たなかったようだ。
夏休み前と同じく、教室の前まで一緒に歩いて、そこで手を振る。
「じゃ、お昼ねー」
「あいあい」
教室の扉を開けて中に入る。
「お、伊織、おはよう」
真っ黒に焼けた松田がやってきた。
「すごいな、その色」
「次は、目指せ国立。正月にテレビで俺を見ろ」
「あーあー、相変わらずやな」
「お前も剣道部の割に焼けてるじゃん」
自分の腕を見た。確かに黒い。
「あー、部活前にランニングしてたからかもな」
そう言って自分の席に座り、隣の五百城に挨拶をした。
「五百城、おはよう。フェスん時、マジ助かった。ありがとな」
「伊織くん、もういいって」
そう言って目を細めて、静かに笑う。
「死にかけたからな。何度言っても足りへんわ」
「おおげさだよ」
ガラッと元気に扉を開ける音が聞こえた。振り向くと、上川がいた。
「海斗くん、美月ちゃん、大西も。おっはよー」
相変わらずの金髪ショートが、今日も光っていた。
「日菜ちゃん、髪色きれいじゃん」
松田が褒めた。
「でしょでしょ。昨日染め直したのん」
松田の前でくるりと回って、俺の後ろの席に座った。
「美月ちゃん、おはよー」
上川の挨拶に、五百城が唇を噛んで小刻みに震えている。
「ちょっとちょっと、どうしたの? だいじょうぶ?」
上川が五百城の肩に触れるか触れないか迷っている。
「美月ちゃん、どうした? 保健室行く?」
松田の声掛けに、五百城は首を振る。
「……ごめん。たぶん、だいじょうぶ」
その声は震えていた。
ホームルームのチャイムが鳴ってしまった。
クラスに散っていた生徒が各々席についた。
「五百城、本当にだいじょうぶなんか?」
できるだけ小声で聞いた。
五百城は下を向いたまま小さく首を横に振る。
担任の三枝先生が、四月よりもさらに眠そうな顔で教室に入ってきた。
夏休みが明けたところで、曲がった髪とネクタイは変わらない。
先生が教卓の前に着いた瞬間、俺は手を上げて立ち上がった。
「せんせー!」
「なんだ、大西? さっそく夏休みボケか?」
つまらない。つまらないのに、笑いが起きる。
先生と生徒の決まりきったやり取りだ。
「や、マジっす。多分、五百城、熱中症っす」
「なんだ、そのふざけた言い方は」
先生が五百城の近くまで来て、顔色を見た。
「確かに顔色が悪いな。どうした?」
先生は五百城に聞いた。
「昨日の部活中に水分不足で倒れてます。まだ回復してないんじゃないかと」
もっともらしい嘘は大得意だ。
「んー、そうか……誰か――」
先生がクラスを見渡した。その間にスマホを手に取ってポケットに入れた。
「あー、俺行きますわ。昨日の状況知ってるの俺だけですし」
「それもそうだな。いらんことすんなよ」
「いらんことって何すか? 俺、先生とちゃいますし」
笑いが起きた。
「とりま行きます。五百城、ほら、立てる?」
俺は先生の方を見向きもせず、五百城の腕をとって立たせ、そのまま教室を出た。
松田が心配そうに見ていた。
少し前までは嫉妬の目だったのにな。こいつは、本当に良い奴だ。
教室を出たものの、行く先を考えていなかった。五百城の腕を引き、考えながら、ゆっくり歩いた。
――人目に付かない所がいい。
だが、むやみに動くとフラグが立つ。
俺は、五百城を連れて保健室に向かった。五百城はずっと体のどこかに力が入っていた。
扉を開けると同時に言葉を発した。
「先生、少し具合が悪いみたいで、ベッド借りていいですか?」
「どうしたの? 顔色悪いね? 歩けるの?」
五百城は先生を見て頷いた。
「わかんないっす。貧血か、めまいか」
先生が五百城の顔を覗き込み、指を立てて右に左に動かした。
「……大丈夫そうね。休み明けの疲れかな」
「はぁ、良かった」
少しわざとらしかったかも知れない。
「一旦、休みなさい。回復しないようなら早退して病院いきなさい」
五百城は小さく頷き、ベッドに入った。
「心配なので、少し様子を見ててもいいですか?」
「あら、仲いいの?」
「はい。そうじゃないと連れてこないっすよ」
「それもそうね。授業サボりたいでしょうしね」
先生は皺だらけの顔で笑ってくれた。
「あざっす!」
先生に怪しまれないように、五百城の顔だけ隠れる程度にカーテンを閉めた。
スマホのメモ帳を開いて、テキストを打って、五百城に見せた。
〈何があった? 絶対におかしい〉
五百城は俺のスマホを受け取って、震える指でテキストを打った。
〈葛西さんがいない〉
〈葛西? 四月に引っ越したやん。それから五百城が来た〉
〈違うの。私の記憶だと上川さんが引っ越ししてるの〉
テキストを打つ手が一旦止まった。五百城の震えが止まらない。
五百城が俺からスマホを奪って、テキストを打って見せてきた。
〈写真見せてくれない? 花火でも夏フェスでも〉
俺はスマホに保存してある五人で撮った浴衣の写真を五百城に見せた。
「違う……ひとり足りない」
つぶやきと同時に五百城の瞬きが止まった。俺もその写真を見た。
俺、紗奈、松田、五百城、そして上川が笑って顔を寄せ合っている。
上川は、さりげなく松田の腕に絡まっている。いつもの上川だ。
〈何が違う?〉
五百城は俺のスマホを持とうとはしなかった。
その日、五百城はそのまま早退し、それから学校にも来なくなった。




