第四十八話 八月三十日
八月三〇日。夏休みは残り二日。いつもは寝ている親父が、朝からガレージで何かをしていた。
「おとん、なにしとん?」
ガレージを覗くと、親父は物置から、キャンプグッズを掘り出していた。
「あ? 聞いてたやろ。紗奈ちゃん家とバーベキューや」
盛大に忘れていた。
「いや、部活ある……」
「一日くらいサボってもバチあたらへん」
「せやけど……」
「おまえは、真面目か不真面目か、ようわからんのぉ」
親父が大きな声で笑った。
「……せやな。まいっか」
「そやそや。なんでもええねんや」
「ほな、手伝うわ」
「はよ、手伝えや」
バーベキューと言っても大がかりではない。昼から夕方まで、河原で肉焼いて食うだけだ。
親父のバンの助手席に乗って、紗奈ん家に迎えに行く。
紗奈の家の前にはすでに紗奈とその母親が待っていた。
「あれ? 誠司くんは?」
「休み取れなかったって」
「そか。伊織、おまえ、後ろいけ」
「えー、めんどくさいわ」
「はよせーや。紗奈ちゃんとくっちゃべっときゃええねん」
無理やり下ろされた。
「おはよう、伊織」
「はい、おはようさん。ほな、いこや」
紗奈もバンに乗り込み、火器が使える河原へ。
コンロを設置して、インスタントの火起こしで炭に火をつける。
「昔は、炭に火をつけただけでモテたんやけどなぁ」
親父が笑いながら、コンロに網を乗せた。
「それいつの話?」
「三〇年前やな。ギリ二十世紀や」
親父の楽しそうな顔を久しぶりに見た。
その反面、紗奈がやたら大人しい。
「紗奈、どした?」
「なんでもない。元気だよ」
「そうなの、伊織くん。紗奈、最近、元気ないのよ」
紗奈の母親が俺に言ってきた。
「後で、話聞いてあげてよ」
「……はい」
「せやで、伊織。男は、黙って話を聞くんや」
「おとんは、聞いてないやろ。流してるだけやろ」
「あ、それは伊織も同じだね」
ようやく紗奈が少し笑った。
こういう時、若い俺らはさっさと腹いっぱいになるが、大人たちはそうでもないらしい。
親父と紗奈の母親は、話しながら、ずっと食べている。
幼馴染というだけあって、どこからどう見ても、ふたりは気の知れた仲良しだった。
俺は、話の内容が耳に入らないように、少し離れたところに座って、コーヒーに口をつけた。
紗奈が、折り畳み椅子を持ってきて、俺の隣にそっと座った。その様子を横目で見てはいたが、話しかけず、川の方を向いていた。
「ねぇ、伊織?」
「やっと話す気になったん?」
「……うーん。どうかな。頭がまとまんない」
「何のことか知らんけどやな、話したくなったら話しや。聞くだけ聞いたるで」
俺は無邪気にそう言った。いや、無自覚か。
両手でマグカップを持ち、一度、それを口にしてから、紗奈は静かに口をひらいた。
「……伊織さ」
「なんや?」
「……美月と付き合ってんの?」
口に入っていたコーヒーが噴き出た。
「ゴホッ……ちょい待て。なんでやねん」
紗奈が笑わない。むしろ、表情が暗くなった。
「だって……毎日一緒だし、合宿のことも知らなかったし」
「部活のことなんて、いちいち言わへんやろ」
「……隠さなくていいから」
「付き合ってへんってば」
「だって、フェスん時もスタッフさんが『彼氏さん』って」
「ふたりだったから間違ったんちゃうん?」
「……でもさ、美月も伊織も、否定しなかったよね?」
言葉が出なくなった。あの時、確かにそうだった。だが、付き合ってないのは事実だ。
ここでイエスと言おうがノーと言おうが、フラグが立つ。
「……なんで黙るの?」
黙っていれば、イエスに傾く。
またこの状況だ。
「付き合ってるなら、それでいいんだよ?」
「……」
「どんな顔したらいいかわかんないじゃん……」
くそ。
五百城のせいか?
「……あー、もう。だから、付き合うてへんて」
少し語気が強くなった。
「怒らなくてもいいじゃん……」
紗奈が俺から目を逸らして、しゅんとした。
「あ、ごめん。でもな、マジで付き合ってへん」
「じゃあ、なんで『彼氏』なんて言ったの?」
言ったのはスタッフだ。
そう言い返しかけて、違う言葉を口にした。
「そんなん五百城にしかわからへんよ。とにかく付き合ってへん」
そう言いながら、五百城に少し腹が立っていた。
「そろそろ、帰んでー」
親父が呼んでいる。
「もう? なんか、早ないか?」
「紗奈ちゃんのお父さんが帰るまでに戻らんとな。それが礼儀や。覚えとけ」
滞在時間四時間の短いバーベキューが終わった。
帰りの車でも、紗奈と俺はほとんど話をしなかった。親父と紗奈の母親はずっと話していた。
紗奈の家に着いた時、紗奈の母親が大きな声で親父に言った。
「じゃ、哲成くん、またね」
「あー、またな」
紗奈の母親は、間違いなく俺を見た。
俺が目を合わせると、小さく手を振った。
親父がアクセルを踏んで、バンは進みだした。紗奈親子が小さくなっていった。
家に着くまでに親父に聞いた。
「なぁ、紗奈のおかんと幼馴染やったんやろ?」
親父の動きが一瞬止まり、すぐに戻った。
「あー、聞いたんか。そうや。それがなんや」
「それが、おかんが出てった理由かなと……」
家について車庫に車を停めた後、そのまま親父は頭を抱えた。
「……んまぁ、おおむね合ってるな」
エンジンを止めた。
「仲良すぎてな、おかんが疑ったんや」
「浮気を?」
「そう見えたんやろな。お前のねーちゃんも疑ってやな」
「……」
「せやから、紗奈ちゃんのお母さんな、ずっと気にしてるんや」
「なにを」
「うちのことや。特にお前のことやな」
親父はハンドルに両手を置いたまま、しばらく黙った。
「せやから、お前の面倒見させてくれって言うてきた。罪滅ぼしみたいにな」
「そんなん冤罪やんけ。なんでおとん許したんや」
親父が俺の頭に手を乗せた。
「お前が、おとんを信じたからや」
そう言って笑いながら、車を出ていった。
信じるも何も、俺は理由を知らなかった。
ただ、母親についていくのが当たり前って空気が、気に入らなかっただけだ。
…………そうか。
自分の行動に、他人が勝手に意味をつける。
予定調和はそこから始まる?
五百城は、それをわざと使っている?
ぽつぽつと雨粒がフロントガラスに落ちてきた。
小さな一粒が集まり、大きくなり、下に流れる。雨が激しくなると、水の流れができ、それが左右にゆっくり揺らぐ。
俺は助手席に座ったまま、その様子をしばらくずっと眺めていた。
―― 第三部 完 ――




