第三十三話 何かが起きる予感
窓の外を見れば、真っ青な空に入道雲。
夏は好きじゃない。だって暑いもん。
終業式の朝、俺は廊下でひとり、外を眺めていた。
「おはよう、伊織。なに黄昏れてるの?」
紗奈が通りかかって、声をかけてきた。
「紗奈、おはよう。や、夏やな、と」
「夏だね」
「今日はお迎えけーへんかってんな」
「朝から家族会議」
「紗奈ん家、そんなんあんの?」
「でね、ママがね、久しぶりに伊織の家族とみんなでバーベキューしないかって?」
「なんや、突然」
「伊織のパパさんの都合で、夏休み後半になっちゃうけど」
「おとんに話通ってんのか……」
「うん」
その笑顔やめろ。葛西の呪いは解けてない。
一瞬、目を背けた。
家族ぐるみか。これは逃げにくい。確定イベントだ。
「おけ。でも、そんなんLINEで言えばええやん」
「やったね! じゃ、ママに言っとくねー」
紗奈は去っていった。
俺のセリフは置いてきぼりになった。
終業式の日は、午前で終わる。だが、部活組は午後から部活がある。
だからランチタイムもある。休み前最後のランチタイムだ。
「あれ? 葛西って部活してたっけ?」
「してないよ?」
葛西が弁当箱を鞄から出しながら答えた。
体の割に弁当箱がでかい。
期待を裏切る、そのチョイス……嫌いじゃない。
「ほな、なんでおるん?」
「いたらダメ? なんかさみしいじゃん」
「ふーん、そんなもんなん?」
「そんなもんなんだよ」
葛西が怒ってるのか笑ってるのか分からない顔をした。
「伊織くん」
五百城に声をかけられた。
「ん? なんや?」
「なーまーえ」
「名前? 誰の? ……あ」
みんな、黙って笑顔になっていた。
「……茉莉花……ですか」
なんの罰ゲームだ。
「伊織さ、『ちゃん』つけた方が言いやすいぞ」
松田のアドバイスだ。
「いや、モブとしての誇りが……」
「お前のそのこだわりなんなんだよ」
松田がでかい声で笑った。
紗奈も笑っていた。
けど、休み時間の顔とは違う。
「んー、伊織にはきついかもね。伊織だけは名字でもいいかも」
紗奈が天使に見えた。
「松田くんが戻ってきたら、それで良かったんだし」
紗奈が笑う。五百城も葛西も笑って松田を見る。
「あ! そういうことか!」
やっと気づいたのか。
この拷問は、お前のせいなんだ。
「ありがとう、紗奈ちゃん。おう、伊織は名字のままでいい。俺が戻ったからな」
「助かる。マジ、地獄やったわ」
五人しか残っていない教室に笑い声が響いた。
「あ、わたしそろそろだ。伊織、グループLINEちゃんと見といてよ!」
そう言って、紗奈は教室を出ていった。
「じゃ、俺も行くわ」
「あ、わたしも」
松田と葛西も、荷物を持ってそれぞれの場に向かっていった。
「五百城、ほな、俺らも行こか」
鞄を持って席を立った。
五百城が立たない。
何か言いたそうだ。
「なに? 体調悪いんか?」
「……ううん、なにも。だいじょうぶ」
そう言って五百城も立った。
この顔は何かある。
だけど、俺はそれ以上は聞かなかった。いや、聞けなかった。
そのままふたり並んで、道場に向かった。
稽古の前のミーティングで、顧問が主将の清水を前に呼んだ。
「夏休み中についてだが、清水から提案があるそうだ」
全員が清水の方を見る。
まさか。嫌な予感がする。
清水が口を開いた。
「えーと、夏休みの間、平日の午前は、稽古にしたいと思います」
やっぱりかー。
剣道は好きだが、馴れ合いは嫌いだ。
「旅行とかの日は休んでも構いません。でも、来れる日はできるだけ来ることにしましょう」
いやや。俺はひとりか出稽古がええねや。
「先生は、正直、やめてほしい。休みがなくなる。だから、みんなの意見を聞きたい」
たしかに正直だな。
だが、誰も何も言わない。ここで意見がぶつかるなんて、マンガの世界だけだ。
「……そうか。それなら多数決にするか?」
素晴らしい。民主主義ばんざい。
「清水の意見に反対の人は、手を挙げろ」
ん? 先生と俺だけ?
「……大西だけ……か?」
先生も唖然としている。
「俺は大西と同類か……」
凹む場所間違えてるぞ。
清水がしたり顔をしている。
なんやこの翼賛政治。
「はい。では、賛成多数ということで、夏休みは稽古に励みましょう!」
「「「はい!」」」
なんでだよ。
去年は部活なかっただろ?
俺は熱血したないねん。
その日は、ふてくされながら稽古をした。
帰り支度を終えて、紗奈を待っている間に五百城へ聞いた。
「五百城さ、毎日部活とかええん?」
「え、私? 私は嬉しいかな。淋しくないもん。こっちには友達もいないし」
あ、なるほど。
「……ねえ、伊織くん?」
「なに?」
「……なんでもない」
いちいち意味深だ。
そこへ紗奈が来た。大きなケースを背負っている。
「あれ? 紗奈、なにそれ?」
「楽器。ホルン。自宅練習しろって」
「へぇ。そんなん家で鳴らしたら近所迷惑ちゃうん?」
「家なわけないじゃん。河原とか広い公園で吹くの」
「なるほどなぁ」
俺は紗奈のケースを手に持った。
「重いやろ。家まで運んだるわ」
「サンキュ、伊織」
五百城が少し怪訝な顔で、こちらを見ている。
何かが起きる予感がする。
これ以上は聞けない。
「……夏やなぁ」
口から漏れた。
「夏、だねぇ」
紗奈も続いた。
俺は笑って五百城を見た。
いつもながら白い肌だ。
五百城はただ、つられたように笑った。
三人で駅に入ると、キオスクから漏れる冷房の風が涼しかった。
―― 第二部 完 ――




