第三十話 「ありがとう」ではなかった
ここは、強豪校でも何でもない、公立校。運動部の多くは、インターハイに出場できずに、三年生は、梅雨の終わりと同時に引退する。
サッカー部が負けた次の月曜日、教室に行くと、松田の声が聞こえた。
「惜しかった。惜しかったんだよ」
窓際の集団と自分の試合について話していた。
俺は自分の席に座る前に、松田のところに行き、肩を叩いた。
「こないだはすまんな。配慮が足りなかった」
俺は謝った。松田は普通に笑った。普通だ。
「あぁ、気にすんな。ちょっと凹んでただけだ。もう俺は元気だ」
そう言って、またクラス選抜メンバーたちと話し出した。
俺は自分の席に座り、隣の五百城に聞いた。
「なんか、松田、元気やん? あれは強がりとか?」
「んー、わからないけど、元気ならいいんじゃない?」
軽い。あの日の重さはどこに行った。
相変わらず五百城は分からない。
なんなんだ?
ランチタイムになり、紗奈が教室に入ってきた。
手際よく机と椅子を配置する。
違うクラスのヤツだけどな。
みんなが弁当を机の上に置いた。
俺は購買に行くため、財布を尻ポケットにしまった。
松田が窓際からやって――こない。
「松田くーん、入りなよー」
紗奈が松田を呼んだ。
松田はその場で振り向いた。
「あ、今日、俺いいや」
そう言って、教室を出て行ってしまった。
四人で顔を見合わせた。
一瞬遅れて、反射的に松田を追いかけた。
「ちょい、どした?」
廊下で松田の肩をつかんで言った。
「なんでもない。なんか、気分が乗らんだけ」
「ほな、一緒――」
「少し放っておいてくれ」
「松田よ、気持ちはわからんでもない――」
「わかるわけないやろ!」
松田が叫んだ。びびった。肩が跳ねた。廊下のみんながこっちを向いた。
「……お前にわかるわけがない」
「なにがやねん。俺も自分のせいで負けたからな。少しは――」
「そうじゃない」
あれ? 外している?
「俺は本気だったんだ」
「サッカーに?」
「違う。美月ちゃんに」
そっちか。読み間違えてた。
「もう告白できない……」
「……え? まだしてへんのやから、いつかしたらええんちゃうん?」
イケメンの考えはよく分からん。
松田はため息交じりに言った。
「お前はモブなんだもんな」
「せやな」
「……俺はな、ダメだとわかっているからこそ、物語にしたいんだよ」
わけが分からない。
「それで話を終わらせて、ようやく次にいけるんだよ」
もっと分からない。
「お前こそ、はっきりせえや。振り回してるぞ」
なにを?
松田は、理解に苦しむ俺を置いて、歩いて行った。
出遅れて向かった購買にはもう、焼きそばパンしか残ってなかった。
パンを持って教室に戻ると、三人はもう弁当を食べ終わって、ガールズトークを始めていた。
その中に入る勇気はない。
俺は、教室から逃げようとした。
「ちょっと、伊織?!」
紗奈に見つかった。
「松田くん、なんて?」
仕方ない。戻ろう。
「ようわからへん。本気やから物語にしたかった、やて」
そう言いながら、席に座った。
「どういうこと?」
「だからわからへんって。葛西、わかる?」
葛西が首を傾げながら言った。
「五百城さんに振られたかったんじゃない?」
五百城が葛西の方を向いた。葛西は続けた。
「なんて言うか、さすがに脈無しだってわかるじゃん」
恋愛マスターか、お前は。
「でも、振られたいとかって?」
紗奈、俺はお前を支持する。
「頑張ったけどダメだった。けど、泣いて泣いて、明日があるさ?」
葛西の言葉は、分かるようで分からん。
「要するに、告って振られてスッキリしたかったってこと?」
「ちょっと違うかも。ほら、松田くんって、ちょっと演技じみてるじゃん。悪く言えば、自分に酔ってる感じ」
その洞察力は、尊敬に値する。
「試合に勝って、でも恋愛に負けて、キレイな失恋ラブストーリーじゃん」
「……なるほど」
「このままだと、試合にも恋愛にも負けた、悲劇の失恋ラブストーリーだけどね」
紗奈と葛西が会話をしている間、五百城はずっと下を向いていた。
「ふーん。でもさ、どっちももうエンディングじゃない?」
「だから、松田くん、離れようとしてるんでしょ。放っておこうよ」
五百城の手が小刻みに震え出した。
どうする?
どうする?
どうする?
俺は、時計を見た。
「あ、やべ。五百城、昼ミーティング忘れてた。週末の練習試合のヤツ。急ぐで」
俺は五百城の手首を持って、立たせた。
「葛西、ごめんけど、机と椅子、戻しといて。紗奈、またな」
ふたりはキョトンとしている。
「五百城、走ろう。急いだ雰囲気だけ見せてごまかそや」
俺は笑って、五百城を見た。
五百城は頷いた。
俺は五百城と一緒に、剣道場に走って向かった。
だが当然、剣道場には誰もいない。
練習試合なんて嘘だ。ミーティングなどあるはずもない。
「はぁ、はぁ……五百城、震えは止まったか?」
五百城が息を切らしながら、俺をパッと見た。
一秒置いて頷いた。
「もう、ずいぶんわかってきたで」
五百城の目が潤んできた。
吸い込まれそうになる。
だが、俺は唾を飲み込んで、それを止めた。
「松田に好かれてはいけない。だけど、避けられてもいけない。そういうことか?」
五百城は、もう一度、頷いた。
「で、たぶんやけどな、出会った時に俺が五百城を避けたのが原因や……と」
五百城が小さな声で答えた。
「……それは違う。避けたのは合ってる。避けて欲しくなかったけど」
やばい。意味分からん。混乱する。
「……オッケー。わからへん。せやから……」
「……」
「やっぱ理由聞かへん。なんとかする」
言い切らないとダメな気がした。
ガバッ
服が擦れる大きな音が、静かな昼の道場に響いた。
五百城が俺に抱きついてきた。
「ごめん……本当にごめん」
俺はやり場のない両手を中途半端に宙に浮かせたまま、五百城の温もりだけを感じていた。
ここでは「ありがとう」ではなかった。




