第三話 嫌な予感が止まらない
朝七時。外は快晴。すこぶる気持ちが良い。
遅刻しそうになり、パンをくわえて学校まで走ると、曲がり角で五百城とぶつかるような予感がする。
だが俺は、母親の焼いたトーストではなく、自分でよそった納豆ご飯を食べていた。
関西人だが、納豆は好物だ。
ご飯を食べ終わり、コーヒーを淹れていると父親が起きてきた。
「伊織? なんか早ないか?」
「気分」
「あ、そか。もう行くんか?」
「行く」
俺は、歯を磨いて納豆の臭みを取ると、遅刻しないように、いつもより三十分早く家を出た。
これで「朝のぶつかり」イベントは発生しない。
次に考えられるとすると、幼馴染だ。
幼馴染は、だいたい朝に現れる。
家の前で待っていたり、駅までの道でばったり会って「おはよ」と言ってきたりする。
だが、大阪から引っ越してきた俺に、幼馴染などいない。
あと考えられるのは、せいぜい部活の女子か?
大丈夫だ。今日は、三十分余裕がある。
いつもの通学路は使わない。いつもよりも遠回りして学校に向かい、出会いを避ける。
だが、あまりにルーティンを崩すと、昨日みたいな揺れ戻しがあるかもしれない。
俺は、いつもと違うコンビニで紙パックのカフェオレを買った。
完璧や。完璧すぎる。
コンビニを出て、角を曲がったところで、声がした。
「伊織?」
俺は足を止めた。
振り向くと、コンビニの前に、西宮紗奈が立っていた。
右手にコンビニ袋、左手にカフェラテ。制服の上から薄いカーディガンを羽織っていて、髪は肩の少し下で揺れている。
明確に「幼馴染」でも「女子部員」でもない。
大阪からこっちに引っ越してきてからの知り合い。中学は同じ。家がそこそこ近い。
親同士が仲良くなってしまって、かつては家族同士の付き合いだった。
たまたま高校も同じ。
それだけ。それだけのはずや。
「なんでこんなところにいるの?」
紗奈は袋からパンを一つ取り出しながら言った。
「そっちこそ」
「わたしは、ママが寝坊して朝ごはんなかっただけ」
「このコンビニ、紗奈ん家から遠ないか?」
「気持ち良かったから、ちょっとだけ回り道」
……ちょっとだけて。
俺は、十分すぎるほどその言葉が嫌いになった。
「伊織は?」
「気分」
「なんの?」
「朝の昆虫採集」
「へぇ。でも、ここら公園ないよ?」
「ごめん、うそ」
「そのうそ、意味ある?」
紗奈は笑った。いつもの笑い方だった。
俺が雑にボケても、突っ込みもしないが無視もしない。
少なくとも、ここまでは普通だった。
「ま、なんでもいいよ。久しぶりに一緒に学校行こ?」
一瞬、迷った。断る理由がなかった。むしろ、ここで断るのは不自然すぎる。別のフラグが立つ気がした。
「久しぶりて、高校入ってから初めてやん」
「あ、そうだね」
紗奈は少しだけ上を向いて、笑って言った。とりあえず、ふたりで駅の方向に歩き出した。
歩き出してすぐに紗奈が言った。
「そういえば……昨日、転校生来たんだって?」
心臓が、一拍遅れた。
「誰から聞いたん?」
「噂になってる。めっちゃくちゃカワイイって」
完璧なテンプレ展開やな。
俺は前を向いたまま、返事をしなかった。
「五百城さん、だっけ? 名前もキレイ」
「……それは両方とも事実やなぁ」
駅が近づいてきた。普段の最寄り駅ではなく、ひとつ隣の駅だ。
とてつもなく嫌な予感がした。
改札の向こう側に、昨日初めて見たはずのシルエットが見えた。
俺は顔をそむけた。向いたその先は、紗奈の顔だった。
「……なに?」
「いや……」
紗奈が、俺の回答を待っている。
「や、今日はなんか、かわいいやん」
なぜ、この言葉が出たのか分からない。とっさに出た。
紗奈は目を開いて固まった。でも、すぐに目を細めた。
「なにそれ? 確かにわたしはかわいいけど」
とりあえず、安心した。だが、安心は、すぐに終わった。
「あれ? 大西くん?」
五百城が、こちらを向いて手を振っている。
「え? 誰? あれが五百城さん? ほんとにカワイイ」
「そうです」
「伊織、かわいいだけの子は、だいたい性格が悪い」
「それは偏見や。あ、それなら、紗奈も性格悪いな」
「なるほど。さっきのは、そういうことね」
紗奈は、そう言うと俺の手を引いて、改札に入った。
五百城の前に立って言った。
「五百城さんですよね? 伊織から聞いてます。ほんっとにカワイイ」
五百城は否定もせずに、微笑んで会釈した。
俺は紗奈の手を振りほどいて、五百城に紗奈を紹介した。
「えー、こちら同級生の西宮紗奈さんです。身長は百五十五センチ、体重は見た目通り。乙女座と言いはる蠍座です」
五百城が紗奈を見た。
「五百城美月です。A型です。西宮さんはB型ですね?」
紗奈が止まった。手を口に当てながら言った。
「……え? バレてる? がさつさが顔に出てるとか?」
その通り!と言おうとしてやめた。
五百城がそれを見て言った。
「ただの当てずっぽうです」
それから笑った。
「で、なんで敬語なの?」
紗奈のこの言葉から、女子トークが始まった。
電車に乗り、学校の昇降口に着くまで、ふたりはずっと話してた。
俺はずっと黙っていた。これこそモブだ。
「美月、またね!」
「またね、紗奈ちゃん」
紗奈が手を振って去っていった。五百城が俺を見た。とりあえず聞いた。
「なんや? 顔になんかついてるか?」
五百城は少しだけ目を下に向けた。
「なんでもない」
俺はそれ以上何も言わず、靴を履き替えて、いつもより少し乱暴に下駄箱を閉めた。
昨日は、転校生とぶつかるはずだった。
今日は、誰にも会わないはずだった。
どちらも、ちゃんと避けた。
避けたはずなのに、俺の前には五百城がいて、隣には紗奈がいた。
そしてふたりは、初対面のはずなのに、もう、互いに下の名前を呼んでいた。
嫌な予感が止まらない。




