第二話 やっぱり、が続く
今日の教室は、転校生が来た日特有の、少し浮ついた空気があった。
俺の心は、むしろ沈んでいた。
隣にヒロイン。一般モブとして、これは避けるべき状況。
しかもそいつは、「やっぱり逃げた」とつぶやき、俺の名前を知っていた。
普通の転校生ヒロインなわけがない。
休み時間のたびに、五百城の席の周りには女子たちが集まってきた。
「前の学校どこ?」
「部活入る?」
「五百城って名字、珍しいね」
「読み、『いおき』で合ってる?」
五百城は一つずつ答えていた。トーンはずっと同じだった。愛想は良い。だけど、やたら落ち着いていた。
嫌な予感を抱えたまま、昼休みを迎えた。
昼を知らせるチャイムが鳴ると、教室は一気に騒がしくなった。弁当を広げる音、椅子を引く音、購買へ走る足音。
俺は弁当を持っていつもの屋上に――行けるわけがない。
現実では、屋上へ続く扉には、安全管理のために鍵がかかってる。これが当たり前だ。
そして現実の俺は、弁当もない。
五百城の周りに女子が集まった。俺の机に女子のケツがあたった。
人が増えるたび、机が押された。
邪魔だと言わんばかりの顔をされた。
俺は購買に行こうと、財布を尻のポケットに入れ、席を立った。
廊下に出るまでの間、背後から声が聞こえていた。
「松田、朝から転校生とイベント起こしてたじゃん」
足が止まった。
振り返ると、松田が友人たちに囲まれていた。
「スポドリかけたんだろ?」
「朝イチで転校生とぶつかるとか、なんのラブコメだよ?」
「受け止めてたら、完璧だったのにな」
松田は笑ってそれに合わせていた。
いつもの松田だった。軽くて、陽気で、場の空気を受け流すのがうまい。周囲もそれを分かっている。
「……ねぇ!」
五百城が後ろから声をかけてきた。少し遅かったか。
「購買行くんだよね? 私も連れてってほしい。初日でお弁当ないから」
俺は扉を目の前にして黙った。断る言葉を探した。
「大西、連れてってあげたら?」
女子のひとりが言う。
そこは、「それなら私が行く!」ちゃうんか?
フラグは立てたくない。
だが、モブは波風を立てない。ここは断れない。
「ほな、五百城さん、行こかぁ」
笑顔を作り、五百城の方を向いた。五百城は笑顔で席を立ち、「じゃ、後で」と女子たちに言って俺の方に向かってきた。
購買へ行き、パンを買い、教室に戻る。ミッションはそれだけだ。
「朝、あれ、あえて避けたよね?」
廊下を歩きながら、五百城が聞いてきた。
「なんの話?」
「普通は、あそこで避けないよ?」
「避けるやろ。ぶつかりそうやったら」
「そっかな? ぶつかると思うけど。ほら、出会う場面になるから」
背中が冷えた――いや、この言い方は悪い。
ただ、冗談として処理できなかった。俺は話すことをやめ、完全に黙った。
五百城は窓の外を見た。
雨がガラスに細い線を作り、校庭の白線をぼかしていた。横顔は静かだった。
購買に着き、俺はいつものようにパンを二つ買って、先にレジの列を抜けた。
五百城はまだサンドイッチを選んでいた。
ここで五百城を置いていくと、その後に「なんで待ってくれないの」イベントが発生する。ここは「待つ」の一択だ。
遠目に五百城を眺めながら待った。やはり、見た目だけで目立っていた。
他の女子より一段白く、少し背が高い。都会的な顔つき。黒髪ロングに花のヘアピン。
どこからどう見てもヒロイン級だ。
そのヒロインが、レジを抜けて、手を振りながら俺のところに小走りでやってきた。
ありえへん。
俺は五百城を見ないように、体ごと背けて、教室へと向かった。
「ちょっと……待ってよ」
五百城は慌てて後ろについてきた。
教室に戻ると、松田が五百城の席の隣に座っていた。
「おいおい、そこは俺の席や」
そう言って、松田を立たせた。
松田は席を離れる際に、座ろうとする五百城にサラッと言った。
「五百城さん、袖まだ濡れてるだろ。ジャージ借りてこようか?」
朝ぶつかった相手に気を遣うだけなら、普通に見える。
普通じゃないけど。
だが、松田ならやる。むしろ、さらっとやる。そういうやつだ。
でも、いつもより、一段近い。
初対面の転校生に対する距離ではない。隣のクラスの友人に話しかけるくらいの近さだった。
五百城は一瞬だけ返事が遅れた。
その一瞬を、俺は見た。
「ありがとう。でも大丈夫。もう乾きかけてるから」
「そっか。ならよかった」
松田は安心したように笑って、自分の席へ戻った。
周囲の女子が小さく盛り上がった。
「松田くん、なんか優しい?」
「もしかして、ねらってる?」
「朝の責任感じてるだけじゃない?」
や、それ小さくないで。丸聞こえやん。
でも、五百城は何も言わなかった。
ただ、俺を見た。目が合った。
俺は見なかったことにして、自分の席に座った。机にパンを置いた。
隣には、かわいい転校生が座る。
話しかけられて、ふたりの関係が動き出す。普通なら、憧れの展開だろう。
最近のラノベだと、放課後に呼び出され、嘘告されれば、そこから復讐か恋が始まる。
そんな都合のいい流れは、現実には起きない。
朝の出会いイベントは、避けた俺にではなく、松田に起こった。
松田の方を見た。松田は、他の男子たちと何やら笑いながら話をしていた。
五百城は、俺の隣ではなく女子たちの集まる席に移り、サンドイッチを食べていた。
俺は、ひとりスマホを見ながらパンを食べていた。
何も起きなかった。
これでいい。
昼休み終わりのチャイムが鳴った。
教室は騒がしいままだったが、全員が自分の席へと戻ってきた。
五百城も、隣の席に戻ってきた。座りながら、小声でぼそっとつぶやいた。
「やっぱり……」
そのまま午後の数学の準備を始めた。
俺は、五百城を見たまま固まった。
五百城の向こうでは、降っていた雨が止み、太陽が雲の隙間からいくつもの光の筋を作っていた。




