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第二十五話 五百城の影

その日は梅雨の間の晴れだった。今日は、中元と共に校庭を走る。


「……なぁ、中元」


アキレス腱を伸ばしながら、声をかけた。


「はい。なんでしょう?」


妹顔が、全ての筋肉を使ったような笑顔で振り向いた。


胸を撃ち抜かれた。


言えん。俺にはなにも言えねぇ。


「中元の表情って、なんかアイドルみたいやな」


違う話でごまかした。


「えへへ。よく言われます」


自覚してんのかーい。


俺は言葉を失った。


部活が終わり、道場から出ると、紗奈が待っていた。


「あれ? 今日早くない」


「あたし今日、部活休みだったから。美月は?」


「先に出てる。もう着替えてんのとちゃう? すれ違わへんかった?」


「うん。すれ違ってない」


「あ、ほな、ちょっとここで待っててや。俺、すぐ着替えてくるわ」


俺は走って部室に戻り、着替えた。


デオドラント付き汗拭きシートは、剣道部員の必須アイテム。


脇や首筋はもちろんだが、とにかく手や手首を拭き上げる。


着替えが終わって、道場に戻ると、そこにはまだ着替えていない中元と紗奈が話をしていた。


「あれ? 中元、まだ着替えてへんの?」


中元が少し涙目で、俺を見た。


「どうしたん?」


俺の問いかけに対して、中元は紗奈を見た。そして少し強めの口調で言った。


「西宮先輩は、伊織先輩のこと好きなんですか?」


なにを言うんだ、おまえは。


「え。あ……いや……」


紗奈が分かりやすくキョドっている。


「ちょっと、中元、やめぇや。なに言うてんねん」


「だって、西宮先輩が伊織先輩に近づくなって言うから……」


「ちょっと、そんな言い方してないじゃん」


「同じですよ!」


分かりやすく喧嘩になってる。


俺でも分かる。話の中心は俺だ。


「いや、ふたりとも、ちょっとやめや」


そう言って、俺は紗奈の肩に手を置いて、紗奈を少し後ろに引いた。


紗奈も涙目になっている。


「伊織はどうせ、なんにも言ってないんでしょ?!」


うん。言えない。妹顔に、なにも言えない。


「だから、勘違いされないようにはしようねって言ったら、めっちゃ反論してきたの!」


「反論じゃないもん!」


あら、怒った妹顔もかわいい。


それどころじゃない。


「とりあえず、待て。紗奈は、俺の代わりに言ってくれたんやんな。ありがとな」


紗奈を見て言った。紗奈が視線を少し横にずらした。


すぐに中元の方を向いた。


「ほんでな、中元。変に色恋の噂が広がるのは良くないと俺も思うんよ」


中元は頬を膨らませながら、下を向いた。


「部活前のルーティン変える必要ないねんけど、噂の否定くらいはして欲しいかなぁ」


できるだけ、できるだけ優しい言葉を選んだ。


中元は下を向いたまま言った。


「伊織先輩は、迷惑ですか?」


やめろ。


ここで「迷惑です」と言える男子がいるわけないだろ。


まさに予定調和を生み出す問いだ。


中元が顔を上げた。


やめろ。その顔はダメだ。


紗奈の視線が横から刺さる。


「いや、迷惑ちゃうけど……」


「じゃあ、なにが悪いんですか?」


こいつの引力はなんなんだ。


ラブコメ展開から逃げられない。


てか、お前、別に俺のこと好きとかじゃないだろ。


五百城が視界に入った。助けてくれ。


頼む。もう無理や……。


「紗奈ちゃん、ごめんね、待った?」


冷静だな。


「ううん。なんか今、プチ修羅場」


お前が言うな。


「そっか」


五百城が中元を見た。


「中元さん」


「はい」


中元は素直だな。良い子なんだろうな。


「たぶん、噂のこと話してたんだよね」


超能力者か。女の勘か。


いや、分かってたのか。


「……はい」


「私はね、良いことだと思ってる。中元さんが大西くんと一緒に練習することは。ぜったいに上手になる。中元さんがみんなに明るいだけなのもわかってる」


「それなら――」


「でもね」


五百城が言葉を被せた。時々、強引なんだよな。


「変に噂になるのは、良くないよ。部活の中がギクシャクしちゃうでしょ」


中元が下を向いたまま黙っている。紗奈がずっと五百城を見ている。


「それに、本気でそう思ってる人がいたら、茶化されたくないと思う」


「……はい」


五百城が笑顔になった。


「紗奈ちゃんも大西くんもこれでいいよね?」


黙ってうなずいた。五百城が出す雰囲気に、俺も紗奈も飲まれていた。


「うん。話は終わり。紗奈ちゃん、大西くん、帰ろ。中元さんも早く着替えてね」


そう言って、五百城はポンと中元の背中を軽く叩いた。


中元は足取り重く、寂しげに更衣室へと向かっていった。


紗奈がじっと五百城を見ている。


「美月って、なんか大人だよね。同じ歳とは思えない」


そう言う紗奈に五百城が笑って返した。


「そんなことないよ」


「でも、伊織は『怒った顔もかわいい』とか思ってたでしょ」


ここで俺に来るんかーい。


「思ってた。そこは否定しない」


「大西くんが、そんなこと言うから紗奈ちゃんが怒るんでしょ」


「え? なんで?」


五百城と紗奈が顔を見合わせて笑った。


一緒に帰ると言っても、五百城と紗奈が並んで歩き、俺はその少し後ろをついていくだけ。


これがモブの定位置だ。


だが、とにかく五百城が分からない。


昼には「直接言わないで」とお願いしつつ、さっきはまるで、紗奈が中元に詰め寄ることを知っていたかのように振る舞った。


素直に考えて、モブの俺が本当に中元に好かれているとは考えにくい。


だが、中元が振りまくラブコメビームを五百城が斬った。


ついつい、五百城に意識が寄る。


梅雨の合間の夕暮れに、前を歩く二人の影が俺のところに伸びていた。


俺は、五百城の影を踏んで、五百城を見た。


何も起きなかった。


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