第二十話 あたし、見てるから
まさか、自分がスポコンやるとは思ってなかった。
大きな歓声がやまない中で、俺は、相手のチームの代表と対峙してる。
モブのはずなのに。
頭はわりと澄んでいた。
剣道は好きだ。
向かい合っているとき、周りがどうであれ、ふたりだけの間合いになる。
切っ先を当てて、「先」の取り合いをする。
正中から竹刀を動かさない。
副将戦の迎え突きが効いているのか、全然打って来ない。
正直言って、俺は自分から攻めにいけるほど、心は強くない。
一分間ほど、お互いに睨み合ってるだけだった。歓声はなくなり、素足が床を擦る音だけが、体育館の壁に反射する。
「きええええっ」
だからなんやねん、その奇声は。
あ、これ、俺の声やった。
トン。
相手が前足で床を小さく鳴らした。
反射的に身体が面を打ちに動いてしまう。
やばい、フェイントや。
「どぉぉぉ!」
掛け声と同時に、パーンと高い音が響いた。
「胴あり! 一本」
また歓声が鳴った。
いや、この人、まじで強い。格上やん。
剣道は不思議なもので、実力に差があると、立ち合うだけで、その差が分かる。
ん? 立ち合いで分からへんかったで?
開始線に戻る前に、二回だけ、ぴょんぴょんとその場でジャンプした。
「先輩! ガンバです!」
これは中元の声か。
「大西くん! 集中! まだ負けてないよ!」
五百城の澄んだ声だ。
なんやろな。声しか聞こえへん。
あぁ、いやや。帰りたい。
吐きそう。
帰りたいねんて。
「二本目、はじめ!」
「きええええっ」
もうこのやり取りも飽きてきたな。
なのに、身体が勝手に動くねんな。
十年稽古してんだもんな。
俺は、竹刀を左手だけで持ち、目一杯、相手の喉を目掛けて腕を伸ばした。
「ツキー」
俺の竹刀は、相手の竹刀に弾かれて、円を描く。
その動きに合わせて右手を戻す。
出した身体を無理やり後ろに倒し、小手を打つ。
「コテぃ!」
鍔でそれを弾かれる。
ここまでは予定調和だ。
これで相手の面が空く。
「メンー!」
ザッという音と共に、白い旗が三本上がった。
「面あり!」
ひときわ大きな歓声が湧いた。もはや悲鳴にも聞こえた。
「ぷっはぁ」
息が一気に漏れた。
俺は呼吸を止めてたらしい。
「伊織?」
声が聞こえた気がして、観客席を見た。
紗奈が何かを祈っていた。
「白! 早く戻りなさい」
「あ、はい。すいません」
開始線に戻って、相手と切っ先を合わせる。
「三本目、はじめ!」
「伊織ー!」
審判の合図と同時に、紗奈の声が聞こえた。
あいつは恥ずかしくないのか?
俺は恥ずかしい。
ぬるっ。ずりっ。
何かを踏んだのか、足が滑った。
「やめ!」
審判が試合を止めて、俺に足の裏を見るよう促した。
摩擦で水ぶくれができて、それが破れていた。
「続行できそうか?」
審判に聞かれた。
「皮がめくれただけです。処置をお願いします」
試合は中断され、俺は試合場の横に出た。
中元がハサミとテーピングを持ってきた。
「……これ」
「うん。サンキュー」
ハサミで浮いた皮だけ切って、傷口を塞ぐようにテーピングを巻いた。
「ガーゼ当ててないですけど、大丈夫ですか?」
「感覚変えたないからな。あと数分くらいいけるっしょ」
二、三回、ジャンプした。
うん。そりゃ痛いわ。
手を上げた。
「はい。もういけます」
再度、開始線で切っ先を合わせる。
「はじめ!」
この後のことは、あまり覚えていない。
摺り足をする度に痛い足の裏と、やたらと速い相手の面と、とにかくうるさい歓声。
それと、紗奈の泣きそうな声。
パーン!
「胴あり! それまで」
最後に見たのは、三本の赤い旗だった。
終わった。やっと帰れる。
天井を見た。
松田はサブからの逆転劇。
俺は代表戦で勝てずじまい。
これが主役とモブの差やな。
紗奈に、ええとこ見せらへんかったな。
天井のライトが滲んで、放射状に揺れている。
――涙?
日置さんが、俺の肩を持ち、俺を立たせた。
立たせた?
俺は泣いていた。泣いて崩れていた。
意味が分からへん。
「お互いに礼!」
「「ありがとうございました!」」
こうして、先輩たちのインターハイが終わった。
先輩たちは、試合後、笑いながら打ち上げのカラオケに向かっていった。
俺は、五百城と紗奈と一緒に帰ることになった。
「大西くん、すごかった。あんなに強いって知らなかった」
五百城が、なぜか少し興奮している。
「なにが? 負けてるやん。すごいってのは、あそこで勝てるやつやで」
「そんなことない。かっこよかったよ。ね、紗奈ちゃん?」
「……え? あ、うん」
どこか、紗奈の元気がない。
「……あ、鍵がない」
五百城が鞄の中を見ながら、足を止めた。
「鍵?」
「家の鍵。どこかで落としたかも」
「え、待つで」
「ううん。落とし物に届いてるかもしれないから、本部で聞いてくる。二人は先に帰ってて」
五百城は少しだけ俺たちを見てから、鞄を抱え直して、来た道を戻っていった。
「へぇ、五百城にもドジなとこ、あんねんな」
「……うん」
「なぁ、どした? 元気なさすぎやん」
紗奈が俺の顔を見た。
「だって、負けたから……悔しい」
「なんでやねん。負けたん俺やで」
俺はそう言って笑った。
紗奈が止まって、一拍置いた。
「だって、伊織、本気だったじゃん!」
この言葉で、胸が締め付けられ、瞼の奥が熱くなった。
「泣くほどだったんでしょ! わかんないけど、あたしも悔しいの」
あたしも……か。
俺が悔しいとでも言いたいのか。
悔しいとか、そんなこと、考える余裕もなかった。
「……紗奈、ありがとな」
それしか言葉が出てこなかった。
「うん」
紗奈は目に涙を浮かべながら、右手を上げた。
俺は何も言わずにハイタッチで応えた。
「伊織、わかってんじゃん」
「せやろ。長い付き合いやからな」
「じゃ、帰ろ」
紗奈が俺の腕に手を回した。
身体がそれを避けようとした。だけど、今日はそれを止めた。
紗奈の手の温かさを腕に感じながら、ふたりで駅まで歩いた。




