第十八話 緊張している……だと?
試合当日。市民体育館は湿っていた。
梅雨の空気と高校剣士たちの熱気で、窓ガラスが結露している。
そして、臭い。
「おぉ、大西。ちゃんと来たか」
顧問だ。
そりゃ来るやろ。
「お前を先鋒に置いたのは、お前がよくわからんからだ」
腕を組んで、顎を少し上げて言ってきた。
「先鋒なら勝っても負けても、後ろ次第だからな」
「あ~、なるほど……です」
「だから、今日は思い切ってこい」
肩を、パンと叩かれた。
会場の端でこそこそ着替えた。こういう時、妙に堂々とできるやつらを尊敬する。
スタメン組は、一階の体育館フロアに降りる。それ以外は、二階の観客席だ。
アップしていると、観客席に制服姿の五百城が入ってくるのが見えた。
いま着いたんか。
横には本当に紗奈がいる。紗奈も制服だ。休日だというのにご苦労なことだ。
ひとしきり汗をかいて、面を脱ぐと、顎から汗が滴り落ちた。
道着の襟を触った。汗が染みて、重たくなっている。
「伊織先輩! はい!」
顔の横にタオルが見えた。声のする方を向いた。妹顔がある。
ん?
「飲み物もありますよ」
そう言って中元は、他のスタメンに順番にタオルを配った。
後ろを振り向くと、残りのふたりが、スポーツドリンクを持って立っていた。
そうか。マネージャーの代わりか。
手渡されたタオルで、汗を拭いた。
視野の端に、五百城が手を振っているのが見えた。目が合った。
五百城の方を向いて、手を振り返した。隣に座る紗奈も手を振ってきた。
なんか青春やな。
予選は四チーム総当たり。トップだけが決勝トーナメントに出る。
うちの高校は、だいたい予選突破、決勝即敗退がお決まりだ。女子は予選敗退の常連。
さて、とりあえず、第一試合に出ましょかね。
面と小手をつけ、試合場に入る。
中央で五人並んで礼をした。俺だけ二年。あとは三年。
先鋒の俺だけが残り、先輩たちは去り際に、俺の右手へ自分の右手を当てていった。
これがスタメンの作法か。
蹲踞する。竹刀を構える。
「はじめっ!」
審判の合図で立つ。
「きぇぇぇぇぇっ」
うるせぇ。剣道ってなんで奇声を発するんやろうな。
とりあえず、相手に合わせて打った。
「面ありっ!」
あれ。入った。
相手もポカンとしている。
「二本目っ!」
さすがに、さっきみたいに打ってこない。
俺は無駄には動きたくない。相手は、俺を中心に時計回りに回っている。
あ、手元が上がった。面が飛んでくる。
合わせて、こちらも少しだけ手元を上げる。すぐ下げる。
「こてぃっ!」
ポンっと気持ちの良い音がした。
「小手アリっ! 勝負あり」
再び蹲踞をして、竹刀をしまう。
後ろに下がりながら試合場を出て、一礼する。
振り向くと、次鋒の先輩が待っている。
先輩が右手を俺の右手に当てた。
正座して面を取った。
顎から汗が噴き出た。
五百城の方を見た。紗奈と手を取り合って喜んでいる。
自然と笑顔になる。
「……ふぅ」
大きく息を吐いた。
『オオニシ』と書かれたテープが貼られたドリンクを中元が持ってきた。
「伊織先輩って、強いんですか?」
「しらへん。勝ったから、あいつよりは強いんやろな」
「や、先輩の竹刀が見えなかったです」
「それなー。そのうち慣れるで。ほら、ちゃんと試合みとき」
俺は、ドリンクを一口飲んで中元に返した。
初めて公式戦で、あっさり勝てた。
勝てたんだけど、心臓がまだ落ち着いていない。
俺は、緊張してたんか?
息が落ち着くまで、しばらく、下を向いていた。
頭を上げると、次鋒の先輩はもう負けていて、中堅の先輩が試合に出ていた。
チームは予定通り、三戦三勝で予選突破。
俺もなぜか、三戦三勝。
俺、モブやで?
最後の予選の試合が終わって、フロアが静かになった。
決勝トーナメント用に試合場が組み替えられ、部活関係者はフロアに降りられるようになった。
少し遅めのランチタイム。だが、食べられない。午後から試合がある。
食べたら吐く。今でも吐きそうなのに。
俺は道着姿のまま、防具だけ外して、体育館フロアを出た。
扉の前に、五百城と紗奈が待っていた。紗奈が俺を見つけて走ってくる。
「ちょっとちょっと、伊織すごいじゃん!」
めっちゃ笑顔だ。五百城はその笑顔を見て微笑んでいる。
「そうか? 相手が調子悪かっただけちゃうのん」
「そんなことないって。なんか、伊織ちょっと目立ってたもん」
「え? なにが?」
「あんなやつおったか? って、オーダー表で名前調べられてたよ」
「えええええ」
「で、お昼どうするの? 一緒に食べれる?」
紗奈には全く悪気がない。だが俺には、食べる気がない。
だが、怒らせないで断れるような繊細な言い回しを、俺は持っていなかった。
「伊織せんぱーい」
中元が走ってきた。五百城と紗奈がそちらを向いた。
「五百城先輩、お疲れ様です。えーと……」
「伊織……大西くんの同級生の西宮です」
「はい。西宮先輩、お疲れ様です」
中元は、そう言って俺の方を向いた。
「先生から言伝です。『おまえはカロリーメイトだけにしておけ』だそうです」
ナイスタイミングだ、中元。後で飴ちゃんあげよう。持ってないけど。
「え? なんで?」
紗奈が聞いた。
「剣道って、緊張する人は、試合前にあまり食べないんだよ」
五百城、それは正しいが、この俺が緊張しているとでも?
「へぇ。さすが先生なんだね。伊織が緊張しているって気づいてるんだ」
「いや、してるつもりないんだけど」
中元が突っ込んできた。
「してると思います。だって、先輩、今日かっこいいですもん。真面目な顔、初めて見ました」
『かっこいい』という単語が、頭の中を高速回転した。
「そうなんだよね、昔から。真面目にしてれば、そこそこイケメンなのに」
紗奈がそう言いながら、中元を見て笑った。
「じゃ、私行きますねー。あ、これ、先生から」
俺の手にカロリーメイトを置いて、中元はどこかに走って行った。
「ね、かわいい後輩でしょ?」
五百城が紗奈に言う。
「そうね……」
紗奈は、わざとらしく肩をすくめた。
「ほな、俺行くわ」
「え? どこに?」
「外。カロリーメイト食べて、集中してくる」
「えっ――」
五百城が紗奈を止めて、首を左右に振った。
俺は間違いなく、緊張していた。




