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第十一話 唐揚げの匂い

一時間目の終わり際に教室へ戻ると、先生が板書の手を止めた。


「大西、大丈夫か?」


「たぶん。保健室で処置してもらいましたし」


「頭を打ったんだろ。無理するなよ」


「はい」


席に戻る途中、何人かの視線が額で止まった。思っていたより、白いテープは目立つらしい。


左隣の五百城が、教科書から目を上げた。


「本当に大丈夫?」


「大丈夫。血が出たわりには浅いって」


「私のせい?……だよね?」


「半分くらい」


声を出さずに笑顔を見せた。


「……そうだよね。ごめんね」


「いや、でも、紗奈に謝っといたで」


五百城は驚いたのか、俺を凝視した。だけど俺は、視線を黒板に向けた。


そこで会話は切れた。五百城も前を向いた。


俺は教科書も出さずに、一時間目を終えた。


休み時間になると、松田が窓際の席からやってきた。


ぶっちゃけ、うぜぇ。


「伊織、なにそれ」


「見たらわかるやろ? 額を切った」


「なんで?」


「ゴブリンに襲われてん」


「隠すことでもあんのか?」


「言うほどのことでもないからな」


「ま、たしかにな」


松田は俺の額をまじまじと見た。


「これ、部活いけんの? 剣道って頭叩かれるじゃん」


「なんでそこ聞くねん」


「なんとなく。部活出れるんかなって」


五百城がこちらを見ている。葛西が横から、いや、後ろから入ってきた。


「松田くん、大西くんと五百城さんが同じ部活ってことに、嫉妬してるんだよね?」


おい、なんて直球投げんねん、お前は。


「あ、そうか。これ、嫉妬か。うん、そうか」


なにを納得してんねや?


お前は感情を言葉にできない種族やったんか?


ちらりと横を見た。五百城は、教科書をしまって席を立った。


「そうだな。嫉妬かもな。美月ちゃん、なんやかんや言いながら、伊織のこと心配してるから」


「五百城さん、優しいからねぇ。わたしは、一切心配してないけど」


葛西……。俺が魔法を使えたら、今お前は、ルーラで飛ばされてんで。


二時間目のチャイムが鳴った。


席に座った。


あれ? 人がいない。


「伊織、二時間目、体育だわ」


松田が笑い出した。


「やっば。わたし、着替えどうしよ?」


葛西も笑い出した。


「え? お前らなにが面白いん?」


ふたりの笑い声が大きくなった。


「いや、これ、アオハルだ」


松田が言う。


「言い方、古くない?」


葛西がまた笑う。


俺は、笑う場所が分からなかった。


「伊織、体育館行こーや。俺はたった今、足を捻挫した。一緒に見学しよーぜ」


松田が肩を組んできた。


「えー、いいなぁ。わたし、どうしよ?」


「とりあえず、急ごうぜ!」


俺らは体育館に、葛西は更衣室に走って向かった。


捻挫してるはずだけどな。


松田に肩を抱かれているのに、なぜかひとりで立っている感じがした。


こういうのを孤独と言うのだろう。たぶん、使い方は合っている。


昼休みになり、購買にパンを買いに行こうとした時、紗奈が教室に入ってきた。


「美月ー、茉莉花ー! 寂しかったよー」


両手を広げて、ふたりに抱きついて行った。顔だけ俺に向けて言った。


「伊織、早く買ってきてよ。食べ遅れちゃうよ」


「あー、せやな」


そう言って、財布を尻ポケットに入れて購買に向かった。


今日は、カレーパンが買えた。それだけで、午後の全てがハッピーになる。


一口噛んだときのサクサクの歯触りと、中から溢れ出てくる絶妙なコクのカレーを想像して教室に戻った。


教室に近づくと、紗奈の元気な声とみんなの笑い声が漏れ聞こえてきた。


自然と口角が上がった。


教室へ戻ると、机は以前と同じように寄せられていた。


五百城の机、葛西の机、紗奈が借りてきた机、それから俺の机。


ただ、俺の机には、松田の弁当箱が乗っていた。


松田は俺の椅子に座って、五百城の方を向いている。話し声が聞こえる。いや、俺は話を聞いていた。


「美月ちゃんさ、こないだの練習試合みてたよね?」


「うん。部活終わって暇だったし」


「どう? 俺すごかったっしょ?」


「わかんない。サッカー知らないもん。でも、海斗くん、足速いなーって思ってた」


「それで十分。ありがとう」


五百城が少し笑った。


俺は入口で止まっていた。紗奈が俺に気づいた。


「伊織、買えた? はやくきなよ」


「あ……おう」


俺は、ゆっくりとそこに向かった。


「大西くんさ、久しぶりで緊張してるんじゃない?」


葛西のその顔は、毎回だが、腹が立つ。


松田が振り返って、自分の座っている場所に気づいた。


「あ、悪い。ここ使ってた」


「ええよ」


「いや、どくわ」


松田が弁当箱を持とうとした。


「ええって。もう弁当広げてるやん」


そう言って俺は、誰かの椅子を適当に寄せた。


「でも、伊織の席だろ」


「パンだから、どこでも食える」


「いや、でも」


「伊織がいいって言ってんだから、いいんじゃない?」


紗奈が笑いながら、そう言った。


昼休みが終わり、机の配置は戻され、俺の席も戻ってきた。


唐揚げの匂いがした。匂いの源には、油の跡があった。


落としたなら、拭け。


俺はその日の午後、その匂いと共に過ごした。


放課後になり、鞄を背負って帰ろうとしたとき、五百城が話しかけてきた。


「ありがとう。謝ってくれたんだね?」


「一応……成り行き上? いや、でも一応か」


なんて説明しようか言葉を選んでいたら、それを見て、五百城が微笑んだ。


「うん。でも、逃げなかったんだね。ありがとう」


なにか引っかかる言い方だ。だけど、何が引っかかっているのか分からない。


「部活は? 来れるの?」


五百城が話題を変えた。


「んー、筋トレとか素振りなら、明日からでもいけるんちゃう?」


五百城の目が開いた。笑顔になった。


「良かった! 戻ってくるの待ってるから!」


そう言って、手を振って教室を出ていった。


自分の顔は見えない。


でも、たぶんニヤけていた。


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