弱さの先へ
「俺は一人で勝つ」
その言葉は風に溶けていく。
誰に向けたものでもない。ウィルトにでも、アルディオにでも、ましてや教室にいた生徒たちにでもない。
自分自身に言い聞かせるための言葉だった。
レイブンはもう一度杖を構える。
赤い魔力が集まり、空気が熱を帯びる。だが、先程よりもほんの僅かに揺らぎがあった。
「ファイアアロー」
放たれた炎の矢は空へ伸びていく。
威力は十分。並の生徒ならば息を呑むだろう。だがレイブンの顔は晴れない。
違う。
こんなものではない。
もっと速く、もっと鋭く、もっと正確に撃てたはずだ。
「......くそ」
小さく吐き捨てる。
たった一度、ウィルトに否定されただけだ。
たった一度、自分の魔法が届かなかっただけだ。
それだけで魔法の精度が落ちるなど、許せるはずがない。
レイブンは奥歯を噛み締める。
――一人だったからだ。
またその言葉が脳裏をよぎる。
「黙れ……」
誰もいない屋上で、レイブンは低く呟いた。
自分でも誰に向けた言葉なのか分からなかった。
一方その頃、アルディオとセリスは教室を出て廊下を歩いていた。
「レイブン、大丈夫かな」
「......分からない」
アルディオは正直に答える。
大丈夫だ、と軽く言えるほど、レイブンのことを知っているわけではない。
だが、先程のレイブンは明らかにいつもと違った。いつものように突き放しているようで、その実、何かに焦っているように見えた。
「まあ、あいつが俺たちに相談するとは思えないけどな」
「それはそうだね」
セリスが苦笑する。
そして少しだけ間を置いて、ぽつりと言った。
「でもさ。なんか、悔しいね」
「悔しい?」
「うん。先生に言われたこと、全部当たってたから」
セリスは自分の手を見つめる。
「私、自分ではちゃんと頑張ってるつもりだったんだ。水魔法だって嫌いじゃないし、練習もしてる。でも......攻撃しろって言われると、どこかで怖がってたのかも」
「怖がる?」
「うん。外したらどうしようとか、威力が足りなかったらどうしようとか。だったら誰かを助ける方がいいって、ずっと思ってた」
それは責められるようなことではない。少なくともアルディオにはそう思えた。
誰かを助けたいと思うことは、間違いではないはずだ。
けれど、ウィルトは言った。どっちつかずの状況を解消しろ、と。
「......でも、補助が得意なのも個性なんだろ?」
「うん。だから悩むんだよね」
セリスは困ったように笑う。
「魔法使いとして強くなりたい。でも、誰かの役に立ちたい。どっちも本音だから」
「......そっか」
「だから、競走ね」
セリスは急に明るい声を出した。
「私が私の答えを見つけるのが先か、アルディオが自分の課題を乗り越えるのが先か」
「ジュース一本だろ」
「そう!」
セリスは笑った。
その笑顔はいつも通り明るかったが、どこか無理をしているようにも見えた。
アルディオはそれに気づいた。だが、何を言えばいいのかは分からなかった。
他人を見すぎている。
ウィルトの言葉が胸の奥で小さく響く。自分は今、セリスの表情を見ている。
レイブンの背中を思い出している。周りのことばかり考えている。
それの何が悪いのか、今のアルディオにはまだ分からなかった。
廊下の先で、聞き覚えのある声がした。
「む、アルディオか」
「あれ、アレス」
戦士クラスの方から歩いてきたのはアレスだった。相変わらず大きな体で、ただ歩いているだけでも周囲より一回り目立つ。
だが、その表情は不思議と穏やかだった。
「授業は終わったのか?」
「あぁ。終わったっていうか......課題を突きつけられたっていうか」
「そうか」
アレスは静かに頷く。
「良いことだ」
「良いことなのか?」
「何を直せばいいか分からない方が苦しい。弱点が分かるなら、後は潰すだけだ」
その言葉は単純だった。けれど、妙に説得力があった。
「アレスも何か言われたの?」
セリスが尋ねる。
「俺はまだ詳しくは言われていない。だが、自分に足りないものくらいは分かっているつもりだ」
「足りないもの?」
「守るだけでは勝てない、ということだ」
アレスは自分の拳を見下ろす。
「俺は前に立つ。仲間の攻撃を通すために、相手の攻撃を受ける。それが俺の役目だと思っている」
「十分すごいと思うけど」
「いや、それだけでは足りない」
アレスは首を横に振った。
「守るだけでは、いずれ押し切られる。だが、今の俺には攻めに転じる覚悟が足りないのかもしれない」
アルディオは少し驚いた。
アレスはもっと迷いのない人間だと思っていた。
実際、昨日話した時も、堂々としていて、悩みなど簡単に乗り越えてしまうように見えた。
だが違った。アレスにも悩みはある。
ただ、それを抱えたまま前を向いているだけなのだ。
「......アレスでも悩むんだな」
「無論だ」
アレスはあっさりと答えた。
「悩まない者などいない。俺も、君も、恐らくレイブンもな」
「レイブンも?」
「あぁ」
アレスは屋上へ続く階段の方へ視線を向けた。まるでそこに誰がいるのか分かっているかのようだった。
「強い者ほど、自分の弱さを認めるのは難しい。
だが、弱さを知った者は強くなれる。俺はそう思っている」
その言葉に、アルディオは何も返せなかった。
アレスは少しだけ笑う。
「まあ、偉そうに言えるほど俺も出来てはいないがな」
「いや......なんか、少し楽になった」
「そうか。それなら何よりだ」
アレスはそう言うと、戦士クラスの方へ歩き出す。
「俺はこれから自主訓練だ。君たちも無理はするな」
「あぁ」
「うん、またね!」
アレスの背中が遠ざかっていく。
その背中は大きい。だが、初めて会った時のような絶望的な大きさではなかった。
むしろ今は、進むべき方向を示してくれているように見えた。
「......みんな、悩んでるんだな」
アルディオはぽつりと呟く。
「そうだね」
セリスが隣で頷く。
「でも、みんな進もうとしてる」
「......だな」
アルディオは自分の手首に巻かれたミサンガを見る。
妹の形見。
自分がここにいる理由。
まだ、答えは分からない。
他人を見すぎている。
自分を後回しにしすぎる。
その意味も、まだ分からない。
けれど。
「俺も、進まないとな」
小さくそう呟いた。
その声は誰に聞かせるものでもなかった。ただ、自分自身に言い聞かせるためのものだった。




