第35話『風よ、天を翔けよ』
空は、晴れていた。
スペイン・バルセロナの中立地で行われるチャンピオンズリーグ決勝。リヨン・ルミエールと、スペイン技巧派クラブ「CFメリアーダ」の一戦。白と青の光が入り混じるスタジアムに、世界中の視線が注がれていた。
「さあ、いと。今日はお前が、リヨンの10番だ」
クロエがベンチから声をかける。だが、いとはただ一言だけ返す。
「いいえ。今日は――“風”の吹く日でござる」
試合開始。CFメリアーダは序盤から足元の技術でリズムを掌握してきた。
軽やかなワンタッチ、密集を抜けるトライアングル。まるで小節の連なりのようにボールは回り、リヨンはその流れに翻弄された。
いとが「静」の指示を出しても、相手はその一瞬の間さえ見逃さない。
「――来る!」
中央を破られた。カットイン。シュートモーション。
……が、そこにいたのは、ゾエだった。
「絶対、通さない」
その体はまるで壁。相手FWのシュートを全身で受け止めた彼女は、何も言わず立ち上がり、味方に手で「前へ」と合図する。
いとはそれを見て、拳を握った。
(風だけでは、まだ届かぬ。されど――)
*
後半開始。いとが振り返ると、そこにクロエが立っていた。ユニフォームの10番が、風に揺れる。
「参ろうか」
二人は並んでピッチへ。
静かだった。言葉はない。ただ、“息遣い”だけで通じていた。
パス、ステイ、タメ、そしてリズムのずらし。音ではない。視線でもない。“間”で通じ合う司令塔ふたり。
ピッチの空気が、変わった。
「何だ、いまのは……?」
「動きが読めない……」
観客席からも、ざわめきが起こる。CFメリアーダの選手たちが次第に動きを狂わせられ、リヨンが支配を始めていく。
いとはクロエに目をやる。クロエは、かすかに笑っていた。
(“風”は、ただ吹くだけではない。吹かせるもの、そして響き合うもの……)
そして、試合は残り5分。
クロエが中央でボールを持ち、時間を止めるように“タメ”を作った。
敵の最終ラインが一歩、二歩、釣られて前に出る。
「今ぞ!」
いとは空いた背後へと、風のように駆け抜ける。
クロエは何も言わず、ただひとつの“間”にすべてを託してパスを放った。
いとはそれを追い、右足の甲で受け、トラップ、そして左足で振り抜いた。
──沈黙。
その次の瞬間、ネットが揺れた。
ゴール。
いとが、決めた。
スタジアムが爆発するような歓声に包まれる中、彼女は膝をつき、空を見上げた。
「……風は、想いを運ぶもの」
クロエが、笑っていた。ゾエが、拳を掲げていた。エミリーが、飛びついてきた。
リヨン・ルミエール、チャンピオンズリーグ初優勝。
そしてこの日、ヨーロッパの空に新たな伝説が生まれた。
“東洋の風”が、ついに頂に届いたのだった。




