エピローグ『風は、次の空へ』
あの日から、季節がひとつ巡った。
花村いとは、いつものように芝の上にいた。練習場では、次代のリヨン・ルミエールの選手たちが笑い声を上げながらパスを回している。
クロエ・モンフォールは、もうここにはいない。
──引退。それは、静かで、確かで、美しい幕引きだった。
「私は十分に走った。あとは風に任せる」
そう言って、クロエは誰よりも晴れやかな笑顔でピッチを去った。
その背を見送ったとき、いとは初めて“風”という言葉の重みを知った。
*
「いと、次の舞台は決まった?」
スタッフに声をかけられて、いとはうなずいた。
「ええ。パリ、でござる」
パリ五輪。サッカー女子日本代表。その10番を、いとは託されていた。
「風は、ひとりでは吹かぬ。わらわが学んだことは、すべて“共鳴”の中にあった」
ゾエは、静かに隣でうなずいた。今やキャプテンマークを巻く彼女の瞳は、あの決勝の日よりも強い光を宿している。
エミリーは笑いながらボールを蹴り、いとの元に寄ってくる。
「今度こそ、あんたと“本気のライバル”やらせてよ。五輪でね」
「受けて立とうぞ」
ふたりは笑い合う。その風は、もう“伝説”ではなく、“日常”のなかにある。
*
夕暮れのピッチ。誰もいなくなったあと、いとはひとり、ボールを足元に置いた。
そして、ぽつりと呟く。
「クロエ。あなたが吹かせた風は、今も、ここにございます」
風が、そっと彼女の頬を撫でた。
やがて彼女は、ボールを蹴る。
それは未来へと続くパス。まだ誰も立っていない場所に、想いを込めた“予感”のようなパスだった。
風はまた、新しい空を目指して吹き始める。
──花村いとの旅は、まだ終わらない。




