第34話『約束の空へ』
CL決勝への進出。それは、ひとつの“夢”が現実に姿を変えた瞬間だった。
準決勝を終え、歓喜に沸くリヨン・ルミエールのロッカールーム。選手たちの声が飛び交い、スタッフが抱き合い、空気は熱を帯びていた。
その中で、いとは静かにスパイクの紐を結び直していた。手が震えていた。これは「頂」への怖れではない。そこへ至るまでに託されたものの、重み。
──雷よ、鳴り響け。風よ、迷うな。
そんなクロエの言葉が、耳に焼きついていた。
「風は、ひとりでは吹けぬものと知った」
呟くように口にしたとき、ロッカールームの扉が開いた。
「……久しいな、詩人殿」
ゆっくりと現れたのは、見間違うはずのない金髪。クロエ・モンフォールがそこにいた。
一瞬、空気が止まり、次の瞬間には仲間たちの歓声が爆ぜた。
「クロエ!?」
「ほんとに戻ってきたのか!」
クロエはサポートスタッフに肩を預けつつも、笑っていた。傷は癒え、帰ってきたのだ。
いとは無言で立ち上がった。そして、歩み寄り、ほんのわずかに頭を垂れた。
「あなたの“雷”があったればこそ、わらわは“風”を知れた」
クロエは少しだけ、照れたように視線を逸らした。
「雷は去れど、風は吹き続けていた。その風が、私をここに連れ戻したのかもしれないな」
二人の視線が交錯する。かつてはぶつかり合い、すれ違った魂たちが、いまは互いを確かに認め合っていた。
*
決勝前夜、スタジアムの照明が落ちる。
その静寂の中、いとはゾエ、エミリーと肩を寄せて円陣を組んだ。
「この風は、わらわひとりのものではない。ゾエ殿、そなたの確かな足取りと視野が、流れを生む。エミリー殿、そなたの切り裂く一歩が、風を速める」
エミリーがにやりと笑った。
「真面目か。でも、悪くないね、そういうの」
ゾエも短くうなずく。
「……継がれている。クロエの意志が」
いとは深く息を吸い、天を見上げるように告げた。
「風は、継がれしものなり」
この瞬間、彼女は“藤原鞠之介”でも“ただの司令塔”でもない。過去と未来をつなぐ、ひとつの風そのものだった。
*
決勝当日。スタンドは騒然としていた。
選手紹介の最後、サポーターたちが息をのんだ。
──背番号10、クロエ・モンフォール。
彼女がユニフォームを身にまとい、ベンチに姿を見せた瞬間、スタジアム全体が震えるような歓声に包まれた。
「クロエが……!」
「戻ってきたんだ!」
いとはその声を背に、ゆっくりとピッチに立つ。
自らの背中に感じる風は、もはや自分一人のものではない。クロエの雷、ゾエの堅牢、エミリーの切先、そして仲間全員の想いが、この一陣の風を育てた。
「参るぞ」
短く言い、ボールに触れる。
その一歩は、約束の空へと続く道だった――。




