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舟送り  作者: 網笠せい
第三章 兵庫県神戸市
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第四話

 ビールを飲みながらテレビを見ていたある夜、末の弟の拓から、隆に電話があった。隆はテレビの音量を下げると、缶ビールを机の上に戻した。


「あ、隆兄さん? 今度神戸で研修があるんじゃけど、会われんじゃろか。灯篭船の材料の話もしたいし……」

「おう。この前は親父の漁船の設計図、ありがとうな。……なんや、神戸来るんかい。うち、泊まるか?」

「ええの?」

「おう」

「ほんじゃ、会社に言うとく。ありがとうね。着いたら連絡するけん」


 隆は電話を切ってから、自分の部屋をぐるりと見渡した。先日作った漁船の模型の箱が、まだ机の上に乗っている。


「このままやと、拓の寝るとこあらへんな」


 隆はそう呟くと、部屋の掃除をしはじめた。隆の部屋には細々としたものが多い。まず、郵便ポストに届いたチラシや、通販の段ボールをまとめる。それからハンガーレールにかかったまま放置していた衣類を畳んで、衣裳ケースに押し込んだ。ワイシャツは形態記憶のものばかりだが、畳むとシワになりそうだから、かけたままにしておく。


 台所には洗ったまま置いていた空の缶がいくつかある。隆はそれを袋にまとめた。冷蔵庫の扉に貼り付けてあるゴミの回収日を見ながら、頭の中で予定を組み立てていく。


 リビングのゴミ箱に山盛りに詰め込まれていたゴミを、ビニール袋に移し替える。洗面台のゴミ箱も、空にした。お風呂場から、使い終わった詰め替え用シャンプーや、入浴剤の袋の切れ端、排水口の髪の毛などをまとめて捨てる。これらは燃えるゴミだから、明日の朝に出せる。


 洗濯機の上のラックに乗せたバスタオルは、数が多すぎて崩れてきている。破れているものは資源ごみに回す。


 気になりはじめると不思議なもので、掃除機をかけたくなる。隆は掃除機のフィルターに詰まっていたゴミを、燃えるゴミの袋に入れた。掃除機のヘッドに、髪の毛が絡み付いている。なんでこんなに抜け毛があるねん、と絶句しながら、隆はハサミで切って掃除機のヘッドを綺麗にした。


 掃除機をかけると、よく吸い込んだ。今度は床の汚れの気になる箇所を拭く。そうすると、トイレも気になってきて掃除する。


「まだ何日も先やのに、何しとるんやろな……」


 父の葬儀で会ってから日が浅いというのに、これではまるで隆が楽しみにしているようだ。


「拓が来るまでに、また汚れるのになぁ……」


 隆は手を洗うと、冷蔵庫からよく冷えたビールを取り出して、テレビをつけた。笑い声がこぼれ落ちるように聞こえてくる。


 ビールを一口飲んだところで、ドッキリを仕掛けられた芸能人が叫んで、隆は吹き出しそうになった。気管に入ってむせながら、隆は笑い声を上げた。そうして残りのビールを確かめるように、缶を左右に振った。ビールを飲み終えたら、この缶も洗わなくてはならない。


 そうこうするうちに、拓が神戸にやってくる日が来た。隆は仕事終わりに待ち合わせて、拓と最寄駅で合流した。拓の荷物は少なく身軽だ。


「お疲れさん」

「お疲れ様。今日はよろしく」

「あ、家はこっち」


 駅からの道は、街灯がぽつぽつと立っている。並んで歩きながら、隆は拓に「飯はもう食ったん?」と尋ねた。


「研修先の人と食べた。明日は食事の予定ないから、よかったら」

「わかった。ほな俺も、腹空かせとくわ。……あ、コンビニ寄っていい? 俺まだ飯食ってないねん」


 途中でコンビニに寄って、弁当を買った。ビールは箱買いしているから、家にある。


 コンビニを出てマンションにたどり着く。ドアを開けて玄関で靴を脱ぐと、拓は「お邪魔します」と言って、隆の部屋に上がり込んだ。


「俺が飯食ったら、このテーブル避けるから、布団敷いてここで寝ぇ」

「わかった」


 いつもならテレビをつけるが、今日は拓と灯篭船の話をする必要がある。拓がごそごそとカバンの中からノートを取り出して、いつ切り出そうかと待っていた。


「灯篭船の設計図、見たで」

「実物持ってきたけん」


 テーブルの上にビール二本と弁当を置いて、隆はビールを拓に勧めた。カショッと小気味いい音がする。


「おつかれ」

「おつかれさん」


 乾杯をしてビールを飲むと、隆は弁当のスパゲッティを食べた。今日はハンバーグ弁当だ。


 拓がテレビの前に置いてある漁船の模型をじっと見ている。職業病なのか、単に船が好きなのかはわからない。


「今、漁船の模型とかあるんやな。知らんかったわ。灯篭船の参考になるかもしらんと思って、作ってみてん」

「そうなんか。よう出来とるのう」


 拓が模型に見入っている間に、隆はハンバーグ弁当を食べる。デミグラスソースが美味い。


「ほんで、灯篭船やけど。何が必要か、ちょっと考えてみたんや」


 隆はハンバーグを咀嚼しながら、ビニール袋に入れておいた材料を見せた。竹串、割り箸、白い布、黒い刺繍糸、それから大きめの木材だ。


「この刺繍糸は何に使うんじゃ」

「それは投網用やな。……拓、お前、網編めるか?」

「いや、無理じゃ。もう何年もやっとらんから、忘れてまったわ」

「じゃあやっぱり仁か。あいつなら編めるやろ」

「仁兄さんなら、編めそうじゃの」


 拓はノートの設計図と、隆が集めた材料の間で、何度も視線を行き来させている。隆はその横で弁当を食べ終わると、ビールをぐっと飲み干した。


「他になんか必要そうなもん、あるか?」

「機関室はくり抜いた木材を使えるじゃろ。スクリューもそうじゃけど、削り出すのは大変じゃ。あとは浮きとか浮き輪とか」


 指を折り曲げていた拓に、隆は目を剥いた。


「浮き! 考えてなかったわ! え、どないしょ。燃える材料でないとあかんよな」

「ちっこい紙風船使ったら?」

「それ、ええな! もしなかったら、紙丸めて、上から黒い折り紙貼ろか。浮き輪は……ラップの芯を輪切りして、ぐるぐる巻いたらよさそうやな」


 拓がノートに材料を書き記していく横で、隆はスマホのメモに「紙風船or折り紙、ラップの芯」と打ち込んだ。まるで小学校の図工の時間のようだと気が付いて、隆は肩を揺らして小さく笑った。


「拓、俺、食後の一服に行くけど、どうする?」

「行く」


 二人でベランダに出て煙草を吸う。遠くの方で、電車の走るガタゴトという音が聞こえてくる。上機嫌な酔っ払いが、古い流行歌を大声で熱唱している。二人はビールの缶を持ちながら、ゆっくりと煙を吐き出した。


「親父も、酔っ払うとよう歌ってたな」

「音痴じゃったな」


 ビールを飲み干してから部屋に戻り、テーブルを台所に避けた。拓が入浴している間に、隆は部屋の隅に置いてあった夏用布団を広げた。この部屋に人がやってくるのは珍しい。しばらくして拓が風呂から上がってきた。


「お風呂、先にありがとう」

「ん。ほんなら俺も入ってくるわ」


 隆はシャワーを浴びながら、明日弟とどこで夕食を食べようかと悩んだ。


 ──まあ、お好み焼きでええやろ。関西言うたら粉もんやし。


 隆はこのとき、深く考えていなかった。


 入浴を終えてリビングに戻ると、拓が布団の上で寝こけていた。ドライヤーの音で起こすのも悪い。隆は髪の毛をしっかりとタオルで拭きながら、電気を消してベッドに潜り込んだ。テレビと電気が消えた状態で寝るのは、久しぶりな気がした。


 翌朝、いつもより少し早く家を出た。駅のホームは朝のラッシュで、通勤や通学の人々が並んでいる。二人が満員電車に乗ると、後からぎゅうぎゅうと押し込まれた。


「なんじゃこれ。関西の満員電車ってこんなんか」

「慣れへんとキツいよなぁ」


 吊り革にさえつかまれない混雑ぶりに、拓はすっかり辟易したようだ。


「呉にもラッシュはあるやろ?」

「あるけど、ここまでじゃないけん……」


 隆は慣れているが、それでもこの混雑ぶりは耐えがたい。朝のラッシュで体力や気力を大幅に削られている気がして、隆は苦笑いした。


 三宮の駅で降りて、拓と別れる。またあとで、と言うと、拓は「いってらっしゃい」と返した。拓に合わせて早く出たから、始業時間まではまだ少し余裕がある。


 隆は会社の屋上喫煙所で煙草を吸いながら、神戸港を見た。拓は今日、あの辺りで研修を受けるらしい。隆も研修は入社したときに何度か受けたが、出張はしたことがないなと、白い煙を吐き出した。


 仕事がはじまると、いつも通り忙しい。隆はパソコンとコピー機の間を行ったり来たりしながら過ごした。あっという間に終業時間が来て、慌てて退社した。拓からスマホにメッセージが届いている。先に駅に着いたから、カフェにいるという内容だった。隆は早足でカフェに向かうと、窓ガラス越しに拓に手を振った。拓が出てくる。


「お疲れ様」

「お疲れさん。待たせてごめんな。ほな、行こか。……お好み焼きでええか?」

「ああ、うん」


 隆は拓と駅前のお好み焼き屋に入ると、ビールとモダン焼きを注文した。地元の人がやっているような店ではなく、チェーン店だ。


「お前は?」

「じゃあ俺も同じやつ」


 店員がやってきて、テーブルの前の鉄板にお好み焼きのタネを広げる。綺麗に丸く整えられたお好み焼きは、次第に食べ頃の色になっていく。焼けたお好み焼きにソースとマヨネーズ、鰹節と青のりが乗る。うにょうにょと鰹節が動いていた。


「かんぱーい」


 互いのビールジョッキを軽くぶつけて、隆はビールをごくごくと飲む。「プハー!」と思わず口に出したとき、拓が小さく笑った。


 小さなヘラでお好み焼きを切り分けて食べていると、拓がぼそりと言った。


「隆兄さん、俺、呉に住んどうのじゃけど」

「……あ。ほんまや」


 広島県も、お好み焼きが名物だ。関西のお好み焼きとは違うが、そのことでよく論争が起きる。関西では広島のお好み焼きは「広島風お好み焼き」と呼ばれることが多い。それを見た広島県人は「広島風とはなんじゃ。お好み焼きは広島が本場じゃ」と言う……といった、不毛な争いがしばしば起きる。


「……まあ、これはこれで美味いから、ええんじゃけど」


 隆は内心冷や汗をかきながら、ビールを飲んでごまかした。

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