第二話
スマホのアラームがいつも通りの時間に鳴る。ガサガサと枕元を探ってアラームを止め、隆は二度寝した。休日くらいはゆっくり眠りたい。
次に隆が目覚めたときには、すっかり昼を回っていた。カーテン越しの太陽はすでに高く上っている。隆はベッドの上であくびをしながら、冷凍庫に入れておいた食パンを焼いた。お湯を沸かして粉末状のコーンスープも作る。
マグカップに入れたコーンスープを飲みながら、隆はテレビをつけた。再放送の刑事ドラマをぼんやりと眺めながら、遅い朝食を摂る。昨日買った模型は、まだ箱に入ったままだ。
パンを乗せていた皿とマグカップを洗う。マグカップの底には黄色いどろりとした塊が、うっすらと残っていた。
隆は机の上で模型の箱を開ける。ふたに「ジオラマ」の文字が書いてあって、なるほどそういう需要があるのかと納得した。海辺の風景には、やはり漁船が似合う。こんもりと積まれた盛り土の上を走る海沿いの電車の模型と合わせてもいいし、怪獣などの模型や艦艇と合わせても似合いそうだ。
箱の中には模型の枠組み……ランナーに固定されたパーツが、いくつも出てきた。
「うわぁ、何年ぶりやろな」
枠組みに固定された船底のパーツをひねって取り出すと、ほんの少しプラスチックのささくれが残った。隆は説明書を取り出して読む。ニッパーやデザインカッターで切ってください……という文字に、あわてて工具を探した。
「カッターナイフでええか」
仕事で使っている筆箱からカッターナイフを取り出して、ささくれを削る。刃がわずかに引っかかった感覚が、隆の手に伝わった。親指の腹で跡を撫でると、今度は若干凹んでいるような気がした。
ていねいに作るのは案外難しいもんやなぁ……と、隆は爪切りを出した。枠組みから外した部品の出っぱりを爪切りで切り、最後にほんの少しやすりをかける。なかなか上手くいった。
隆は満足げに鼻を鳴らすと、次々とパーツを切り離していく。途中で、どれが何番の部品かわからなくなって、調子に乗り過ぎたと慌てた。
説明書の図解と実際の部品を見比べながら、組み立てていく。パーツにあるカーブ状の穴に、別のパーツの出っぱりを引っかけるようにして挟む。切り出したパーツはまだいくつか収まるべき場所が見つからず、机の上に転がっている。
刑事ドラマの再放送をしているテレビから、「あなたが犯人です」という主役の声が聞こえてきた。どうやら推理がまとまったようだ。
じっと座って同じ姿勢でいた隆は、じんわりと痺れはじめた手首を振りながら、小さく腕を伸ばした。部屋着にしているTシャツの袖から、青緑の静脈がくねくねと山の稜線のように走る様子が見えた。こんなところにホクロがあったかなと、隆はふと見入った。案外そこにあっても、気が付かないものだ。
隆は台所から爪楊枝を二、三本持ってきて、先端に接着剤を塗ると、仮留めしていたパーツにそっと広げていった。ぐっと押し込んでパーツ同士を接着する。はみ出した接着剤が指につきそうだ。
接着剤のついた爪楊枝を小指に挟んだまま、新しい爪楊枝で接着剤を拭う。はみ出した接着剤が乾いて透明な出っぱりができたのを見つけて、隆は「紙やすりも買うとけばよかったかもしれへんなぁ」と一人ごちた。
甲板に機関室を設置する。二段の窓がついている。父の漁船はどうだっただろう。一段だけだったような気がする。
父はよく機関室から顔を出して「そろそろ漁場じゃ」と甲板にいる隆に呼びかけた。隆は新しい蛸壺の入ったカゴを運び出して、いつでも投げ入れるようにしておく。甲板は深い緑色だったなと、隆は懐かしく模型の甲板をなぞる。
──たしかこの辺に丸い浮きがあって、この辺に救命用の浮き輪があった。
模型と父の漁船は少し違うが、雰囲気だけは近い。船尾のスクリューを取り付けながら、「こんなんやったかな」と首を傾げる。海中にあるスクリューは、あまり見た記憶がなかった。
大漁旗のシールを台紙から剥がして長いマストにつけてから、もう一本の方だったと慌てて貼り直した。
テレビでは、番組が夕方のニュースに切り替わっている。たまに見かけるお笑いコンビがレポーターとして、ご当地グルメに目を丸くして舌鼓を打っている。
街を行く人々がレポーターにやたらと話しかけてくるところは、関西らしい。そういうおばさんは大抵派手なアニマル柄の服を着ているし、おじいさんはちょっととぼけている。
「もう! いややわあ〜。映さんといて!」と言うわりに人懐っこく話しかけてくるし、ヒョウ柄やトラの顔がプリントされた服装で派手だ。たまにスパンコールを縫い付けたものもある。画面端に映ったワイプに、メインキャスターの笑う様子が映っている。こういうおばさんが佐柳島に一人いたら、きっと名物おばさんになるだろうな……と、隆も小さく笑った。手元の模型に視線を戻すと、あらかた形になっていた。
隆はベランダに出て、煙草に火をつける。
──灯篭船は、最後に浜辺で燃やさなあかん。
かつてはそのまま海に流したようだが、最近は環境保護のために浜辺に持ち帰る。精霊流しなどは水に溶ける紙をつかったものもあるという。つまり父の灯篭船は、木材で作らなくてはならない。
──海を汚したら、漁場が荒れかねへんもんな。
佐柳島でも波打ち際に流れ着いた海洋ゴミを見かけた記憶があるが、さまざまな種類があった。漁業に携わる人の多い佐柳島では、海洋投棄を禁じている。
とはいっても、台風などがあれば、人間が望むと望まざるとに関わらず、たくさんの漂流物が流れ着くものだ。屋根瓦やトタン、木材、よくわからないプラスチックの容器やガラス瓶……さまざまなものが漂着する。
最後に灯篭船を燃やすのは、お盆の送り火のようなものだ。初盆で帰ってきた父の魂を送るのに打ってつけだと、隆はテレビの前に出来上がったばかりの漁船の模型を置いた。ぼんやりと窓の外を眺める。すっかり日が暮れていた。
隆は夕食を食べに出かける。背の高いマンションの影がアスファルトに伸びている。街灯がポツポツと点きはじめた道を歩きながら、隆は居酒屋チェーン店にふらりと入った。
ひとまずビールを頼んで、メニューを見る。お通しに出てきた魚の煮付けを一口食べて、隆は一度ゆっくりと箸を置いた。海が近いから魚は新鮮なはずだが、故郷の佐柳島で食べていた頃よりも、ほんのりと臭みがあるような気がした。
居酒屋の有線放送で、少し前に流行った音楽が流れている。先日結婚報道が出ていた女性アイドルが、センターにいるグループの曲だ。隆はあまりゴシップに興味はないが、通勤時間に電車の中吊り広告は見る。隆はテーブルのタッチパネルでサラダや漬物、唐揚げ、どて焼きを頼んだ。
お通しの魚の煮付けを食べながら、隆は店員の届けてくれたビールをぐいっと飲む。美味い。
一体いつから、ビールの美味さがわかるようになったのだろう。隆が成人になったばかりの頃はチューハイやカクテルを多く飲んでいたが、いつの間にかビールを多く飲むようになった。
──最初は苦味が苦手やってんけどなぁ。
今でも苦味は感じるが、ビールの爽快感は格別で、いつの間にか一番好むようになっていた。喉を下りていく泡の感触が堪らない。
以前佐柳島に帰省したときに、父とそんな話をした。父はカラカラと笑いながら、「そのうち日本酒か焼酎になるぞ」と、大きなボトルに入った焼酎を傾け、自分の湯呑みに入れた。まだ隆にそのときは来ていないが、日本酒も焼酎も好きである。近いうちに、そうなるのかもしれない。
──あのときの親父、上機嫌やったな。
日に焼けた顔をくしゃっと寄せて快活に笑う父は、息子と酒が飲めるのを心の底から楽しんでいるようだった。
隆はビールを飲み干すと、タッチパネルで二杯目に日本酒を頼んだ。すぐに店員が升とボトルを持ってきて、日本酒を注いでいく。縁まで一杯になった日本酒をすすってこぼさないようにしてから、隆は升を目の高さまで持ち上げて、小さく遠慮がちに会釈した。父への献盃のようなものだった。
隆のテーブルに次々と料理が運ばれてくる。居酒屋の洒落た明かりに照らし出されたどて焼きは輝いていた。味噌のいい香りがする。コクのある味噌と、みりんの甘さが口の中に広がった。
唐揚げと温泉卵の乗ったサラダを交互に食べながら、隆はちびちびと日本酒を飲む。キリッとした味わいと、米の香りが口の中をさっぱりさせる。
隆は食べ終えたどて焼きの串をぼんやり見て、灯篭船のマストに使えないかと考えた。もう少し太い方がいいだろうか。そうしていると、割り箸なども船の床板に使えそうな気がしてくる。
居酒屋の奥の席にいた団体客が、六甲おろしを熱唱しはじめた。ちらりと視線を送る。立ち上がって拳を振り上げながら、盛り上がっているようだ。この地域に住んでると、たまに見かける。隆はあまり乗らないが、阪神電車では車内で応援メガホンを持って歌っている人たちもいるという。
拓の住む広島県も広島カープを応援する住民が多いが、隆の住む辺りには阪神タイガースを応援するファンが多い。地元住民に熱狂的に応援され、一喜一憂する彼らを見ていると、隆もほんのちょっとうれしくなる。たまに球場でヤジなども飛ぶというが、ブラスバンドがいて選手一人一人の応援歌があるなど、一体感はかなりのものだ。
隆は奥の席の騒ぎを微笑ましく眺めながらテーブルの上の皿をすっかり平らげ、席を立った。会計を済ませて店を出て、出口すぐそばにある灰皿で食後の一服を決め込む。すっかり夜になっていた。
紙巻きタバコにライターで火をつけて、ゆっくりと煙を吐き出す。最近は煙草を嫌う人も多いから、店の前を通る人がいるときは、煙を吐き出さないように気をつけた。灰皿で煙草の灰を整えながら、隆はぼんやりと今日作った漁船の模型のことを考えた。
煙草を吸い終わると、隆は駅前の百円均一の店に向かい、酔いに任せてぶらぶらと店内を物色した。竹串と割り箸をカゴに入れ、小さな白い布を買った。
帰り道で、隆はビニール袋を振りながら、六甲おろしの鼻歌を歌う。涼やかな風が木々をざわめかせて、ほんのりと汗ばんだ肌に心地よかった。
明日も休日だ。神戸港に船を見に行こう。
帰宅した隆はそのままベッドに転がって、いつの間にかぐっすり寝入ってしまった。
参考資料
トミーテック ジオコレ 情景コレクション ザ・情景小物シリーズ 漁船A・B・C
https://www.tomytec.co.jp/diocolle/lineup/jyoukei_k/jyoukei-k_05.html
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