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舟送り  作者: 網笠せい
第三章 兵庫県神戸市
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第一話

 香川県佐柳島から兵庫県神戸市に戻った隆は、日々仕事に追われていた。スーツを着て満員電車に乗り、出社してはパソコンやコピー機とにらめっこしている。


 営業事務として商社に勤める隆は、営業職のサポートに忙しい。新製品が出ればそのアピールポイントをまとめたパンフレットを用意し、新製品に買い換えることを渋る顧客には性能差や費用対効果などをわかりやすくまとめた資料を作る。アポイントメントの電話は営業職がするが、電話番号や要点をまとめるのは隆の仕事だ。


 請求書や納品書の発行は経理部が行なっているのが幸いだが、パソコンの画面にずらりと並んだ取引先リストを見ると、多すぎてうんざりする。しかも増えるのだ。


 インターネット経由で資料請求をしてきた顧客の情報をまとめて、営業職に伝えている。無事契約が成立すれば、取引先リストに移動する。隆は目が回りそうなとき、会社の喫煙所に煙草を吸いに行く。屋上から見える神戸の街並みを見ながら、汽船の煙突のように煙を吐き出す。遠くに海が見えた。


 仕事が終わる頃にはぐったりしていた。六甲山から見る神戸の夜景は綺麗だというが、街中にいるとわからない。仕事終わりに会社の屋上の喫煙所で一服すると、遠くに神戸港沿いの景色が見える。独特な形の建物が多く、夜にはライトアップされる。佐柳島と比べるとずいぶん賑やかで都会的だが、慣れてしまった。夜景に彩られた海が、ほんのりと見える。


 隆は電車に乗ると、吊り革につかまったまま、眠りそうになるのを堪えた。車窓から六甲おろしが吹き込んでくる。仕事で火照った頭にはちょうどいい。


 芦屋市や西宮市に近付きすぎると家賃が高くなるので、隆はその中間ほどに住んでいる。自宅の最寄駅には学校があるが、隆の帰る時間帯は生徒もいないから、割合静かだ。


 最寄駅を降りた頃に、宅配で夜ご飯を頼んだ。今日はコンビニに寄る元気もない。


 くたびれた脚をひきずるように自宅マンションに戻った隆は、どっとベッドに飛び込んだ。これではまるでゾンビだ。ネクタイと背広を脱ぎ、ベッドの上のカーテンレールにかけたハンガーにぶら下げる。少しして、インターホンが鳴った。


 出前を受け取って、居間に戻る。なんとなくテレビをつけて、小さなテーブルの上でもそもそと注文した食事を摂る。テレビの中からお笑い芸人の元気な声が聞こえてくる。隆はからあげを頬張りながら、お笑い芸人の変顔にふふっと笑い声をあげた。


 故郷の佐柳島から関西に出てきたとき、テレビのチャンネルが多いことに驚いた。聞こえるのは関西訛りの言葉で、聞いているうちに隆にもすっかり関西弁がうつってしまった。それでも本場の関西人からすれば、隆の関西弁は少し違って聞こえるらしい。


 生まれ育った佐柳島の言葉と、大学に進学してから住んだ関西の言葉が混ざって、もはやどこの人だかわからない。イントネーションが混ざると、どちらにとっても異質であるような気がしてくる。


 テレビの画面の中で、お笑い芸人が一斉にコケる。隆は箸を止めてひとしきり笑った後、ため息をついた。


 漬物を噛み締めながら、ご飯を口に入れる。隆はだんだん寂しくなってきたのを紛らわすように、テレビの音量を上げた。


 隆が夜ご飯を食べ終わる頃には、スポーツニュースがはじまった。野球の阪神タイガースの試合が長く取り上げられる。やっぱりここは関西なんだなと、隆はしみじみとペットボトルのお茶を飲みながら食後の一服を吸った。ニュースキャスターまで関西弁だ。


 隆は食事の空容器をゴミ袋に入れると、着ている服を脱いで洗濯機を動かす。この前はポケットにレシートが入ったままで、洗濯物が大変なことになった。そのままシャワーを浴びて、パンツ一枚で居間に戻る。スマホを確認すると、宅配サービスから店の評価を求めるメールが届いていた。


 ──そういえば、この前拓が、親父の船の画像送ってーって言うとったな。


 隆はスマホのアルバムをスクロールするが、その中に父の漁船の画像はない。もしかしたら、拓も同じだったのかもしれない。


 ──俺らは、島を離れて長いしなぁ。


 兄弟三人のグループメッセージを開くと、仁が何枚か画像を送ってきていた。隆はメッセージを送るタイミングを逃してしまって、何も送れないでいる。


 仁が「ついでに」と猫の画像を送って来ていることに「なんでやねん」と一人呟いた。父の葬式に堂々と乗り込んできた猫だった。


 今のところ、灯篭船造りで隆が協力できることはなさそうだ。拓の設計図が完成したとき、材料を集められるように準備しておこう。


 隆はベッドの上に戻ると、すぐにうとうとと眠りに落ちた。テレビや電気は、つけっぱなしだ。


 スマホのアラームが鳴って、隆は飛び起きた。アラームを止めると、スマホの充電が少なくなっていることに気が付いた。あわてて充電する。家を出る頃には、半分くらいは充電できているだろうか。ベランダで寝覚めの一服を吸いながら、隆は今日の天気や気温をなんとなく察した。


 部屋に戻った隆は昨日洗濯したシャツがまだ濡れているのに頭をかいて、以前洗濯してカーテンレールにかけっぱなしにしていた形態記憶ワイシャツに袖を通した。ズボンを履き、ベルトとネクタイを締める。背広に消臭スプレーをかけておいて、冷凍しておいた食パンを焼いた。


 顔を洗った後、焼けた食パンを何もつけずにかじりながら、靴下を履く。隆は大きなあくびをすると、背広を羽織った。ポケットに入れた定期券と社員証はそのままだ。


「家の鍵、家の鍵……」


 昨日テーブルに置いたままになつていた鍵をポケットに入れる。カバンを背負って冷蔵庫を開け、缶コーヒーを一本手に取った。プルタブを起こすと、カショッといい音がする。


 コーヒーを飲みながら洗面台で寝癖を直して、髭を剃った。飲み干した缶を、空の瓶・缶を入れた袋に放り込み、隆は歯を磨いた。歯磨き粉の白い泡が、背広の袖に小さく飛んだ。あわてて洗う。


 隆は使い込まれた革靴を履いて、玄関ドアの鍵を閉めた。背広の袖は、濡れたままだ。


 駅へ行き、電車に揺られる。曲げた脚が戻せないほどのぎゅうぎゅう詰めの満員電車は、乗るだけで体力を使う。めくれたネクタイを元に戻しながら、隆は三宮の街を小走りで出社した。


 街はまだ静かだ。パン屋のいい匂いと、いくつかのカフェやファーストフード店が開いている。隆は再びネクタイがめくれていたのを、会社の入り口で直した。


「おはようございます」

「おはようさん」


 タイムカードを打刻して、会社のパソコンを立ち上げる。メールを確認すると、ずらっと受信トレイに新着メールが並んでいた。始業の鐘の音が聞こえてくる。隆はあくびを噛み殺しながら、パソコンに向かった。明日は休みだ。


 隆が黙々とパソコンに向かっていると、昼を知らせる鐘の音がした。もうそんな時間になったのかと顔を上げる。何人かの社員が外に昼食を摂りに行くところだった。隆はパソコンをログオフすると、ズボンのポケットにスマホと財布と煙草を入れて、社外に出た。


 昼食の時間は、あちこちの店が混んでいる。隆は和食系の定食屋チェーン店に入って、いつもの定食を頼んだ。


 ──一人暮らしだと、どうしても野菜が足りなくなるからな……。


 しばらくして出てきた定食の味噌汁をすする。出汁がきいていて、優しい味だ。もろみに漬けた鶏肉を頬張りながら、隆はスマホを開く。特にメッセージは届いていない。隆は机の上にスマホを伏せて置くと、定食の残りをすっかり平らげた。


 会計を終えて、会社に戻る。午後もあっという間に時間が過ぎていく。隆はパソコンとコピー機の間を行ったり来たりしながら、取引先のリストに情報を追加していく。五月十日発信。不在。メールで資料を送信──。


 そうこうするうちに、終業を知らせる鐘の音が鳴る。隆は屋上の喫煙所から夕焼けに染まる海を眺めながら、ゆっくりと煙草の煙を吐き出した。


 ふと、模型屋にでも行ってみようという気になった。父の漁船のミニチュアを灯篭船にしたいと言い出したのは隆だ。拓にだけ設計図を作らせておいて、自分が何もしない訳にはいかない。スマホで模型屋を検索して、近い場所を探した。


 隆は灰皿に煙草の火を押し付けて消すと、エレベーターでそのまま一階に下りた。


 三宮にはさまざまな店がある。大きな書店もあれば、文房具屋や、ややマニアックなおもちゃ屋もある。大きな書店の隣にある模型屋に寄ると、所狭しと模型が積んであった。箱にアニメの絵が描いてあるもの、軍艦や戦闘機、城──中には、電車模型の線路風景を作るジオラマもあった。


 ──さすがに、漁船はないか。


 漁船の模型があれば、何か参考になるかもしれないと考えていたが、その手のものはあるだろうか。


 半ばあきらめながら、店内を物珍しく見回していた隆の足が止まる。


「あった……」


 漁船の模型が売っているとは、隆には思いもよらないことだった。箱を手に取り、説明書きを読む。隣にはイカ釣り漁船まである。誰が買うんだと一瞬考えて、自分だなと隆は頬を緩ませた。


 漁船の模型を買って、電車に乗る。父の乗っていた漁船とは違うが、模型を組み立てることで、わかることがあるかもしれない。隆はほんの少しだけソワソワしながら電車を降り、コンビニで弁当を買って帰った。デザートもつけてしまったのは、子供心を刺激された結果かもしれない。

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