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舟送り  作者: 網笠せい
第二章 広島県呉市
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第三話

 休み明け、造船所に出勤した拓が撓鉄作業に集中しているうちに、時間は過ぎていった。すでにヘルメットの下はじっとりと汗をかいている。汗を拭ってもすぐに吹き出すし、髪の毛はすっかり汗で濡れている。作業着の脇の部分にも汗染みができているような気がして、拓はトイレに行った際にこっそりと脇を拭う。同じ作業をしていた先輩が、手を洗いながら笑った。


「拓、そんなもん、現場で拭いたらええ」

「いや、臭かったら嫌なんで」

「みぃんな汗だくじゃ! ほがなもん、気にせんじゃろ!」


 拓は先輩と並びながら撓鉄作業に戻って、ガスバーナーと水の出てくる管を構える。時折、同じ作業を担当している先輩たちから助言を得て、懸命にメモをする。鋼板のどの辺りを炙るかで、曲がり方も少し変わってくる。そういった見極めは難しく、職人の腕の見せ所だ。


 拓の作業服のポケットに入れていたメモ帳が、じっとりと湿っている。紙がふやけてメモをしにくい。次のメモ帳を買うときは、せめて表紙がプラになっているものにしよう。拓は顔を上げて、顎の下にたまった汗を拭った。


 そうこうするうちに終業を知らせるサイレンが鳴る。ヘルメットにつけた遮光シールドを上げると、空が夕焼け色に染まっているのもいつものことだ。拓は座ったまま、腰をひねるようにしてガスバーナーと水を止めた。撓鉄作業は座りっぱなしだから、腰に疲労が溜まりがちだ。


 詰所に戻って冷蔵庫に入れておいたペットボトルを飲むと、生き返るようだった。拓はヘルメットのベルトをゆるめて風を通しながら煙草を吸う。吐き出す煙が、偶然輪っかになった。煙草を吸い終えて詰所を出ると、拓は自転車のカゴに溶接手袋と防塵マスクを入れた。ちょうど自転車にまたがったとき、班長が話しかけてきた。


「拓ちゃん、盆船はどうじゃ?」


 遠くで背の高いクレーンが動いている。注意喚起をするサイレンの音で聞こえにくいので、班長は大声である。拓は自転車にまたがったまま、「第一案はできました」と、やはり大きな声で答えた。


「ええのう! そいじゃ、設計部のおやっさんと飲みに行くか! 拓ちゃんは今日空いてるか!」

「空いとりますけど、設計部の人は突然呼ばれて大丈夫なんですか」

「多分大丈夫じゃ! わし、この前からおやっさんとちょくちょく飲みに行っとるけんのう!」


 ガハハと胸を反らして笑う班長が、いつ設計部のおやっさん……おそらくは拓の話を聞いてくれた年嵩のいった男性社員だろう……と仲良くなったかわからない。驚いている拓に、班長は「飲みニケーションってやつじゃ!」とさらに笑い声をあげた。


 ヘルメットのベルトをぶらぶらさせながら、拓は班長と自転車を漕ぐ。安全第一と書いてある設計部の建物から、ちょうどおやっさんが出てきたところだった。班長が自転車から降りてうれしそうに小走りで近寄る。


「おやっさん! 飲みに行かんかね!」

「またか!」


 おやっさんは苦笑いしながらも、まんざらでもなさそうだ。班長がここぞとばかりに畳みかける。


「拓ちゃんの設計図ができたらしいんじゃ!」

「ほんまか。ほな、飲みに行かんとなぁ」

「まだ第一案ですけん。……よろしくお願いします」


 自転車から降りて頭を下げた拓の肩を、おやっさんは心配するなよとでも言うように、ポンポンと軽く叩いた。


 ロッカーで着替えを済ませて、職場を出る。会社の門の前で待ち構えていた班長が、「おうい!」と手を上げる。おやっさんもすでにいる。拓が恐縮しながら駆け寄ると、班長の先導で赤提灯の居酒屋へと案内された。


 縄のれんをくぐって席に着くと、間髪入れずにお通しが運ばれてくる。「生中三つと枝豆!」と班長が注文する横で、拓は「じゃあ俺は冷奴で」と追加した。おやっさんは灰皿を手元に寄せて、煙草をくわえている。拓も煙草を吸いたくなって、胸ポケットから一本くわえた。


「設計図、どないや?」


 おやっさんが煙を吐き出しながらそう言うのに、拓はあわててカバンからノートを取り出し、ページをめくる。班長が横からノートを覗いて「ほほー」と声を上げた。


「なるほど、まあ……悪ぅはないな」

「ほんまですか!」


 喜びの声を上げる拓の元に、ジョッキに入ったビールが届けられる。班長は「はい、カンパーイ!」とすかさずジョッキを掲げるとビールを煽った。拓とおやっさんは若干遅れて、ジョッキをコツンとぶつける。班長は白い泡を口の周りにつけて「プハー!」と噛み締めるようにうなった。まるでビールのCMのようだ。


「ここな。多分バランス崩れるで」

「えっ」

「ええと、拓ちゃんやっけ? 拓ちゃんの親父さんの漁船は、多分鋼板やらの金属でできとるやろ? 知らんけど。でも実際に作る盆船は、木材や。ちゅーことは、船の軽さが違うんやな」


 拓は慌ててペンを取り出した。設計部のおやっさんがノートを拓に向けたのに会釈して、そのままペンを走らせる。


「鋼板は重さがあるから、海に浮かべたときにちょっと沈む。その分、安定するねん。でも木材は浮くやろ? せやから重しが必要や。イカダとかも、結び目がほどけたら、くるくる回るやろ?」


 おやっさんが煙草を灰皿に置いて、ビールを一口飲んだ。拓も灰皿に煙草の灰を落とす。


「人が乗るとか、エンジンが乗るとかやったら、重みは出るで? せやけど、この設計図やと──120cmくらいか。人もエンジンもよう乗らんさかい、軽すぎて多分海の上でバランスが崩れるで」

「図書館で借りた本には、船底に重しを入れるって書いてありました」

「そう、それや! このサイズならそうやなぁ……石とか入れたらええんちゃうか?」


 拓は香川県佐柳島の埋め墓の景色を思い出す。亡くなった父の墓の周りに、石をいくつか並べた。灯篭船の船底に入れるには、ちょうどいい。


「なるほど……勉強になります」


 設計図を間にはさんで話し合う拓とおやっさんの横で、班長が枝豆をつるりと鞘から転げ落とした。おやっさんはノートに描かれた船の側面を指差す。


「ここの舷側のカーブ、自分らで作るんは大変なんちゃうか? 木を曲げるとか、彫るとかになるんちゃうの? もうちょい直線的に簡素化してやな……」

「おやっさん、拓ちゃんは撓鉄やっとるんじゃ。鋼を曲げるなら、木も曲げられるじゃろ!」

「んなわけあるか、アホ」


 班長の声に、おやっさんがツッコミを入れる。おやっさんの関西弁は小気味いい。


「……まあ、木を曲げられる気はせんですね……。撓鉄もまだまだ修行中の身ですけん……」

「しゃっきりせぇや」


 おやっさんが困ったように眉を八の字にして、煙草をくわえる。先端が赤々と燃えるのを眺めながら、拓は恐縮した。


「でもできるだけ、親父の漁船に近付けたいけん……」

「……せやなぁ。一番簡単なんは、木材をくり抜くことやろな。120cmの材木なら、まああるやろ」

「すみません」

「かまへんかまへん」


 おやっさんはニヤリと笑ってビールを一気に飲み干した。班長が横で「生中もひとつ!」と注文を入れる。居酒屋の喧騒と、流れる演歌の中で、アルバイトらしき店員が「はぁい」と応えた。


「親父さんの供養や。こだわってなんぼやで」


 おやっさんが煙草の箱の上でトントンと葉の偏りを直すのを見ながら、拓はようやくビールを一口飲んだ。ビールの泡が、ほんの少し萎れていた。


 ああでもないこうでもないと話すうち、おやっさんと班長は仕事の話をし、最終的には野球の話をしはじめた。


 居酒屋の天井に近い場所に置かれたテレビに、音を消した野球中継が映っている。


「カープはがんばっとる」

「おやっさん、出身は関西じゃろ? そこはタイガースじゃないんか」

「一等はタイガースやがな。決まっとる。せやけど、カープも応援しとるで。……やっぱり、ええ試合するには、相手が必要やからな!」


 野球の話をするおやっさんは、最初に設計部で見かけたときとは違って、少年のように目を輝かせた。


 いい具合に酔って、腹もふくれた頃、飲みニケーションはお開きになった。駅まで歩く間も、班長とおやっさんは野球の話に夢中だ。しまいには六甲おろしまで歌いはじめたおやっさんを、班長は「ここは呉やけん!」と止めた。拓はいまいち混ざりきれないまま、千鳥足の班長とおやっさんを駅まで連れて行った。


「ほな! わし、こっちやさかい!」

「ありがとうございました!」


 電車の方向が違うおやっさんとは、改札口で別れた。班長と二人きりになった拓は、電車に揺られながらすっかり暗くなった車窓を眺める。班長はウトウトと船を漕いで、自分のイビキでときどき目を覚ます。


 ──おやっさんのおかげで、本当になんとかなりそうじゃ。


 父の漁船のミニチュアを灯篭船に作ると聞かされたときは、どうなることかと焦ったものだが、心強い協力者たちのおかげで、なんとかなりそうだ。おやっさんと繋いでくれた班長にも感謝して、拓は眠っている班長の肩を叩いた。


「俺、そろそろ降りますけん。今日はありがとうございました。おやすみなさい」

「んあ……もうそんなか。気をつけて帰るんじゃぞ」


 今にもヨダレを垂らしそうな班長が乗り過ごさないか心配になって、拓は駅のホームで班長の乗る電車を見送った。


 改札を抜けて、自宅へと向かいながら、拓はカバンのベルトの位置を直す。設計部のおやっさんが教えてくれたことを元に、どうやって設計図に活かそうかということばかり考えている。


 気付けば、あっという間に自宅に到着していた。拓は靴を脱ぎ捨て、靴下を廊下に放り投げたまま、居間のテーブルでノートを開いた。

佐藤ませーろ様、誤字報告ありがとうございました!

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